第四十六話 心に響く叫び
風が、一点に収束した。
「今――!」
アリスの声と同時に、機械腕が限界まで展開される。
演算、予測、補正。風切りの軌道を読むのではない。来る場所を固定する。
空間が、歪んだ。エンリケの動きが、ほんの一拍だけ遅れる。
「――ッ!!」
ミリアが踏み込む。黒炎が、爆ぜる。
拳、肘、膝。
連撃ではない。一撃必殺の連結。
「黒炎崩壊拳ッ!!」
衝撃が、街路を貫いた。風が散り、装甲が軋み、エンリケの身体が数メートル吹き飛ぶ。
一瞬だけ。
「……当たっ――」
ミリアの言葉は、途中で切れた。立っている。
エンリケは、何事もなかったかのように起き上がる。装甲に、ひび。だが致命ではない。
いや、違う。最初から、通じていない。風が、再び彼の周囲に集う。先ほどよりも、静かで、鋭い。
圧が違う。アリスの背筋を、冷たいものが走った。
「……だめ……」
次元が、違う。技量でも、力でもない。存在の完成度が違う。
エンリケが、消える。
次の瞬間、ミリアの身体が宙を舞った。
「……っ!!」
黒炎が散る。受け身を取る間もなく、地面に叩きつけられる。視界が、揺れる。
(……動……け……)
だが、身体が言うことを聞かない。エンリケが、ゆっくりと歩み寄る。音はしない。ただ、終わりが近づく気配だけがある。
アームが、持ち上がる。
「やめてぇぇぇぇぇッ!!!」
街に、裂けるような叫びが響いた。アリスだった。
「やめて!!お願いだから……やめて!!」
その瞬間、風が止まった。
エンリケの動きが、完全に停止する。アームは、ミリアの喉元、数センチの位置。
微細な振動。装甲の内部で、何かが軋む。
「……」
エンリケの瞳。無機質だった光に、揺らぎが生じる。
「……ア……リ……ス……?」
かすれた声。
機械のノイズに混じる、人の声。アリスが、息を呑む。
「……お父……さん……?」
その言葉が、最後の鍵だった。
風が、荒れる。だがそれは、攻撃ではない。混乱だ。
エンリケは、ゆっくりと周囲を見渡す。
瓦礫。泣き叫ぶ人々。倒れ伏す兵士。
そして地に横たわる、老将。風帝ソウム。
エンリケの呼吸が、乱れる。
「……俺が……」
視線が、自分の手に落ちる。血と、風の痕跡。
「……やったのか……?」
問いは、誰に向けられたものでもない。それは取り戻された自我が、最初に発した言葉だった。
風が、震える。兵器は今、人へと覚醒した。
沈黙の中で。エンリケは、ゆっくりと膝をついた。
金属が地に触れる、鈍い音。アリスと、倒れたままのミリアへ向き直る。その動作は、不器用で、どこか人間臭い。
「……すまない」
声はまだ掠れている。だが、確かに意思があった。
「俺は……
自分が、何をしていたのかも……分からずに……」
アリスは、涙をこぼしながら首を振る。
「いい……いいから……」
ミリアは、痛む身体を引きずるようにして、上体を起こした。黒炎は弱々しく揺れている。
「……謝るなら……生きて……終わらせてからにしなさい……」
その言葉に、エンリケは一度だけ、深く息を吐いた。
そして顔を上げる。視線は、街ではない。空の彼方。雷帝国研究所の最上階。
風が、再び集まり始める。
だがそれは、刃ではない。怒りだ。
「――そこにいるのだろう!!?」
エンリケの声が、街を震わせる。
「ランス!!!」
雷帝国研究所、最上階。割れた窓の向こうで、ランスは腕を組み、楽しげに口角を吊り上げた。
「やれやれ……」
小さく、呟く。
「こいつも、失敗作じゃねぇか」
その瞬間、風が消えた。いや、圧縮された。
次の瞬間、エンリケは風そのものになった。
地を蹴る音すらない。通りを、屋根を、空間を、一直線に切り裂いていく。
機械の出力が解放され、脚部が悲鳴を上げる。それでも止まらない。
一跳び。
雷帝国研究所の外壁を蹴り、最上階の窓を、風圧だけで破壊する。
ガラスが弾け飛ぶ。エンリケは、室内へ着地した。
「――貴様だけは!!」
風が、吼える。
「必ず倒す!!」
ランスは、愉快そうに肩をすくめた。
「いいねぇ……それでこそ、最高のデータだ」
一方、街路。ミリアは、歯を食いしばって立ち上がる。足が、震える。
「……行くわよ……」
ジャックが、剣を支えに身体を起こす。
「当たり前だろ」
クレイは、無言で拳を握り締める。炎が、弱く灯る。アリスは、空を見上げたまま、静かに言った。
「……お父さんを……一人には、させない」
ボロボロの身体。満身創痍。
それでも、四人は走り出した。
風の行く先へ。雷帝国研究所へ。
すべてを終わらせるために。




