第五十五話 炎帝
平原の中央。
雪と灰が混じる戦場で、二つの王が向かい合っていた。
炎帝リグーハン。
雷帝ハイド。
互いに一歩も引かず、視線だけで殺し合っている。
リグーハンの全身から、熱が立ち上る。大地が赤く染まり、空気が歪んだ。
次の瞬間。
リグーハンが大地を踏み砕いた。
「業炎葬!!」
灼熱の柱が噴き上がり、天を焦がす。火葬のように、炎が渦を巻き、ハイドを飲み込もうとする。
だが、雷光が走った。
「十字雷波!!」
交差する雷が炎を切り裂き、爆散させる。炎と雷が衝突し、衝撃波が戦場を薙いだ。
リグーハンは構えを変え、腕を振り抜く。
「爆炎波!!」
扇状に広がる業火。回避は不可能な、王のための殲滅技。
ハイドは跳躍した。
「地昇雷!!」
地面から雷柱が立ち上がり、身体を弾き上げる。炎をかすめ、雷帝は宙へ。
着地と同時、ハイドの全身に雷が集束する。
「いい火力だ、炎帝」
リグーハンの目が、鋭く細まった。
「これで終わりだと思うなよ」
王は、吼えた。
「炎獅子!!」
炎が獅子の形を成す。咆哮と共に、巨大な炎獣がハイドへ突進した。その熱量は、触れただけで存在を消し飛ばす。
ハイドは避けない。雷が鎧の如く纏わりつく。
肉が焼け、皮膚が裂け、血が蒸発する。
それでも、前へ。
炎獅子の牙を潜り、爪を躱し、業火を踏み越える。
「な……っ!」
リグーハンの目が見開かれる。
その瞬間。ハイドは、指を突き出した。
「一指雷槍」
圧縮された雷が、一直線に解き放たれる。
炎帝リグーハンの胸を、正確に心臓を、穿った。
「……ぐ……」
炎が、揺らぐ。獅子が崩れ、業火が消えていく。
リグーハンは、膝をついた。
「……見事、だ……雷帝……」
最後まで、王の背は崩れなかった。
そして。炎帝リグーハンは、静かに大地へと倒れ伏した。雪が、降り続いている。焼け焦げた戦場に、雷帝ハイドだけが立っていた。
だが、その身体もまた、無傷ではなかった。
一瞬の静寂。次いで雷帝国の陣から、歓声が噴き上がる。
「勝ったぞ!!」
「炎帝が倒れた!」
「雷帝国の勝利だ!!」
兵たちは武器を掲げ、雪と灰の舞う戦場で叫び続けた。王が倒れた。それは、戦の終わりを意味するはずだった。
だが。
「……止まらない?」
誰かが、呟いた。
炎龍国の陣は、崩れない。膝をつく者はいても、武器を捨てる者はいない。
むしろ、前へ。
雷帝国の機械兵が進軍しようとした、その瞬間だった。
鋭い金属音。
次の瞬間、機械兵の胴体が、真っ二つに裂けた。
「な――!」
炎と血の中から、一人の青年が踏み出す。
剣を握るその手は、震えていない。
クレイだった。
彼は、もう一体。次の機械兵を、迷いなく切り裂く。
「よく聞け、雷帝国!!」
腹の底から、叫んだ。
「貴様らの侵略に気づいた時点で、父は俺に王位を正式に継承していた!!」
雷帝国兵のざわめきが、広がる。
クレイは剣を構えたまま、一歩前へ出る。
「炎帝リグーハンは倒れた。だが」
視線は、雷帝国全軍を射抜いていた。
「俺がいる限り、炎龍国は負けていない!!」
その言葉に、炎龍国の兵たちが応えた。
「おおおおお!!」
「王子様だ!」
「いや、炎帝だ!!」
声が、炎のように連なっていく。
雪の中。新たな王が、戦場に立っていた。
炎帝は倒れた。
だが、炎はまだ、消えていなかった。
ーーーー
少し前。
炎龍国・王城地下。
外界から切り離された、古き謁見の間。
そこに集められていたのは、三人だけだった。
炎帝リグーハン。
王子クレイ。
隠密のモウラ。
そして、王女クレア。
王座は使われていない。
炎帝は、二人の子の前に立っていた。
「……時間がない」
低く、重い声。
クレアは、その一言で悟った。
これはいつもの政の話ではない。
「雷帝国は、必ず来る」
炎帝は続ける。
「そして、この戦い……私は、生きて戻らぬ可能性が高い」
「父上!」
思わず声を上げたのは、クレアだった。
「そんな言い方……!」
だが、リグーハンは首を振る。
「覚悟の話だ、クレア」
そして、視線をクレイへ向けた。
「クレイ」
名を呼ばれ、クレイは背筋を伸ばす。
「お前に、炎龍国を託す」
空気が、凍りついた。
「本来なら、民の前で即位の儀を行う。だが今回は違う」
リグーハンは、王家にのみ伝わる短剣を取り出す。
赤く淡い炎を帯びた、王位継承の証。
「これは勝利のための儀ではない。国を繋ぐためのものだ」
クレイは、膝をついた。だがその動きには、まだ若さと迷いが残っている。それを見て、クレアは唇を噛んだ。
(お兄様……)
かつて、誰よりも優しく、誰よりも悩む兄。
王という言葉が、似合わないとすら思っていた。
「顔を上げろ、クレイ」
炎帝の声が、静かに響く。
「王は、俯かない」
クレイは、ゆっくりと顔を上げた。短剣の切っ先が、胸元に触れる。
「この瞬間より」
炎が、灯る。小さく、だが確かな炎が、クレイの内に宿った。
「クレイ・リグ=フレア」
リグーハンは、はっきりと告げる。
「お前は、炎龍国の正統なる炎帝だ」
赤き紋章が、クレイの胸に浮かび上がる。
クレイは、歯を食いしばった。
「……はい」
声は震えていた。それでも、逃げなかった。
「必ず、この国を守ります」
その言葉を、クレアは真正面から受け止めた。
逃げない目。
リグーハンは、満足そうに目を細める。
「それでいい」
そして、クレアとモウラへ視線を向けた。
「クレア」
「……はい」
「お前は、王を支えろ。剣ではなく、言葉と心でだ」
クレアは、一歩前に出た。
「お兄様は……私が守ります」
迷いのない声だった。
「モウラ……」
「はい、クレイ様の手足となり、必ずや力になります」
「……頼んだ」
そして最後に。
「ミリアとジャックを、導いてやれ」
クレイは、強く頷く。
「命に代えても」
ーーーー
雪と灰が舞う戦場。
クレイは、雷帝国の兵を前に剣を構えている。
その背を見て、ミリアは言葉を失った。
「……あのクレイが……」
出会った頃の、迷いがちだった男の姿は、もうどこにもない。
「王の背中……だね」
ジャックも、短く息を吐いた。
「妹の前で、あんな覚悟決めたんだ」
剣を握り直す。
「そりゃ、強くなるわけだ」
炎帝は倒れた。
だが炎は、確かに次代へと受け継がれていた。




