第五十三話 狂気を宿す者
剣と剣がぶつかり合う音が、戦場の喧騒の中でもはっきりと響いていた。
「――ははっ!」
笑ったのはサイガだ。
「その剣! いいなぁ! 前より重い!」
「そっちこそ、楽しそうだな!」
ジャックは歯を食いしばり、アロンダイトを振るう。紅蓮鉱石の籠手が、剣撃の衝撃を吸収し、拳での追撃を可能にしていた。
斬る。殴る。蹴る。
距離は近い。近すぎる。互いに、逃げる気はない。
「なぁジャック」
剣を受け流しながら、サイガが言う。
「今回は、引き分け無しだよな!?」
ジャックの目が、鋭く細まった。
「あぁ、今回で終わらせる!」
「だよな!!」
サイガが吼えた。雷を纏った剣が振り下ろされる。ジャックは正面から受けた。足元の大地が砕け、衝撃が全身を駆け抜ける。
だが、退かない。懐に潜り込む。
拳。籠手が、サイガの腹部に叩き込まれた。
「――がっ!」
それでもサイガは笑う。
「効く効く!! 最高だ!!」
距離が開いた、その瞬間。ジャックの手が、懐に伸びた。
「……またそれか!」
「前と同じだと思うなよ」
放たれた六角手裏剣は、一本ではない。
二本。三本。角度を変え、時間差で迫る。
サイガは一つを弾き、二つ目をかわす。
だが、三つ目が腿を抉った。
「っ……!」
体勢が崩れる。その刹那、ジャックはすでに踏み込んでいた。
「終わりだ!!」
アロンダイトが、全力で振り下ろされる。
サイガは、避けない。否、避けられなかった。
アロンダイトは、サイガの剣を打ち落とし、肩口から深く斬り裂いた。
血が噴き出す。
サイガの身体が、膝をつく。荒い息。それでも、顔は笑っていた。
「……なぁ」
サイガは、地面に落ちた剣を見ず、ジャックを見上げる。
「最高だった」
視線が、真っ直ぐだった。
「引き分けじゃ……ないな」
「……ああ」
ジャックは、剣を下ろさなかった。
「今回は、俺の勝ちだ」
「だな……」
サイガは、ゆっくりと仰向けに倒れた。地面が赤く染まっていく。
「次は……もう、ねぇか」
それが、最後の言葉だった。ジャックは、しばらく動けなかった。剣を握る手が、わずかに震えている。
「……楽しかったよ」
誰にともなく、そう呟く。そして、戦場へと視線を戻した。
まだ終わっていない。だが一つ、確かに決着はついた。
火花と金属音が、絶え間なく弾け散る。
ミリアとメアリ。互いに一歩も引かず、間合いは常に致死の距離だった。
細剣が閃く。だが――
「遅いッ!」
ミリアの踏み込みが、わずかに勝った。黒炎を纏った拳が、嵐のように叩き込まれる。
「炎拳乱打!!」
一発、二発、三発。拳の軌跡が残像となり、メアリの細剣の速度を完全に上回った。
「っ……!」
防御が間に合わない。
拳が、顔面を掠める。
その瞬間。メアリの顔に縫い付けられたグロリアの顔の一部が、じゅっと音を立てて焼け焦げた。
「……あ?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「ぎゃああああああああああああああ!!」
メアリが、発狂した。
「やめろォ!! 触るなァ!! ◯△⬜︎✖︎!!」
意味を成さない叫びを上げながら、細剣を力任せに投げつける。
ミリアは反射的に身を捻る。視界が、刹那、切れた。
「このクサレメスブタァ!!」
メアリが、獣のように飛びかかる。ミリアの身体を掴むと、そのまま肩に噛み付いた。
「っ……!!」
肉を裂く痛み。ミリアの動きが、わずかに止まる。その隙を、メアリは逃さない。
拳。歪んだ笑みを浮かべたまま、全力で振り抜かれる。
直撃。ミリアの顔面が弾け、後方へ吹き飛ぶ。地面に転がり、鼻から血が垂れ落ちた。
「……っ、く……」
顔を上げるミリアに、メアリは吼える。
「お前がッ!!」
血走った目。引き攣った口元。
「お前が全てを奪った!!」
喉が裂けるほどの声で。
「私の全てを奪ったんだァァァ!!」
かつて――
雷帝インドラが、水帝ラグーナシアに敗れた戦争があった。
敗北は、国を割り、人を捨てた。街は荒れ、家を失い、名もなく彷徨う者たちが溢れた。
メアリも、その一人だった。
行き場を失い、路地裏で身を縮め、ただ次の日を待つだけの存在。そんな彼女に、手を差し伸べたのが、グロリアだった。
「生きたいなら、ついてきなさい」
それは、慈悲でも、同情でもない。ただ当然のことのように。
食事を与え、寝床を与え、剣を教えた。やがて、側近と呼ばれる位置にまで、引き上げた。
だが、メアリだけが特別だったわけではない。
サイガも。他の部下たちも。
グロリアは、同じように面倒を見ていた。
それでも――
それでも、メアリは、グロリアが大好きだった。
雷帝国の兵士たちの多くは、彼女を「やばい女」だと噂していた。
水帝の裏切り者。歪んだ価値観。どこか壊れていると。
だが、メアリは違った。彼女は、知っていた。
グロリアは、水帝ラグーナシアと親友だったこと。
そして告白し、振られ、水明国を去ったこと。
(女性に、告白した)
その事実が、メアリの中で、奇妙な希望に変わった。
(なら……私と、結ばれる未来も……ある)
水帝ラグーナシアではない。ならば、自分が。
(グロリア様は、私の……)
いや、違う。
(私は、グロリア様の物)
そう思うたび、胸が満たされた。世界が、意味を持った。
彼女は、グロリアを崇拝した。
心酔し、生きる拠り所にした。
夜。ひとりになったとき。
グロリアの声を思い出し、その背中を、強さを、存在を思い描き、救われるように、すがるように、毎晩、同じ想いに身を委ねていた。
(あぁ……グロリア様……グロリア様ッ!)
それが、愛なのか、依存なのか、狂気なのか。
メアリ自身にも、もう区別はつかなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
グロリアを失った世界は、耐えられなかった。
だから。
だからこそ。
その仇であるミリアを前にした今、メアリの心は、完全に壊れていたのだ。
「お前だけは絶対に許さない。想像つく限り、最大限惨たらしく殺す」
雪と血と狂気が、戦場に渦巻いていた。




