第四話 浄化
廃屋の中。
玄武は、無言で二つの鞭を差し出した。
エリオは前に出る。もう一本は、白いフードを深く被った信者に渡された。
顔は見えない。だが、その佇まいだけで、空気が一段冷える。
「連れて行け」
縛り上げられた街の男二人を引き立て、壊された施設の別室。かつて居間だったらしい空間へ移動する。
壁には煤の跡。崩れかけた棚と、割れた床。
玄武が、低い声で問う。
「お前たちの住居を言え」
沈黙。
一人が、唇を噛みしめたまま、睨み返す。
「……なぜだ」
次の瞬間。
「エリオ」
「はい」
エリオの鞭が、唸りを上げて振り下ろされる。
バシン、という乾いた音。
「ぐぁっ!!」
打たれたのは、発言していないもう一人の男だった。
「な、なんで……!」
悲鳴が上がる。
玄武は、淡々と告げる。
「逆らうな。許可なく発言するな」
一歩近づく。
「逆らえば、相方が痛む」
再び、沈黙。
「……」
「もう一度言う」
玄武の声には、感情がない。
「家を言え」
二人は、顔を見合わせる。
だが、どちらも口を開かない。
「……そうか」
次の瞬間。
バシン。
バシン。
二人同時に、鞭が打ち下ろされた。
「――あああっ!!」
「ぐっ……!!」
「黙秘も罪だ」
玄武は、当然のように言った。
ルシオはその様子を見ていた。
(……おかしい。こんなの、絶対に……)
胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。
しばらくして。
「……北区……外れの……古い家だ……」
片方が、ついに吐き出した。
別の信者が、静かに頷き、その場を離れる。
重い沈黙。戻ってきた信者は、短く報告した。
「……誰もいません」
玄武は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「そうか」
そして、まるで世間話でもするように言う。
「独り身か。……家族が居れば、よかったのにな」
ルシオの背筋が、凍りつく。
玄武が、名を呼んだ。
「ゴリガン」
白いフードの信者が、一歩前に出る。
その口元だけが、ゆっくりと歪んだ。
不気味な笑み。
次の瞬間。何が起きたのか、理解するより先に、独り身だと判じられた男の身体が、崩れ落ちていた。
叫ぶ暇すら、なかった。
血の匂いが、室内に広がる。
ルシオは、動けなかった。
(……殺した?理由は……独り身だから?)
違う、人質となる家族がいない以上、この男は利用価値がないからだ。
残されたもう一人の男は、声も出ず、ただ震えている。玄武は、その男を見下ろした。
「光神教団は、正しい」
諭すような口調。
「我々が語ることが真実だ」
一歩、距離を詰める。
「過去など、意味はない」
男の目から、涙が溢れ落ちる。
「それを……街に伝えろ」
縄が解かれる。
「行け」
男は何度も頷き、這うように廃屋を飛び出していった。残ったのは、血と沈黙。
立ち尽くすルシオ。玄武は、何事もなかったかのように背を向ける。
床に広がった赤黒い染みを、ルシオは見ないようにしていた。だが、視界の端からどうしても逃げられない。
足が重い。呼吸の仕方すら、分からなくなっていた。
「……おい」
ルシオの肩が、びくりと跳ねる。振り向くと、白いフードの信者・ゴリガンが、すぐ背後に立っていた。いつの間に、こんな近くまで。
「固まってんな」
からかうような声音。
「初めて見ると、まぁ、そうなるか」
ルシオは、喉が張り付いたように声が出なかった。ゴリガンは、フードの奥からこちらを覗き込み、肩をすくめる。
「安心しろよ」
そして、妙に親しげな口調で続けた。
「お前もさ、神なんか信じてねぇ派だろ?」
ルシオの瞳が、わずかに揺れる。
否定も肯定もできず、ただ沈黙。
その反応を見て、ゴリガンは小さく笑った。
「はは。図星か」
一歩、距離を詰める。
「心配いらねぇよ。俺もだ」
その言葉に、ルシオは思わず顔を上げた。
「……え?」
「神? 奇跡? くだらねぇ」
ゴリガンの声は、妙に現実的だった。
「でもな、教団にいりゃ俺たちは“安全”だ」
その瞬間。ゴリガンは、ゆっくりとフードを持ち上げた。露わになった顔に、ルシオは息を呑む。
右半分――いや、正確には半分以上が、金属だった。
鈍い光を放つ装甲。無機質な義眼。
皮膚と機械の境目は雑に縫い合わされ、そこから覗く配線が、まるで血管のように脈打っている。
残された人間の半分だけが、歪んだ笑みを作っていた。
「神なんて信じなくてもいい」
ゴリガンは、囁くように言う。
「従ってるフリさえしてりゃな」
その義眼が、かすかに駆動音を立ててルシオを捉える。ぞっとするほど、ねっとりとした悪意。
「逆らう奴は、さっきみたいになる」
床の血痕に、顎をしゃくる。
「でも、使える奴は守られる。選ばれる」
笑みが、深くなる。
「簡単な話だろ?」
ルシオは、何も言えなかった。
ただ、分かってしまった。この男は狂信者ではない。だが信仰以上に、冷酷な現実を理解している存在だ。
ゴリガンはフードを戻し、踵を返す。
背を向けたまま、軽く手を振る。
「生き残りたきゃ、余計なことは考えねぇ方がいい」
残されたルシオは、その場に立ち尽くしたまま、拳を強く握りしめた。
(……違う)
そう思いたかった。だが、脳裏に焼き付いたのは、あの男が崩れ落ちる瞬間と、ゴリガンの笑み。
光神教団。
信仰の名を借りた安全地帯。
そして選別と処分の場所。
ルシオの中で、最後の拠り所だった「正しさ」が、音もなく崩れ去っていった。




