第五十六話 最悪の切り札
戦場の一角。
瓦礫と影が折り重なる場所で、二つの気配が静かにぶつかり合っていた。
影殺のエタルド。
暗殺者にして、影を住処とする男。
レイア。
暗月国の覇王を継ぐ者。
先に動いたのは、影だった。
消えた。否、影に溶けたのだ。
次の瞬間、レイアの背後。地面から伸びるように、刃が閃く。
「遅い」
金属音。レイアは、振り返りざまに鉄棒を交差させて受け止めていた。二本の鉄棒が、エタルドの短剣を挟み込む。
「……ほう」
エタルドの口元が、わずかに歪む。
「影を見切るか。だが、そこまでだ」
エタルドの姿が、再び掻き消えた。
右。左。背後。影から影へ。連続する斬撃が、死角から襲いかかる。
レイアは退かない。
鉄棒を振るう。打つ、払う、弾く。重い金属音が、連続して響く。
「……暗殺者にしては、随分と回りくどいな」
レイアの声は、静かだった。
「正面からでは、勝てないと知っているからだ」
影が、嘲るように答える。エタルドが、地面に溶けた。
次の瞬間、レイアの足元の影が、膨れ上がる。
「死ね」
影の刃が、下から突き上がる。
だが、レイアは鉄棒を地面に突き刺した。
「来るのは……そこだ!」
大地が、砕けた。
「剛雷突!!」
二本の鉄棒に雷が走る。
かつてゴウガが、そしてコルドが振るった、暗月伝承の一撃。
雷を纏った強烈な突きが、影ごと穿つ。
「――なっ!?」
エタルドは影から引き剥がされ、宙へ跳ね上げられた。だが、空中でも止まらない。
身体を捻り、無数の影刃を放つ。
レイアは、踏み込んだ。
「まだだ!」
二本の鉄棒を、槍のように構える。
「剛雷突・連!!」
雷を引き裂くような連続突き。影刃を砕き、空気を穿ち、エタルドを追い詰める。
「……くっ!」
エタルドは地面に着地し、距離を取った。
肩で息をする。影が、わずかに乱れている。
「まさか……あの技を、女が使いこなすとはな」
「性別で技は選ばない」
レイアは鉄棒を回し、構えを解かない。
「これは、暗月の覇王の技だ」
その瞳に、迷いはない。
雷が、再び鉄棒を包む。
「ならば、これはどうだ?」
影が、戦場を覆った。夜でも、霧でもない。
エタルドそのものが、影へと溶け込んでいた。
「ここだ」
声だけが、四方八方から響く。刃が、影から影へと連なり、同時多発的にレイアへ襲いかかる。
避けても、受けても、次が来る。
「……くっ!」
鉄棒で弾く。だが一瞬遅れるたび、影の刃が肌を掠め、血が散る。
足元。背後。頭上。
もはや位置という概念が、意味を失っていた。
「どうした、覇王!」
影が嗤う。
「正面から打ち合う力はあっても、この影を殺すにはまだ足りないか!?」
影が、収束する。
一本の殺意。一点突破の、必殺。
レイアの胸元へ、一直線。
その瞬間、レイアは鉄棒を地面に突き刺した。
「……足りない?」
雷が、走る。
「いいえ」
鉄棒を踏み台に、跳ぶ。一気に、空へ。
影の刃が、虚空を切った。
「私は」
宙で、身体を捻る。鉄棒を手放し、両脚を引き絞る。
「覇王だ!!」
回転。雷と筋力が、踵に収束する。
「金剛斧脚!!」
落雷のような一撃。
回転踵が、エタルドの影ごと叩き割った。
「がッ!!?」
衝撃音。大地が陥没し、影が霧散する。
エタルドは、地面に叩きつけられ、二度と立ち上がらなかった。
静寂。
雷が消え、影が戻り、戦場に覇王だけが立っていた。
「……流石、覇王だ」
少し離れた場所で、機械兵を倒したアリウムが静かに息を吐く。
「影殺のエタルドを、真正面からやり切るとはな」
その隣で、ガイツが腕を組み、当然のように言った。
「今さらだ」
視線は、倒れたエタルドではない。
立つレイア、その背に向けられている。
「レイア様は、すでに暗月国の技を――」
一拍。
「破壊双掌を除き、すべて会得している」
誰も、反論しなかった。
それが事実であり、そして何より、この戦場で証明されたからだ。
暗月の覇王は、もう継いだ者ではない。
完成した、覇王そのものだった。
次の刹那。乾いた破裂音が、戦場を裂いた。
反応したのは、アリスだった。
弾丸が空を切る、その一瞬前。アリスは迷わずレイアを抱き寄せ、地を蹴る。
二人の身体が宙を舞い、次の瞬間、背後の地面が爆ぜた。
「……っ!」
着地と同時、アリスが振り返る。
そこにいた。
黒と銀を基調とした外套。
手にするのは、槍でも剣でもない。雷銃。
「……ランス」
アリスの喉から、低い声が零れた。
雷銃のランス。彼女の宿敵。
そして、雷帝国が誇る最悪の切り札。
「久しぶりだな」
淡々とした声。感情は、ない。
次の瞬間、左右から影が走った。
「させるか!!」
神速の踏み込みで迫るアリウム。
正面から地を割る勢いで突進するガイツ。
同時攻撃。完璧な連携。
誰もが、そう思った。
「待て、やめろ!!」
クレイの叫びが、遅れて響く。
「そいつは……!!」
だが、もう遅い。
ランスは引き金に、指をかけなかった。
銃を、ただ逆手に持ち替える。
殴打。雷銃の銃床が、アリウムの側頭部を叩き割るように直撃した。
「が……!」
神速が、止まる。身体が宙で回転し、アリウムは地面に沈んだ。
次の刹那、ガイツが迫る。
「岩撃進!!」
ランスは半歩踏み込み、蹴り。
「雷装脚」
肩へ。雷の衝撃が、内側から炸裂する。
「ぐッ!!」
怪力無双の巨体が、まるで紙屑のように吹き飛ばされ、地面を転がった。
二秒も、かかっていない。
アリウムとガイツ。
水明国と暗月国の中枢戦力が、同時に戦闘不能。
静寂。雪が、落ちる音だけが残った。ランスは、何事もなかったかのように雷銃を肩に担ぐ。
引き金は、引いていない。
ただの殴打と蹴りだけで、すべてを制圧した。
クレイは、歯を噛みしめた。
ランスの強さは知っている。
知っているからこそ、止めたかった。
アリスは、レイアを庇うように前に出る。
視線は、決して逸らさない。
宿敵が、目の前にいる。
雷銃のランスが、戦場に立った。
最悪は、まだ始まったばかりだった。




