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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第一章 光神教団の異端者

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第五話 手紙

 それから、数週間が過ぎた。


 かつて廃屋と呼ばれていた場所は、いつの間にか教会施設と呼ばれるようになっていた。


 瓦礫は片づけられ、崩れていた壁は仮設の木材で補強される。穴だらけだった屋根には、粗末ながらも板が打ち付けられ、雨風はしのげる程度にはなっていた。


 完全な再建には程遠い。


 それでも――人は、集まった。


 寝床ができ、食事が配られ、祈りの時間が設けられる。夜になれば灯りが点き、誰かの声が聞こえる。


 生活だ。ルシオは、その光景を少し離れた場所から見つめていた。


(……ここ、何だったんだ)


 ただの廃屋だったはずだ。

 だが、地下への扉、妙に分厚い壁、生活用にしては不自然な間取り。


 まるで、最初から何かを閉じ込める場所だったかのような。


 誰に聞いても、答えは返ってこない。


「昔の施設だよ」

「使われなくなってたんだ」

「気にする必要はない」


 そう言って、皆、視線を逸らす。清風街の空気は、日を追うごとに重くなっていった。


 教団の見回りは増え、物資の配給は協力的な者から優先されるようになる。祈りに参加しない家には、訪問が入る。


 注意。

 忠告。

 そして、圧。


 逆らう者はいなくなった。

 正確には、逆らえなくなった。


 ルシオは、それを毎日、肌で感じていた。


 エリオも同じだった。


 以前より口数が減り、笑うことも少なくなった。

 それでも彼は、教団の命令には忠実だった。


 生き残るために。


 ある日。


 二人が施設の外で作業をしていると、玄武が呼び止めた。


「ルシオ。エリオ」


 低く、揺るがない声。


 二人はすぐに姿勢を正す。


 玄武は懐から、一通の封書を取り出した。

 封は固く閉じられ、教団の印が押されている。


「これを持て」


 エリオが、両手で受け取る。


「届け先は、麒麟様の御許だ」


 その名を聞いた瞬間、ルシオの心臓が、わずかに跳ねた。


 光神教団総帥・麒麟。


 噂でしか知らない存在。

 だが、街のすべてが、その名の下で動いている。


「道中で余計なことは考えるな。聞かれたこと以外、話すな」


 玄武は、淡々と続ける。


「お前たちは、運び手だ。それ以上でも、それ以下でもない」


「……はい」


 エリオが答える。

 ルシオは、少し遅れて頷いた。


 玄武は二人を一瞥すると、もう興味を失ったかのように背を向けた。


「準備ができ次第、出立しろ」


 それだけ言い残し、施設の奥へと消えていく。

 その背中を見送りながら、ルシオは胸の奥に広がる違和感を押さえきれなかった。


 この街。

 この施設。

 そして、あの男たち。


 すべてが、「正しい」という言葉で塗り固められていく。


(……俺は)


 手紙を抱えるエリオの横顔を見つめる。


(……どこまで行けば、戻れなくなるんだ)


 答えは、まだ出なかった。


 ただ一つ確かなのは、二人が向かう先に、玄武とは比べものにならない人物が待っている、ということだけだった。


 二人は出立した。背負うのは最低限の水と乾いた保存食だけ。街道を外れ、山道へと踏み込む。


 清風街を覆っていた重苦しい空気は、山を登るにつれて薄れていった。だが、その代わりに、別の不安が胸に溜まっていく。


 ――手紙。


 エリオが肌身離さず持つ封書を、ルシオは何度も横目で見ていた。


(……何が書いてあるんだ)


 玄武が、麒麟に直接届けろと言ったもの。ただの報告ではないはずだ。


 聞きたい。

 だが、聞けない。


 山道を半日ほど進み、二人は最初の休憩地・湖の馬宿に辿り着いた。


 湖畔に建つ古い宿だが、人の出入りは多い。

 商人、旅人、護衛らしき者たちが、馬に水をやり、食事を取っている。


「ここで一度、休もう」


 エリオがそう言い、二人は腰を下ろした。


 この先は一気に山を越え、光神教会区域へ入る。

 戻るなら、ここが最後だ。


 ルシオが水を飲んでいると、近くの卓から声が聞こえてきた。


「……聞いたか? 風翔国」


「ん?」


「雷帝国に続いて、今度は光神教団にやられてるらしいぞ」


 ルシオの手が、止まる。


「そうか……また戦争か」


「いや、戦争ってより……侵食だな。気づいたら街に教団の施設が建ってて、逆らえなくなる」


 別の男が、溜息混じりに続けた。


「雷帝国の時みたいにさ、また黒炎龍を宿す者が助けに来てくれりゃいいんだがな」


「はは……都合よく現れるもんじゃねぇよ」


 笑い声。だが、そこには希望があった。

 ルシオの胸が、強く脈打つ。


(……やっぱり)


 教団の言っていた救済なんかじゃない。これは、奪っている側の理屈だ。


 目の前が、はっきりとした。


 そのとき、影が視界に割り込んだ。


 エリオだった。


 彼は、ゆっくりと商人と旅人の前に立つ。背筋は伸び、目は冷えている。


「光神教団を否定する異端よ」


 宿の空気が、凍りついた。


「浄化してやる」


 瞬間。


「エリオ!!」


 ルシオは、反射的に立ち上がっていた。


 エリオの腕を掴み、叫ぶ。


「やめろ! 逃げてください!!」


 一瞬の沈黙。


「なっ……」


「こ、こいつ……!」


「例のカルトの人間か!?」


 商人と旅人の顔が、恐怖に歪む。


「くそっ、行くぞ!」


「馬を出せ!」


 椅子が倒れ、食器が落ちる音。人々は我先にと宿を飛び出し、湖畔へ散っていった。


 残されたのは、張り詰めた空気と、二人だけ。

 エリオは、掴まれた腕を見下ろす。


「……なぜ止めた」


 低い声。ルシオは、震えながらも、目を逸らさなかった。


「それ以上やったら、戻れなくなる」


 エリオの瞳が、わずかに揺れた。


 だがすぐに、何かを押し殺すように視線を伏せる。


「……次は、邪魔するな」


 そう言って、腕を振りほどいた。宿の外では、馬のいななきと、遠ざかる足音。湖面には、何事もなかったかのように風が走っている。


 ルシオは、胸を押さえた。


(……間に合ったのか)


 それとも。


(……もう、遅いのか)


 二人は再び、荷を背負う。

 山の向こう光神教会区域へ。

 戻れない一線は、もうすぐそこまで迫っていた。

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