第五十八話 龍の領域
雷が、吼えた。
ハイドの両腕が、白雷に包まれる。筋肉が隆起し、血管が雷光となって浮かび上がった。
「千手雷手」
一歩。
踏み込んだ瞬間、空間が歪んだ。
ハイドの腕が“増えた”かのように見える。否、錯覚ではない。超高速の貫手が、重なり、連なり、千の影を生む。
雷を纏った貫手の連打。
空気を裂き、衝撃が遅れて炸裂する凶技。
「――ッ!!」
迎え撃つミリアの両拳に、黒炎が噴き上がる。
「炎拳乱打!!」
黒炎龍の力が、拳に宿る。一撃一撃が、爆炎となって炸裂し、雷手と真正面から打ち合った。
黒と白。
炎と雷。
拳と拳が、何度も衝突するたび、凄まじい轟音が戦場に響き渡る。
地面が陥没し、砕けた岩が宙を舞う。衝撃波が、周囲の兵たちを吹き飛ばした。
「はあああああ!!」
「沈めぇぇぇぇ!!」
雷帝と黒炎の少女。互いの拳が、意志と意志をぶつけ合う。
その死角に、蒼い流れが走った。
ラグーナシアだ。
正面の激突に巻き込まれぬよう、静かに、しかし確実にサイドへ回り込む。
水が、彼女の腕に集束する。
「水帝魔斧・蒼裂」
凝縮された水刃が、斧の形を成し、横薙ぎに放たれる。
必殺の一撃。
だが、ハイドは見ていた。視線を逸らさず、身体だけを引く。
「……甘い」
バックステップ。
雷光を残し、距離を取る。水刃は虚空を切り裂き、地面を深く抉った。
間合いが、開いた。
ハイドは両腕を広げる。白雷が、交差し、収束する。
「十字雷波」
十字を描く雷の奔流が、一直線に放たれた。大気を焦がし、空間を引き裂く破壊の波動。
狙いは、ミリア。
だが、彼女は一歩も退かない。拳を引き、腰を落とす。黒炎が、拳に凝縮され、重く、深く燃え上がった。
「獄炎拳」
一撃。
放たれた拳が、雷波と正面から激突する。
黒炎が雷を呑み込み、噛み砕き、爆散させた。白雷が砕け、黒炎が舞い散る。爆音とともに、雷波は完全に破壊された。
戦場に、再び静寂が落ちる。
――雷帝ハイドは、一瞬だけ、過去を見た。
(父・インドラは……ここで倒れた)
脳裏に浮かぶのは、かつての雷帝。
白雷を自在に操り、雷帝国を絶対の力で支配していた男。
その父が敗れた相手。
水帝ラグーナシア。
そして、ミリアの父。
(だが……)
ハイドは、心中で冷たく切り捨てる。
(あの二人は、龍ではなかった)
インドラも、ミリアの父も、竜の力とは無縁。
純粋な人の身で、帝として戦い、そして倒れた。
(ラグーナシアが、さぞ強かったのだろう)
それは事実だ。父を討った水帝。その力は、本物だったに違いない。
だが。
(今回は……話が違う)
視界の端に映る、黒炎を纏う少女。
ミリアの背後で、蠢く存在。
黒炎龍。
そして、自身の内に渦巻く、白雷。
(龍と龍がぶつかる戦いの前では……)
ハイドは、静かに、しかし確信をもって思う。
(水帝ですら、とりまきだ)
人の王の力ではない。
龍の意志と龍の力が、すべてを決める。
ハイドの口元が、歪んだ。
「……いい位置だ」
ラグーナシアが、ミリアを援護するため、わずかに間合いを詰めた、その瞬間。
ハイドは、動かなかった。代わりに、右手を天へと掲げる。白雷が、指先に集束する。
「天雷」
雷を、放たない。真上へと、撃ち上げる。白雷は、空を貫き、雲を裂き、天へと消えた。
一瞬の静寂。
次の刹那、轟音。天が割れた。真上から、落ちる。逃げ場のない、直下の雷撃。
狙いは、水帝ラグーナシア。
「――ッ!」
ラグーナシアの直感が、警鐘を鳴らす。空間が、灼ける。影が消え、世界が白く染まる。
落雷。
それは、回避ではなく、耐えることを強いる一撃。雷帝ハイドは、白雷を纏いながら、確信していた。
これは、前座だ。
本命は、黒炎龍と白雷龍の、真正面からの衝突。
その前に、水帝を削る。雷は、容赦なく、ラグーナシアの頭上へと、落ちていった。
天雷が、大地を穿った。
白光が収束したあと、戦場に残ったのは、深く抉れた地面と―、倒れ伏す水帝ラグーナシアの姿だった。
「……ラグーナシアさん!!」
叫びと同時に、駆け出したのはジャックだった。
ジャックの圧力が切れても、雷帝国の兵士は動けない。誰も気づかぬうちに、すでに機械兵を全滅させたモウラの、ジャックの比ではない存在感が全てを支配していたからだ。
アロンダイトを放り投げるように背へ回し、迷いなく彼女のもとへ辿り着く。蒼衣は焦げ、肌には雷の焼痕。
「……息は……ある」
胸が、かすかに上下している。
ジャックは歯を食いしばり、ラグーナシアを抱き上げた。
「生きてる……! だったら、十分だ!」
その瞬間。
雷が、唸った。
ジャックは、理解した。
(……狙いは俺じゃない)
視線を上げる。
雷帝ハイドと、ミリア。
二人は、互いから一切、目を逸らしていなかった。
視線を切った瞬間、命が終わると、本能が理解している。
ミリアの全身を覆う黒炎が、静かに、しかし確実に濃くなっていく。
ハイドの身体を走る白雷もまた、呼応するように脈打つ。
竜が、互いを見据えている。
ジャックは、静かに後退した。
ラグーナシアを抱えたまま、一歩、また一歩。
雷帝の視線が、ほんの一瞬、こちらに流れかける。
だが、ハイドは逸らさない。
ミリアも、逸らさない。
切れば、死ぬ。それが、二人の間に成立している、無言の掟だった。
ジャックは、背を向けた。
「……すぐ戻る」
誰にともなく呟き、全力で駆け出す。
目指すは、炎龍城下町。
治療ができる場所へ。水帝を、生かすために。
その背中を、雷も黒炎も追わなかった。
戦場には、二人だけが残る。
雷帝ハイド。
黒炎を宿すミリア。
風が止み、音が消えた。
互いに、視線だけで、世界を殺している。
竜と竜。逃げ場も、猶予もない。
次に動くのは、どちらかが、死を選ぶ瞬間だった。




