第六話 決別
山道は、静かだった。
風が木々を揺らし、足元の小石が時折転がる。
それだけの音しかない。
だからこそ、ルシオは意を決した。
「……なあ、エリオ」
背中越しに声をかける。
エリオは歩みを止めない。
「さっきの話だ」
少し間を置いて、ルシオは続けた。
「黒炎龍を宿す者……あいつ、悪い奴じゃないんじゃないか?」
その瞬間。エリオの足が、止まった。ゆっくりと振り返る。目が、はっきりと見開かれていた。
「……今、何を言った?」
低い声。ルシオは、喉の奥がひりつくのを感じながらも、引かなかった。
「街の人間は、助けられたって言ってた。雷帝国の話も……」
「黙れ」
エリオの声が、空気を切る。
「教団の教えに背くのか?」
その言葉に、ルシオの中で何かが弾けた。
「教え、教えって……!」
一歩、踏み出す。
「そんなものより、大事なことがあるんじゃないのか!?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。エリオは、懐に手を入れた。抜かれたのは、短刀。鈍い光が、木漏れ日の中で走る。
「……おい」
ルシオの声が、掠れる。
「まてよ、エリオ。いくらなんでも」
エリオは、目を細めた。そこに、迷いはない。
「やっぱりな」
冷え切った声。
「お前、異端だろ」
ルシオの背筋が、凍る。
「最初から、おかしいと思ってたんだよ」
一歩、距離を詰める。
「疑う。迷う。教えより、自分の感情を優先する」
短刀が、構えられる。
「それが、異端だ」
「エリオ……!」
その名を呼ぶより早く、刃が振り抜かれた。
風を裂く音。ルシオは、反射的に身を投げ出すように回避する。
頬を、冷たい空気が掠めた。
背後の木に、刃が突き刺さる。ルシオは、息を荒げながら距離を取った。
(……嘘だろ)
心臓が、激しく打つ。教団に来てから、共に過ごした時間。同じ食事をし、同じ仕事をし、同じ道を歩いた。
友だと――思っていた。
だが。エリオの目は、冗談でも、脅しでもない。
本気だ。
短刀を引き抜き、再び構える。
「安心しろ」
淡々とした声。
「苦しまないように、やってやる」
その言葉が、決定的だった。
ルシオは、拳を握りしめる。
(……逃げなきゃ)
だが、足がすくむ。目の前にいるのは、敵ではない。少なくとも、そう思っていた存在だ。
山道に、再び風が吹く。そして、二人の間に、決して戻れない一線がはっきりと引かれた。
逃げるしかなかった。
ルシオは、山道を転がるように駆ける。
背後から、何度も風を切る音。
短刀が、腕を掠めた。
「っ……!」
熱い。遅れて、血が滲む。
息が荒れ、視界が揺れる。足元の石に躓き、身体が前につんのめった。
転倒。
土と小石が、掌に食い込む。
(……終わる)
一瞬、そう思った。
だが、掌に触れた硬い感触。小石だ。
ルシオは、転がる勢いのままそれを掴み、立ち上がりざま――投げた。
狙いは、顔。エリオは反射的に短刀を立て、顔の前で受ける。金属に小石が弾かれ、乾いた音が響く。
だが、それでいい。
(……読んでる)
エリオの才能を、ルシオはよく知っていた。あいつは、こういう小細工に引っかからない。
だからガードする前提。すなわち、一瞬、視界が切れる刹那。
ルシオは、踏み込んだ。
身体を低く沈め、踵でエリオの膝を、蹴り抜く。確実に、効く角度。訓練で、何度も叩き込まれた一手。
だが、エリオは読んでいた。膝が沈む直前、軽く跳ねるようにバックステップ。
空を切った踵が、地面を叩く。距離が、再び開く。
二人は向かい合い、荒い呼吸を吐いた。教団で叩き込まれた動き。互いに、それを知っている。
エリオが、距離を詰めた。
踏み込みは鋭く、迷いがない。短刀が、一直線に突き出される。狙いは胴体。顔でも、喉でもない。確実に当たる場所。
(……やっぱり、そう来る)
ルシオは歯を食いしばる。
対刃戦法。
教団で何度も叩き込まれた型が、身体に浮かぶ。
(通じるわけがない)
エリオは、その全てを知っている。同じ学舎、同じ訓練、同じ動き。
勝つには予想外しかない。
次の瞬間。刃が、脇腹を裂いた。
「っ――!!」
焼けるような痛み。血が、一気に噴き出す。
視界が白くなる。
(……これだ)
ルシオは、歯を剥き出しにして笑った。
血を撒き散らしながら、身体を踏み止める。
エリオが、冷徹に刃を引き、もう一度突き出そうとした、その刹那。ルシオは、右手で脇腹を押さえた。
左手は、あえて対刃戦法の動きを見せる。
誘い。
(アホが)
エリオの思考が、一瞬だけ走る。
(同じ学舎で学んだ俺に、通じるはずがないだろう)
だからこそ、エリオは刃を持つ右手を止めた。
代わりに左拳を、突き出す。
制圧の一撃。
その瞬間をルシオは、待っていた。
伸びてきた拳を掴む。同時に、脇腹を押さえていた右手を振り抜いた。
掌に溜めた、鮮血。それを、そのままエリオの顔面へ、叩きつける。
「――っ!?」
完全な予想外。血が、視界を覆う。
わずかな怯み。だが、それで十分だった。
「うおおおっ!!」
ルシオは、全身全霊で踏み込む。
膝が、エリオの顎を打ち上げた。
鈍い衝撃音、身体が浮く。
よろめいたところへ、間髪入れず後ろ回し蹴り。
風を裂く音。
エリオの身体が、横殴りに吹き飛び、地面を転がった。だが。すぐに立ち上がる。ふらつきながらも、倒れない。
――やはり、エリオだ。ルシオは、荒い息を吐く。脇腹から、血が止まらない。指の間から、赤が零れ落ちる。
(……長引かせたら、死ぬ)
勝てない。だが生きる道は、一つだけある。
(最適解は……これだ)
ルシオは踵を返した。命懸けの逃走。山道を、転げるように駆ける。
「ルシオォォッ!!」
背後で、怒号が響いた。体勢を立て直したエリオが、血の跡を睨みつける。
逃がす気はない。
短刀を握り直し、追跡を開始する。山道に残る赤い線が、二人の運命を、さらに深く引き裂いていった。




