第三十三話 龍の伝承
風翔国、とある施設。
「やめろ……やめてくれ……ッ!!」
男の悲鳴は、分厚い石壁に吸い込まれ、外へ漏れることはなかった。
白衣を纏った数人の人影が、無機質な手つきで男を押さえつける。
狂気の科学者・ディアドロ。
彼の表情に、感情はない。メスが振り下ろされ、肉が裂ける。金属音。何かを体内へと埋め込む音。
呻き声はやがて弱まり、やがて途切れた。
ディアドロは視線も動かさず、淡々と告げる。
「……非検体、死亡。失敗です」
「チッ……」
隣にいた科学者が舌打ちをする。
「死んだらメカにしても動かないからな……。アレに食わせておけ」
二人の研究員が、ぐったりとした遺体を引きずり上げ、奥へと運んでいく。
施設の最奥。重厚な鉄格子の向こう。そこには、かつては熊だったと思われる、異形の怪物がいた。
筋肉は不自然に肥大し、金属と肉が癒着した身体。赤く濁った眼が、檻の外を睨んでいる。
科学者が遺体を檻の中へ放り込むと、怪物は躊躇なくそれに喰らいついた。
骨の砕ける音。肉を引き裂く音。
「……おそろしい食欲だよな」
誰かが、乾いた声で呟く。
「こんなバケモノ……一匹だけってのが、唯一の救いだ」
動物を使った改造実験。成功例は、この一体のみ。
それまでに何度も失敗を重ね、ようやく完成したものの、制御不能。手に負えず、こうして監禁される結果となった。
それ以降、この施設で行われている実験は、人体のみ。ディアドロは書類をまとめ、施設の最上階へと向かう。
豪奢な内装。研究施設とは思えぬほどの部屋。
机の向こうに立つ男へ、報告書を差し出した。
「……現時点での成功率は、2.4%です」
紙に目を落とした男は、無言のままゆっくりと銃を構え、ディアドロへと向けた。
「2%切ったら、殺すぞ?」
低く、冷たい声。
「真面目にやれよ」
ディアドロの顔から血の気が引く。彼は何度も頷き、逃げるように部屋を後にした。
その背中を見送りながら、男は小さく笑う。
最初から、分かっていた。彼にとって、実験の成否などどうでもいい。
必要なのは、恐怖と、支配と、使い捨ての駒。
男の名は、
雷帝国三大将軍、その最後の一人。
雷銃のランス。
彼の笑みだけが、部屋に残っていた。
水明国での戦争から、一年。
炎龍国の空は、今日も澄んでいた。
兵士としての訓練を終え、汗と埃を落としきれないまま、ジャックとクレイは城下の一角にある馴染みの店へと足を向ける。
「お、来たか」
店主は、いつものように人の好さそうな笑みを浮かべていた。
年齢は不詳。髪には白いものが混じっているが、背筋は妙に伸びている。彼の話は、いつも少しだけ変だ。
「今日はどんな話だ?」
ジャックが腰掛けながら言うと、店主は鍋に火を入れつつ、語り出す。
「いやな、俺は本当は、別の世界の人間でな。確か……死んだはずだった」
「またそれか」
クレイが半眼で突っ込む。
「事故だったのか、病気だったのかも覚えてない。ただ、気がついたら、この大陸にいた」
店主は、懐かしむように湯気の立つ鍋を見つめた。
「それでな。どうしても、食いたくなったんだ。あの味を」
差し出された器には、白く艶のある麺と、澄んだ出汁。
「……前に言ってた、うどんってやつか」
クレイが呟く。
「本物とは違う。材料も、作り方もな。でも、近い素材をこの世界で探して、何度も失敗して……ようやく、ここまで来た」
ジャックは一口すすり、目を見開いた。
「……うまい」
「だろ?」
店主は満足そうに笑った。
「ネギ、三つ追加で」
間髪入れずにジャックが言う。
「……三つ?」
「当たり前だろ」
程なくして、山のように盛られた刻みネギが運ばれてくる。
クレイはそれを見て、ため息をついた。
「それはもう、ネギにうどんをトッピングしているだけだろ」
「これが美味いんだよ」
ジャックは悪びれもせず、豪快にすする。湯気と笑い声が、束の間の平穏を演出していた。
食後、城下の通りを歩いていると、鎧姿の兵士が二人の前に立ちはだかった。
「ジャック殿、クレイ殿」
表情は硬く、だが敵意はない。
「炎帝陛下がお呼びです。すぐに、炎帝の間へ」
ただならぬ空気に、二人は顔を見合わせる。
「……行くしかないか」
城へと向かい、重厚な扉が開かれる。
炎帝の間。
玉座の前には、すでに一人の少女が立っていた。
薄紅色の髪。見慣れた背中。
「……ミリア」
呼びかけると、彼女は振り返り、三人の視線が交わる。
再び、運命が動き出す。そう告げるには、十分すぎる静けさが、そこにはあった。
炎帝の間は、静まり返っていた。
玉座に座る炎帝リグーハンは、三人を順に見渡し、低く切り出す。
「風翔国の人口が、ここ一年で大幅に減っている」
その言葉に、ジャックが眉をひそめる。
「減ってる……って、戦争でもあったんですか?」
「いや。表向きは、何も起きていない」
リグーハンは首を横に振る。
「だが、街が痩せ細り、村が消え、人の往来が途絶えている。噂では雷帝国が裏で関わっていると」
クレイの表情が険しくなる。
「……やはり、動き出しましたか」
炎帝は続けた。
「そこでだ。お前たち三人に、再び調査を依頼したい」
ミリアは、黙って頷く。
「ただし、一つ条件がある」
リグーハンの視線が、ミリアへと向けられた。
「風翔国は、古い伝承と因習を重んじる国だ。黒炎龍を宿していることは、可能な限り伏せて行動しろ」
「……なぜです?」
ジャックが、率直に問い返す。その瞬間、クレイが小さく息を吸い、静かに口を開いた。
「それは、風翔国に伝わる“龍の伝承”が原因だ」
そして、まるで暗誦するように語り始める。
――人の世が、戦乱に覆われし時代のこと。
大陸は火と血に染まり、王も将も領地も、争いの炎に喰われていた。
人々は互いを疑い、奪い、滅ぼし合う。誰も、未来を語ることはできなかったという。
その時、天空の奥深くより、二柱の龍が目覚めた。
一柱は、漆黒の鱗をまとい、炎の如き瞳を燃やす――黒炎龍。
もう一柱は、銀白の雷を纏い、嵐の如き轟きを宿す――白雷龍。
つがいの龍。
古の伝承に曰く、二つの力は世界の均衡を司る者。
黒炎龍は怒りを糧に、敵を焼き尽くし、世界を焦土と化す存在。
白雷龍は正義と裁きの雷を振るい、暴虐を貫き、天罰を下す存在。
人は龍を畏れ、恐れ、時にその力を宿す。
だが、一度龍の力を受け入れれば、もはや人ではいられず、世界の秩序を揺るがす者となる。
そして再び、世界が争いに染まるとき――
黒炎と白雷は、大陸を裂き、天空を焦がす。
戦火の時代は、龍の咆哮とともに幕を開ける。
語り終え、クレイは静かに結論づけた。
「……つまり、黒炎龍は厄災として、白雷龍は正義として伝えられている」
ジャックは顔をしかめる。
「ずいぶん、都合のいい話だな」
ミリアは、何も言わなかった。その代わり、胸の奥に意識を落とす。
(……そうなの?)
問いかけに、黒炎龍は一拍置いて答えた。
『さあね。私が黒いから、勝手なイメージで作られたのか……それとも、妬んだ者がそう語ったのか』
声音には、わずかな苛立ちが混じる。
『少なくとも世界を壊そうと躍起になるのは、いつも奴の方よ』
ミリアは、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
炎帝リグーハンは、三人を見据える。
「以上だ。危険な任務になる」
「それでも、行きます」
答えたのは、三人同時だった。
「よし」
炎帝は、満足そうに頷く。
「遠征の日取りと準備は、追って伝える。備えを怠るな」
こうして、三人は再び動き出す。
風翔国へ。伝承の裏と、雷帝国の狂気が待つ地へ。
知らぬまま信じられてきた“正義”と“災厄”が、再び試されようとしていた。




