プロローグ 光神教団の少年
光神教団・聖域。
白き神殿の最奥、巨大な光の紋章の下で、一人の男が祈りを捧げていた。
教祖・麒麟。
純白の法衣に身を包み、両手を胸の前で組み、静かに目を閉じている。
「……なぜ、人は罪を犯すのか」
低く、穏やかな声が、神殿に響いた。
「なぜ、人は罪を許すのか」
誰に向けた問いでもない。
それは、この世界そのものへの問いだった。
大陸には盗賊が溢れ、犯罪集団が跋扈する。
弱き者から奪い、命を弄ぶ者たち。
だが、国家はそれを放置する。
力なき民だけが、涙を流し続ける。
「……だからこそ」
麒麟は、ゆっくりと目を開く。
「正義の裁きを下すのは、我々だ」
光の紋章が、淡く輝いた。
「それが、光神教団の存在意義」
神殿の奥で、静かな足音が響く。
現れたのは、青き装束に身を包んだ男。
教団幹部、青龍。
彼は膝をつき、深く頭を下げた。
「教祖様……」
だが、麒麟は振り返らない。
ただ、祈るように天を見上げ続けていた。
青龍は、胸の内で静かに思う。
(……俺たちは、皆同じだ)
光神教団に集った者たち。
その多くは、戦争に巻き込まれた者。
犯罪に家族を奪われた者。
親を、子を、友を失った者。
ある者は、復讐のために。
ある者は、救済のために。
そして、ある者は――
(……奪う者を、決して許さぬ正義のために)
青龍自身もまた、かつてはただの一人の人間だった。
守れなかった。
救えなかった。
だからこそ、光にすがった。
麒麟の背中を見つめながら、青龍は静かに拳を握る。
(この正義が……本当に救いなのか)
だが、その疑念を口にすることはない。
光神教団において、疑いは罪だからだ。
神殿には再び、祈りの声だけが響き渡る。
黒炎が燃える世界で。
白き光は、何を裁こうとしているのか。
光神教団・訓練施設。
白い壁に囲まれた広大な訓練場で、少年たちが無言で拳を交えていた。
「はぁっ!」
鋭い踏み込み。
一人の少年・ルシオの拳が、相手の腹にめり込む。
「ぐっ……!」
相手の少年は苦悶の声を漏らし、膝をついた。
「そこまで」
監督官の冷たい声が響く。
汗を拭いながら、ルシオは静かに呼吸を整えた。
18歳。細身だが、無駄のない鍛え抜かれた身体。
――10年前。
彼は、家族を失った。
戦争だったのか、犯罪だったのか。
記憶はもう、曖昧だ。
ただ覚えているのは、炎と悲鳴と、血の匂い。
そして、その後に差し伸べられた白い手。
光神教団は、ルシオを拾い上げた。
生きる場所と、食事と、目的を与えてくれた。
「悪を滅するためだ」
それが、教団の教えだった。
格闘訓練。
武器の扱い。
銃の射撃。
才能のある者は、魔法訓練へ。
そして――
「選ばれし者は、機械化される」
身体の一部を捨て、力を得る進化。
ルシオは、その言葉に、いつも違和感を覚えていた。
訓練の合間。同じ部屋で育った少年、エリオが肩に手を置く。
「なぁルシオ、今日の模擬戦、よかったじゃん」
「……そうかな」
「当たり前だろ。悪を滅するためなんだから」
エリオは、心からそう信じているようだった。
「俺たちは正義なんだよ。人を守るために戦ってる」
ルシオは、少しだけ視線を落とす。
「……でもさ」
「?」
「守るために、殺すのって……本当に正しいのかな」
エリオは一瞬きょとんとし、すぐに笑った。
「何言ってんだよ。悪は滅ぼさなきゃダメに決まってるだろ!それが普通だろ?」
物心ついた頃から、教団で生きてきた彼にとって。殺しは、正義の一部だった。
ルシオの胸に、小さな痛みが走る。
(……普通、なのか)
人を殴ること。
刃を向けること。
引き金を引くこと。
それが救いだと、誰が決めた?
遠くで、機械音が響く。
金属の腕。
人工の脚。
無機質な目。
機械化された教団兵が、無言で歩いていく。
(……あれが、進化?)
ルシオは拳を握る。
正義の名の下に、人はどこまで変わるのか。
そして、その正義は本当に人を救っているのか。
光に包まれた教団の中で、ルシオの心にだけ、静かな影が生まれ始めていた。
光神教団・大聖堂。
白い柱が並ぶ広間に、信徒たちが静かに集まっていた。祭壇の奥には、光神の紋章。その前に立つのは、教祖・麒麟。
重々しい沈黙の中、麒麟が口を開く。
「……報告がある」
低く、厳かな声。
「世界に争いをもたらしてきた双龍・黒炎龍と白雷龍。その一角、白雷龍が討ち滅ぼされた」
ざわめきが広がる。
「白雷龍が……」
「ついに……」
麒麟は続ける。
「その討伐には、我らの白虎が深く関わっていた」
空気が一変した。
「白虎様が……?」
「まさか……」
「長きにわたり、教団のために尽力してきた白虎は、その命と引き換えに、白雷龍をこの世界から消し去った」
その言葉に、何人もの信徒が膝をついた。
「白虎様……」
「我らの誇りが……」
すすり泣く声が、広間に広がる。
ルシオも、胸の奥に重いものを感じていた。
白虎……教団の四獣の一角。
英雄として語られてきた存在。
(そんな人が……死んだ?)
悲しみと同時に、どこか引っかかる感覚。
ふと、前方に立つ朱雀の姿が目に入った。
赤い装束に、扇を手にした女。
「……ふぁぁ」
朱雀は口元を隠すこともなく、退屈そうにあくびをしていた。悲しみに沈む広間の中で、ただ一人。
「……つまんない」
小さく呟き、扇で風を送る。
ルシオの胸が、ざわついた。
(……え?)
白虎の死。白雷龍の消滅。
信徒たちが涙を流す中で、なぜこの人は、こんなにも無関心なんだ?
朱雀の表情には、哀悼も、怒りも、誇りもなかった。あるのはただ、退屈そうな目。
(同じ教団の幹部なのに……)
ルシオは拳を握る。
正義のために命を捧げた英雄。
その死が、なぜつまらないで済まされるのか。
麒麟の祈りの声が、大聖堂に響く。
「白虎の犠牲を、決して無駄にはしない」
だが、ルシオの視線は朱雀から離れなかった。
この教団には、正義だけでは説明できない何かがある。
そう確信した瞬間だった。




