第十五話 友達
診療所の中は、静かだった。
粗末な寝台が二つ。薬棚と机。油灯の淡い光が、室内を橙色に染めている。
そこにいるのはミリア、ジャック、バルサロ、ルシオ。そして、椅子に縛り付けられたエリオ。
片隅では、小さな少女・アーシャが毛布に包まれ、疲れ切ったように眠っていた。胸が規則正しく上下しているのを見て、誰も起こそうとはしない。
沈黙を破ったのは、ルシオだった。
「……改めて。助けてくれて、ありがとうございます」
簡素な挨拶。年齢に似合わぬ落ち着きが、その声にはあった。ルシオは視線を巡らせ、一人ひとりを見てから、静かに語り始める。
「俺は……アーシャくらいの年で、孤児になりました」
その言葉に、ミリアの視線が、眠る少女へと一瞬だけ向く。
「行き場がなくて、飢えて……そのときに拾われたのが、光神教団です」
責めるでも、美化するでもない。ただ、事実を並べる声音。
「教団では、読み書きと歴史を教えられました。この世界が、どうして今の形になったのか。誰が正義で、誰が悪なのか」
そこで、ルシオは一度だけ言葉を切った。
「……黒炎龍は、世界を滅ぼそうとした災厄だと教えられていました」
ミリアは、何も言わない。ただ、黙って聞いている。
「でも……教えの中には、矛盾が多すぎた。時代が合わない。証言が噛み合わない。それに……」
ルシオは、はっきりと顔を上げた。
「本当に悪なら、なぜここまで隠す必要があるのか、分からなかった」
その目は、逃げていない。恐れも、媚びもない。ミリアは、じっとその瞳を見つめ、そして静かに頷いた。
「……信じる」
短い一言。それで十分だった。その瞬間。
「おい!!」
椅子を揺らし、エリオが叫ぶ。
「推薦状はどこにやった!!玄武様の手紙だ!!」
苛立ちと焦燥が、声を荒らげていた。
だが、その問いに答えたのは、ミリアではない。
「手紙、か?」
バルサロが、顎に手を当てる。
「もしそれが、封書のことを言っているなら……ラグーナシア様に渡したが」
「……は?」
エリオの顔から、血の気が引く。
「推薦状とは、何の話だ?」
バルサロの問いは、純粋だった。
「白虎の席にだ!!玄武様が、俺を推してくださったんだ!!」
吐き出すように叫ぶ。
だが。
「そんなことは、書かれていなかった」
淡々とした、バルサロの否定。
「教団内の調整や、席の話など、一切な」
室内が、静まり返る。
「……嘘だ」
エリオの声が、掠れる。
「そんなはずは……俺は……」
そのとき、ようやく。
エリオの中で、すべてが繋がった。
自分にだけ知らされていた未来。
焦らされ、煽られ、使命を背負わされた理由。そして、誰一人として、それを裏付ける言葉を持っていなかった現実。
「……俺は……俺も、コマだったのか……」
縛られたまま、力なく項垂れる。
誰も、すぐには言葉をかけなかった。診療所には、眠る少女の寝息だけが、静かに響いていた。
翌日。
朝の光が、診療所の窓から静かに差し込んでいた。
夜の緊張が嘘のように、村は穏やかだ。
ルシオは、縛られたままのエリオを一度だけ見てから、ジャックの前に立った。
「……ジャックさん」
少し迷い、それでもはっきりと。
「その人を、解放してやってくれませんか」
一瞬、空気が止まる。
「はぁ?」
ジャックは眉を吊り上げた。
「おいおい。お前、殺されかけたんだろ」
視線をエリオに向ける。
「短刀持って、ミリアに突っ込んできた。普通なら、ここで終わりだ」
「……」
その言葉に、エリオ自身が吐き捨てる。
「情けなんか、かけてんじゃねぇ」
縛られたまま、顔を背けて。
「俺は敵だ。そういう役だろ」
だが、ルシオは首を振った。
「違う」
静かだが、迷いのない声。
「情けじゃない」
エリオを見る。その目は、責めてもいないし、見下してもいない。
「……お前ももう、教団のこと、どうでもよくなっただろ」
エリオの肩が、わずかに揺れる。
「利用されてたって、気づいたんだ。それなら」
一拍、置いて。
「もう、殺し合う理由なんてない」
沈黙。ジャックは、しばらくルシオを見つめていた。
「……フッ」
小さく、鼻で笑った。
「参ったな」
頭を掻きながら、どこか懐かしそうに言う。
「お前、俺の妹に似てんな」
「え?」
「理屈じゃなく、人を見ちまうところがだ」
そう言って、ジャックは躊躇なく縄に手を伸ばした。縄が解かれ、エリオの身体が自由になる。
「ほら。終わりだ」
だが、エリオは立ち上がらなかった。解放されても、その場に座り込んだまま、床を見つめている。
「なんでだよ、ルシオ」
ルシオは少し困ったように、笑って。
「友達だろ?」
その言葉が、決定打だった。
「……っ」
エリオは、歯を噛みしめる。
「……なんなんだよ、お前」
声が、震える。
「クソ……」
顔を覆い、吐き捨てるように。
誰も、もう何も言わなかった。
朝の光だけが、診療所を満たしていた。




