第四十七話 雷銃のランス
瓦礫を跳び越えながら、ジャックは走っていた。
呼吸は荒い。脚は重い。それでも止まらない。
ふと、隣を走るクレイを見て、ジャックは剣を引き抜いた。
「おい!」
走りながら、柄を突き出す。
「お前が持ってた方がいい!」
クレイが一瞬、目を見開く。
「俺には」
ジャックは、にやりと笑った。
「拳があるからよ!!」
剣を受け取ったクレイの手が、強く握られる。
「……恩に切る、相棒!」
二人は、さらに速度を上げた。
雷帝国研究所・最上階。破壊された通路の先に、巨大な扉がある。ミリアは、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(……勝ってるよね……)
心の底で、期待してしまっていた。
これまで見てきた、圧倒的な存在。
炎帝リグーハン。
水帝ラグーナシア。
死闘を演じた、怪物たち。
覇王ゴウガ。
漆黒の戦乙女グロリア。
その誰よりも、間違いなく強かった。
風切りのエンリケ。
(あの人なら……ランスなんて……)
扉が、軋みを上げて開かれる。
「……え……?」
そこにあったのは、勝利の光景ではなかった。
部屋は、原形を留めていない。壁は抉れ、床は裂け、天井は崩れ落ちている。
その中心に、倒れているエンリケ。装甲は砕け、片腕はひしゃげ、風はほとんど感じられない。
「……そんな……」
アリスの声が、震える。
そして、少し離れた場所。壁にもたれかかるように立つ男。血に濡れ、息も荒い。深い傷を負っている。
だが、致命には届いていない。
ランスだった。口元に、歪んだ笑み。
「……遅かったなぁ」
かすれた声でも、愉悦は隠せていない。
ミリアの胸が、冷たく沈む。期待は、完全に打ち砕かれた。
最強は、倒れていた。
そして、最悪の男はまだ立っている。
最上階に、重い沈黙が落ちた。
ミリア、ジャック、クレイ、アリス。
四人は、同時に構える。
相手は満身創痍の男、一人。
それでも、油断はなかった。
むしろ、勝てるはずだという理屈が、逆に不気味だった。
ランスは、血を拭いながら、薄く笑う。
「……この程度の負傷でな」
一歩、前へ。
「お前らを殺すことなど、造作もない」
その手に、銃が現れる。引き金が引かれた。
「麻痺散弾」
バンッ!!
銃声と同時に、空間が震えた。
散弾ではない。目に見えない電磁波が、扇状に広がる。
「……っ!?」
ミリアの身体が、強張る。黒炎が、強制的に沈黙させられる。
ジャックの拳が、痙攣する。クレイの剣が、床に落ちた。
「く……そ……!」
アリスの機械腕が、悲鳴を上げて停止する。
完全な足止め。ランスはゆっくりとミリアを見た。その視線には、敵意よりも選別の色があった。
「だがな」
低く、告げる。
「神がお前を殺すなと、言う」
ミリアの瞳が、揺れる。
次の瞬間。ランスは、背を向けた。
「また会おう。黒炎龍を宿す者」
そして窓へ、躊躇なく飛び降りる。
割れたガラスの向こう、はるか下。そこには、数人の影。
ローブを纏った者たちが、同時に魔法陣を展開する。光が走り、落下するランスの身体を受け止めた。ゆっくりと降下。そのまま、闇の中へ消えていく。
「……逃が、した……」
クレイが、歯噛みする。だが彼の視線は、すでに別のものを捉えていた。
(……あの連中……)
動きが、揃いすぎている。魔法の発動が、統一された規格のようだった。
(部下……?いや……雷銃のランス…まさか!)
考えが、まとまりかけたその時。
「……あ……」
か細い声。次の瞬間、慟哭が爆発した。
「いやああああああああああああああッ!!!」
アリスだった。
砕けた装甲。動かない身体。
壊れたエンリケを、強く、強く抱き締めている。
「やだ……やだよ……戻ってきたばっかりなのに……!」
最上階に、泣き声が響き渡る。
誰も、言葉を発せなかった。
勝利はなく。救いもなく。
ただ、失った重さだけがそこにあった。
数時間後。
風翔国の空は、静かだった。
あれほど荒れ狂っていた風は嘘のように穏やかで、瓦礫の間を、弱いそよ風が通り抜けていく。
ミリアたちは、街の外れに立っていた。
雷帝国研究所は、完全に破壊された。歪められた技術も、兵器も、すべて瓦礫の下だ。
雷帝国の陰謀は、阻止した。
だが、風帝ソウムはもういない。
ミリアは、地面を見つめたまま拳を握る。黒炎は、燃えない。
クレイは、剣を背負い直し、無言で空を仰いだ。
ジャックもまた、歯を食いしばり、何も言わない。
勝ったはずなのに、胸に残るのは、重さだけだった。
「……英雄様」
声がした。
振り返ると、生き残った街の人々が、そこにいた。
包帯を巻いた者。
瓦礫にまみれた服のままの者。
それでも、彼らの目は、真っ直ぐだった。
「あなたたちがいなければ……この街は、消えていました」
「風帝様も……きっと、感謝しておられる」
誰かが、そう言った。
ミリアは、思わず俯く。
(……英雄なんかじゃない)
救えなかった命が、確かにある。それでも彼らは、頭を下げた。
英雄だと、呼んでくれた。
アリスは、少し離れた場所で、風の止んだ空を見ていた。抱えていたのは、父の形見。もう、風は吹かない。
やがて、彼女は振り返る。ミリア、ジャック、クレイの前に立ち、はっきりと言った。
「……私、あなたたちについて行く」
三人が、顔を上げる。
「いつか必ず」
アリスの声は、震えていなかった。
「父の仇を取る。雷帝国と……ランスを」
沈黙。そして、ミリアが一歩前に出る。
「……一緒に行こう」
黒炎が、わずかに揺れた。それは怒りではなく、誓いの炎だった。
こうして、風翔国を後にする四人の背中を、風は、静かに見送っていた。
失われたものは、戻らない。
だが、歩みは止まらない。




