第十三話 因縁
診療所の扉が、軋んだ音を立てて開いた。
夕暮れの光が、室内に細く差し込む。
最初に入ってきたのは、ゴリガンだった。ためらいもなく、遠慮もない。まるで自分の家にでも入るかのような足取り。
その一歩遅れて、エリオが続く。
薬草の匂い。
消毒用の酒精。
人を生かすための場所に特有の、静かな空気。
その中央に、小さな影があった。
診療台の脇に立つ、九歳ほどの少女。黒髪を肩で切り揃え、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。
「……おじさんたち」
怯えた声。
「だれ……?」
アーシャだった。
視線は二人を行き来し、逃げ場を探すように揺れている。大人の男、それも血と殺気を纏った存在を前に、身体が本能的に固まっていた。
だが、ゴリガンは少女を一瞥すらしなかった。
興味がない。あるいは、最初から人として見ていない。
彼は無言のまま、診療所の中を歩き回る。棚に並ぶ薬瓶。干された薬草。壁に掛けられた簡素な医療器具。
足音だけが、不気味に響く。
エリオは、落ち着かない様子で周囲を見渡していたが、少女と目が合いそうになると、思わず視線を逸らした。
アーシャの喉が、小さく鳴る。
「……お父さんは、いないよ……」
必死に言葉を絞り出す。
だが、返事はない。
そのとき。
ゴリガンの足が、止まった。
診療台の奥。
棚の陰。
床板の継ぎ目。
ほんの僅かな違和感。
「……あそこだな」
低く、確信を帯びた声。
ゴリガンは、床を指差した。
他よりも新しい木目。
わずかに擦れた跡。
人の出入りを隠すための、巧妙な細工。
地下室への入り口。エリオの喉が、ごくりと鳴る。
「……」
アーシャの顔から、血の気が引いた。小さな身体が震え出す。逃げたいのに、足が動かない。
「……や、やめて……」
声にならない声。ゴリガンは、そんな様子をようやく視界に入れ、口の端を歪めた。
恐怖。
沈黙。
診療所という救いの場所が、ゆっくりと踏み荒らされていく。
床下へと続く扉の前で、ゴリガンとエリオは立ち止まった。その先に何があるか、もう分かっているかのように。
「――さて」
ゴリガンが、低く笑った。
「ご対面と、いきますか」
次の瞬間。
バンッ!!
躊躇は一切なかった。床板ごと、地下室への扉が破壊される。木片が砕け散り、埃が舞い上がる中、ゴリガンはそのまま闇へと降りていった。
静寂。
地下室は、拍子抜けするほど空っぽだった。
簡素な寝台。
空になった棚。
人の気配は、ない。
遅れて降りてきたエリオが、周囲を見回し、慎重に口を開く。
「……誰も、いませんね」
その言葉に。
ゴリガンは、ゆっくりと振り返った。
「……チッ」
舌打ち。
「あのガキだ」
目が、獲物を捉えた獣のそれになる。
「絶対に、何か知っていやがった」
二人は地上へ戻る。
――だが。
「……!」
診療所の中に、アーシャの姿はなかった。
扉は開け放たれ、冷たい外気が流れ込んでいる。
エリオが窓へ駆け寄る。
「あっ――!」
そこには。
夕闇の中を必死に走る、小さな影。
転びそうになりながら、村外れへ向かって逃げる少女の姿があった。
「……はは」
ゴリガンの口元が、歪む。
「いいねぇ」
一歩、踏み出す。
「その必死さ。嫌いじゃない」
地面を蹴る。
距離は一気に詰まる。
手が、届く。
その瞬間。
「黒炎弾!!」
轟音。
闇を切り裂く黒い炎が、横合いから炸裂した。
「――がっ!!?」
ゴリガンの身体が吹き飛び、地面を転がる。黒炎がその身を焼き、土煙が舞い上がった。
「アーシャ!!」
「お父さん!!」
同時に響いた声。
村の外れ。
そこに立っていたのは、バルサロだった。
駆け寄り、アーシャを強く抱き寄せる。少女は震えながら、その胸に顔を埋めた。
「……よく、逃げた」
掠れた声で、バルサロは囁く。
その前方。土埃の中から、ゆっくりと影が立ち上がる。
「……ちっ」
黒炎を振り払うように、肩を回すゴリガン。
直撃を受けてなお、致命傷になっていないこと自体が異常だった。
そして、その視線が二人の人物を捉えた。
黒い炎を纏う少女。その隣に立つ、剣を抜いた青年。
「久しぶりだな」
ゴリガンが、口角を上げる。
「黒炎龍と、その取り巻きの小僧」
「……!」
ジャックが、一歩前に出た。
「ゴリガン……!」
怒気を孕んだ声。
「生きてやがったのか!」
ジャックは剣先を向ける。
ゴリガンも、自然と身構えた。
「勘違いするなよ」
低く、威圧するように言う。
「あの頃の俺と、同じだと思うな」
黒炎が、ミリアの周囲で揺らめく。
ジャックの剣に、覚悟が宿る。
二人もまた、構えた。
戦場の空気。
一方、その光景を少し離れた場所から、エリオは呆然と見つめていた。
(……あれが)
胸が、ざわつく。
(黒炎龍を宿す者……)
教団が、最も警戒する存在。
最優先で排除すべき、敵。
(教団の……敵)
だが、その姿は、噂よりもずっと近く。そして、現実だった。
静かな村に、因縁と火種が、ついに揃った。




