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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第三章 機械の少女

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第三十四話 兄と妹

 旅立ちを翌日に控えた夜。

 炎龍国王城の一角、灯りを落とした書庫で、クレイは妹と向かい合っていた。


 机の上には書物が山と積まれている。歴史、法、領地運営、外交記録。

 どれも王族の学びに欠かせぬものだ。


「……まだ、やってたのか」


 クレイが言うと、クレアは顔を上げ、小さく笑った。


「当然でしょう。兄さんが炎帝を継ぐその時、私が何もできなかったら意味がないもの」


 炎帝リグーハンの血を引く娘。だが、クレアには魔力がない。それでも彼女は、学びを止めなかった。


「最大の助けになるって……そんな肩肘張らなくていい」


「いいえ」


 クレアは、はっきりと言い切る。


「兄さんが前に立つなら、私は後ろを支える。剣も魔法も使えない私にできるのは、それだけだから」


 一瞬、沈黙が落ちる。

 そして、クレアはぽつりと本音をこぼした。


「……でも、少しだけ。羨ましいとも思うの」


 クレイは眉をひそめる。


「羨ましい?」


「ええ」


 クレアは視線を落とし、指先を絡めた。


「過酷な遠征。命のやり取り。きっと、怖い……それでも、兄さんは外の世界を見ることができる」


 静かな声だった。


「私は、城の中で書物を読むことしかできない。でも兄さんは、自分の足で世界を知っている」


 クレイは、すぐに言葉を返せなかった。


 魔力は、血によって授かる可能性は高くなる。だが、いかに優れた家系であろうと、使えぬ者は使えない。逆に、先祖代々魔力と無縁の血筋から、爆発的な力を持つ者が生まれることもある。


 それは才能であり、呪いでもあった。


「……クレア」


 クレイは、妹の頭に手を置く。


「外を見るだけが、世界を知ることじゃない」


 クレアは驚いたように顔を上げる。


「お前が学んでいることは、俺が剣を振るより、ずっと多くの命を救う」


 少し照れたように、視線を逸らしながら。


「それに、俺が帰ってくる場所が、ここにあるのは心強い」


 クレアは、一瞬きょとんとし、やがて柔らかく笑った。


「……無事に、帰ってきてください」


「約束する」


 翌朝。

 城門の前で、クレアは三人を見送っていた。ミリアとジャックにも、丁寧に頭を下げる。


「兄を、よろしくお願いします」


「任せて」


 ジャックが軽く手を振る。


「ちゃんと生きて返すから」


 ミリアは、静かに頷いた。


 馬車が動き出す。石畳の音が、次第に遠ざかっていく。クレアは、姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。


 こうして三人は、風翔国へ向けて旅を開始する。


 伝承の地へ。

 狂気が蠢く国境の向こうへ。


 それぞれが背負うものを胸に、馬車は静かに走り出した。馬車は、炎龍国の城下を離れ、緩やかな街道へと入っていた。揺れは一定で、車内には束の間の静けさが流れる。


 その沈黙を破ったのは、ジャックだった。


「……仲のいい兄妹だな」


 何気ない一言。

 だが、どこか羨ましさも滲んでいる。


 向かいに座るクレイは、窓の外から視線を戻し、ふっと口元を緩めた。


「そうか?」


「そうだろ。空気が違う」


 クレイは肩をすくめる。


「君たちも、十分仲がいいと思うが」


 その言葉に、ジャックとミリアが同時に顔を向けた。


「それに」


 クレイは続ける。


「俺とクレアは、君たちみたいに……口論になったことすらない」


 一瞬の間。


 ミリアが、じとっとした目でジャックを見る。


「それは賢いからよ」


「ん?」


「妹の扱いを、ちゃんと分かってるって意味」


 ジャックは得心したように頷きかけて、ミリアの言葉の続きに眉をひそめた。


「ウチの兄は……アレだから」


「……アレ?」


 ジャックが聞き返すと、ミリアは当然のように言い放つ。


「察しなさい」


 沈黙。次の瞬間。


「ちょっと待った!アレとはなんだよ!」


 ジャックが声を張り上げる。


「お前こそアレだろ! いきなり殴ってくるし、言葉より先に拳だし!」


「はぁ!? そっちが余計な一言を言うからでしょ!」


「それはお前の短気が原因だろ!」


「なによその言い方!」


 馬車の中が、一気に騒がしくなる。クレイはその様子を眺めながら、静かにため息をついた。


「……なるほど」


 小さく、しかし確信を込めて。


「確かに、仲がいい」


 ミリアとジャックは同時にクレイを睨み、声を揃えた。


「どこが!」


 馬車は揺れながら、風翔国へと向かって進んでいく。口論もまた、旅の一部だった。


 そんなこんなで、馬車は炎龍国を北へ、北へと進んでいた。


 赤土の大地は次第に色を失い、風は乾き、空気がわずかに冷たくなる。

 遠くまで続いていた平原の向こう、視界の遥か先にそれは姿を現した。


 連なる山々。


 空を切り裂くようにそびえ立つ峰が、幾重にも重なり、地平線を塞いでいる。


 ミリアは思わず息を呑んだ。


「……あんなに、山が」


 馬車の御者が、苦笑混じりに手綱を引く。


「ここからが、本番だな」


 その言葉に応えるように、クレイが前方を見据えたまま、静かに口を開いた。


「風翔国は……」


 一拍置いて。


「……あの山を、いくつか越えた先にある」


 淡々とした口調だったが、その奥には覚悟が滲んでいた。ジャックが鼻で笑う。


「いくつか、ってのが嫌な言い方だな」


「実際、そうなんだ」


 クレイは否定しない。


「峠は険しく、天候も変わりやすい。国境に近づくほど、人の気配も薄れる」


 ミリアは、無意識に胸元へと手を添えた。黒炎龍の気配は、静かに内側で眠っている。

 だが山々は、ただそこに在るだけで、不吉な沈黙を放っていた。


 風翔国への道は、すでに始まっている。

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