第二話 寵愛
玄武率いる部隊は、総勢およそ百名。
白い外套を翻しながら、彼らは風翔国を目指して山道を進んでいた。
光神教団の区域から風翔国へ至るには、いくつもの山を越えなければならない。険しい岩場、細い獣道、冷たい風。信仰だけでは乗り越えられない現実が、そこにはあった。
「はぁ……はぁ……」
ルシオは重い荷袋を背負い、足元を確かめながら歩く。
隣ではエリオも同じように息を切らしていた。
「くそ……なんで俺たちが食糧係なんだよ……」
「選ばれたって言ってなかったか?」
「言ってたけどさ……別の意味での選抜だろ、これ……」
二人の背には、乾燥肉、穀物、保存用の野菜、水袋。野営用の物資が詰め込まれていた。
やがて、空が赤く染まり始める。
山の向こうに夕日が沈み、風が一段と冷たくなった頃、玄武の号令が響いた。
「ここで野営とする」
信者たちは素早く陣形を解き、テントの設営に取りかかる。
焚き火が灯り、簡易の調理場が作られていく。
「料理担当は前へ」
数人の信者が名乗り出た。教団の中でも、食事作りに長けた者たちだ。
ほどなくして、野営とは思えない光景が広がった。
香ばしく焼かれた肉。温かいスープ。香辛料の香りが漂い、疲れ切った信者たちの表情がわずかに緩む。
「……すげぇ」
エリオが思わず呟く。
「普通の野営飯じゃないな」
「命に感謝を」
玄武の低い声が響く。
信者たちは一斉に姿勢を正し、祈りを捧げた。
「光神の御名のもとに」
そして、食事が始まった。
疲れた体に温かい食事が染み渡る。ルシオも無言でスープを口に運んだ。
だが、心の奥はどこか落ち着かなかった。
食事が終わると、玄武は数名の信者を指名した。
「小川から水を運べ」
指示された者たちは、近くの小川へ向かい、水袋と桶を手に水を汲む。
釜が組まれ、そこに水が注がれる。
魔法を扱える信者が前に出ると、手をかざした。
炎が灯り、水がみるみるうちに温められていく。
湯気が立ち上り、夜の冷気に白く溶けていった。
しばらくして――
玄武は数人の女信者を伴い、その場を離れた。
彼らが向かったのは、ひときわ大きく設営された“玄武専用”のテントだった。
中からは、水音と低い話し声が微かに聞こえてくる。
ルシオはその光景を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……何をするつもりなんだ」
エリオは肩をすくめ、当たり前のように答える。
「選ばれた信者は、寵愛を受けるんだよ」
「寵愛……?」
「玄武様に認められた証さ。羨ましい限りだろ?」
エリオの目は、どこか誇らしげだった。
だがルシオは、言葉を失った。
(……それが、光神の教え?)
ちなみに、他の四獣がそうした“寵愛”を行うことはない。
それでも、誰も疑問を口にしない。
信者たちは、それを「特別な恩寵」として受け入れていた。
焚き火の音が、ぱちぱちと夜に響く。
山の闇の中、光神教団の白いテントが静かに並んでいた。
その中心で、玄武の大きなテントだけが、異様な存在感を放っていた。
ルシオは、無言で炎を見つめていた。
(正義の名の下で……何が行われているんだ)
その胸の奥で、疑念は確かに、さらに深く根を張り始めていた。
翌朝。
山々に朝霧が立ち込める中、光神教団の部隊は再び進軍を開始した。
岩肌の露は冷たく、足場は滑りやすい。険しい山道が続き、信者たちの呼吸は次第に荒くなっていく。
「……はぁ……」
ルシオは額の汗を拭いながら、前を歩く玄武の背中を見つめていた。
白と黒の装束に身を包んだその巨体は、明らかに“太っている”ように見える。
にもかかわらず、玄武は一切疲れた様子を見せなかった。
息も乱れず、足取りも一定。岩場でもぴたりと安定した歩みを崩さない。
(おかしい……)
ルシオは小声でエリオに話しかけた。
「なあ……玄武様って、機械兵なのか?」
「は?」
エリオは目を丸くした。
「違うに決まってるだろ」
「でもさ、あの体でこの山道だぞ。息も上がってない」
エリオは少し得意げに鼻を鳴らした。
「玄武様はな、修行が桁違いなんだ」
「修行?」
「火山での坐禅、滝行、それに教団の各地の教会巡りを全部徒歩で回ってる」
ルシオは思わず目を見開く。
「徒歩で……?」
「そうだ。信仰活動を怠らず、なおかつ武術訓練も毎日欠かさない」
エリオは続ける。
「だから、あの体はただの肥満じゃない」
前方を歩く玄武の背中を見ながら、静かに言った。
「下地は鋼みたいな筋肉だ。表面の脂肪は、鎧みたいなもんさ」
ルシオはごくりと喉を鳴らした。
確かに、よく見れば玄武の歩き方には無駄がない。
重心は低く、踏み込みは深く、岩場でも一切ブレない。脂肪に覆われているだけで、その内側には鍛え抜かれた肉体が隠れているのだろう。
「玄武様はな、信仰と修行を両立させた“理想の信者”なんだ」
エリオは誇らしげに言った。
「だから四獣に選ばれたんだよ」
ルシオは返事をしなかった。
ただ、再び玄武の背中を見つめる。
巨大な体。
揺れない歩み。
疲労の色のない呼吸。
(……本当に、それだけなのか)
祈り、修行し、鍛え上げた結果。そう説明されれば、納得できなくもない。
だが、ルシオの胸の奥では、昨日の寵愛の光景が、まだ消えていなかった。
(信仰と正義の名の下で……)
山の冷たい風が、頬を打つ。
ルシオは黙って歩き続けた。
疑念を抱えたまま、風翔国へと続く山道を。




