第十六話 覚悟
数日後。
ミリアとジャックは、報告のため水明国へ戻ることになった。
診療所を発つ頃には、ルシオの容態もかなり回復していた。まだ本調子とは言えないが、歩く分には問題ない。
そして、その隣にはエリオの姿もあった。
拘束はない。逃げようと思えば、いくらでも機会はあったはずだ。
だが、エリオは黙って隊列に加わっていた。
川を遡り、水明国の都が見えたとき、ルシオは思わず息を呑んだ。
水路が幾重にも張り巡らされ、白い石造りの建物が陽光を反射している。
「……すげぇな」
素直な感嘆に、ジャックが肩をすくめる。
「だろ。ここが水帝の国だ」
謁見の間。水帝ラグーナシアは、静かに一行の報告を聞いていた。
すべてを聞き終えたあと、ラグーナシアは目を伏せ、ゆっくりと口を開く。
「……なるほど」
短い沈黙ののち。
「風翔国を、取り戻します」
その言葉は、宣言だった。
場の空気が、一段引き締まる。
「ミリア。ジャック」
二人に視線を向ける。
「兵士長アリウム率いる小隊をつけましょう。貴方たちに同行させます」
「承知しました」
ミリアは即答した。ジャックも軽く頷く。
そのとき。
「……俺も、行きます」
声を上げたのは、ルシオだった。
ラグーナシアが、静かに彼を見る。
「理由を聞いても?」
「はい」
ルシオは一歩前に出た。
「俺は、教団に拾われて生き延びました。でも、その教団が何をしようとしているのか、知ってしまった」
拳を、ぎゅっと握る。
「……見て見ぬふりは、できません」
一瞬の沈黙。
「よいでしょう」
ラグーナシアは、否定しなかった。そのやり取りを横目に見ていたジャックが、ふと後ろを振り返る。
「で」
顎で示す。
「お前は、どうすんだ?」
視線の先には、エリオ。
エリオは一瞬だけ目を伏せ、そして顔を上げた。
そこに、迷いはなかった。
「……俺の命は」
ルシオを見る。
「コイツに拾われたんだ」
静かだが、はっきりと。
「だから俺も、命をかける」
かつての焦燥も、虚勢もない。ただ、覚悟だけがあった。
「……ふん」
ジャックは小さく鼻を鳴らす。
「勝手にしろ。途中で逃げたら、俺が斬る」
「逃げねぇよ」
短く答える。
こうして。
水明国、炎龍国、そしてかつて教団に属していた者たち。それぞれの思惑と決意を抱えた小隊が、風翔国奪還へ向けて動き出した。
再び、歴史が動き始める。
――静かに、だが確実に。
一方。
風翔国・清風街。
光神教団の施設は、かつての戦闘の爪痕をほぼ消し去り、再び不気味な静けさを取り戻していた。
石造りの回廊を進み、最奥の執務室へ。
「……っとまぁ、そんな感じですわ」
軽い調子で、ゴリガンは報告を締めくくった。
「もうエリオも、戻れんでしょうよ」
机の向こう。
白と黒の法衣を纏う男・玄武は、書類から視線を上げもしない。
「そうか」
感情の欠片もない声。
「……残念だな」
ほんの形式的な間を置いて、続ける。
「使える駒だったのにな」
その言葉に、惜しむ色はない。評価が下がった道具を処分した、それだけの響きだった。
ルシオも、エリオも。
玄武にとっては最初から、消耗品に過ぎなかった。
玄武はようやく顔を上げ、淡々と告げる。
「施設も、ほぼ完全に復旧した」
壁越しに伝わってくるのは、機械音。
歯車が噛み合い、鉄が組み上がる音。
「機械兵の生産を再開する。数が揃い次第、暗月国を制圧する」
まるで、明日の予定を確認するような口調。
「その時は、指揮を任せたぞ、ゴリガン」
玄武の目が、細くなる。
「お前こそ、次期白虎に相応しい」
一瞬の沈黙。
ゴリガンは、鼻で笑った。
(……はいはい)
それが評価でも期待でもないことは、百も承知だ。使える間は持ち上げ、壊れれば切る。それだけの話。
「興味ねぇよ」
短く吐き捨てると、踵を返す。
「勝手にやってくれ」
玄武は引き留めなかった。その背中を、ただ見送るだけ。
ゴリガンは、施設内の居住区へ向かう。
大広間では、多くの信者たちが共同生活を送っている。簡素な寝床。規則正しい食事。統制された沈黙。
だが、その奥。廊下の両脇に並ぶ、数少ない扉。
個室。この施設で個室を与えられている信者は、ほんの一握りだった。
玄武と、ゴリガン。
そして、他に四人。
個室持ちは、別格。
力か、役割か、あるいは、代替不能な何かを持つ者たち。
ゴリガンは、自分の部屋の前で立ち止まり、鍵を開ける。無機質な室内。最低限の家具。ここは安らぎの場所ではない。ただの待機室だ。
「……くだらねぇ」
そう呟き、扉を閉めた。外では、機械兵の生産が再び動き出している。暗月国侵攻という名の、次の戦争に向けて。
そしてゴリガンは知っていた。その戦争の先で、また黒炎龍と剣士に、必ず再会することを。
その時は、どちらが怪物か、はっきりするだろう。
ーーー 第一章 光神教団の異端者 完 ーーー




