第三十話 純黒の死神
雨に濡れた戦場の中心で、二人は向き合っていた。
黒炎を纏う少女と、漆黒の戦乙女。ミリアが、先に踏み込む。
「黒炎拳!」
拳に凝縮された黒炎が、一直線に放たれる。だが、グロリアは半歩、身体をずらしただけだった。
拳は、空を裂く。
「遅い」
冷たい声。続けざまに、ミリアは跳ぶ。
「黒龍脚!」
黒炎を纏った回し蹴り。鎧も骨も砕くはずの一撃だった。しかしグロリアの大鎌が、正確にその軌道をなぞる。
ガァン、と鈍い音。
黒炎が散り、蹴りは完全に止められた。
「……っ!」
体勢を崩した、その瞬間。グロリアの斬撃が、容赦なく降り注ぐ。
「魔黒斬波」
純黒の斬撃が、雨を裂き、ミリアを呑み込む。
「火柱鎧!!」
咄嗟に、ミリアの周囲に黒炎の柱が噴き上がる。
防御。否、必死の抵抗。
だが。
ギィン、と嫌な音が響いた。
黒炎の鎧が、切り裂かれる。
「――っ!?」
衝撃とともに、ミリアの身体が吹き飛ばされる。地面を転がり、膝をついた瞬間、胸元に熱が走った。赤いものが、雨に混じって滴る。胸部を、浅く切られていた。
「……くっ」
息が詰まる。致命ではない。だが、確実に通された。その時、ミリアの内側で、黒炎龍が低く囁いた。
『……分かったわ』
静かで、だが緊張を帯びた声。
『奴の黒い魔力は、他の魔力を吸収している』
ミリアは、歯を食いしばる。
『まるで、黒が光を吸い込むように……あなたの黒炎が、削がれている』
「そんな……」
ミリアが呟くより早く、グロリアが鼻で笑った。
「ふふ……なるほど」
大鎌を肩に担ぎ、見下ろす。一歩、近づく。
「あなた如きにやられた暗月の覇王……」
嘲りを隠そうともしない声。
「噂ほど、大したことはなかったようだわ」
その言葉が、ミリアの胸に突き刺さる。
ゴウガを。彼の覚悟を。
託された想いを踏みにじる、その一言。
ミリアの中で、何かが、静かに音を立てて軋んだ。
胸の奥で、怒りが爆ぜた。
踏みにじられた想い。侮辱された、ゴウガの名。
「……許さない」
ミリアの全身から、黒炎が噴き上がる。
空気が歪み、龍の輪郭が形を成しかけた。
「――黒炎龍!!」
だが、その瞬間。
『待ちなさい!!』
黒炎龍の声が、鋭く割り込む。
ミリアの動きが、強制的に止められた。
『今、あれを放てば――』
声が、低く沈む。
『吸収される。グロリアに』
ミリアの瞳が、見開かれる。
『あの女の黒は、魔力そのものを喰らう。黒炎龍を丸ごと吸い込めば……』
一拍、置いて。
『次の一振りで、この戦場すべてを無|に返す』
「……っ」
躊躇。それは、一瞬。だが致命的だった。
「どうしたの?」
嘲る声。
止まったミリアに、グロリアが踏み込む。
「迷うのね」
閻魔一閃には及ばない。だが、純黒の斬撃が、確実にミリアを捉えた。
「ぐっ!」
血が、舞うさらに、もう一太刀。
ミリアは膝をつき、雨に手をついた。息が、追いつかない。
黒炎龍が、沈黙する。今は、何も言えなかった。
周囲では、誰も動けない。
槍を支えに立つアリウム。
剣を手放し、血に濡れたまま膝をつくジャック。
倒れ伏す、無数の兵士たち。
見守ることしか、できなかった。
「……ふふ」
メアリは、クレイから視線を逸らさない。細剣を構えたまま、陶酔したように語り出す。
「グロリア様の美しさの前では……すべてが無なの」
雨粒が、頬を伝う。
「艶のある黒。全てを飲み込む純黒……」
微笑みが、歪む。
「その手に、殺されることを……私は、光栄に思う」
「ふざけるな!!」
クレイが吼え、炎の剣を振り抜いた。怒りを乗せた、渾身の一撃。
だが、メアリの剣技は一流だった。細剣が、炎の剣を受け流し、踏み込む。
一瞬。
「――っ!」
逆に、クレイが突かれる。
急所は、外した。だが、肩、腹、太腿。
血が噴き、クレイは後退る。立っているのが、不思議なほどだった。
「あぁ……」
メアリは、恍惚とした表情で呟く。
「私も、いっそ……」
刃を胸元に引き寄せる。
「グロリア様に、殺されたい」
そして、囁く。
「いいえ……殺されるのではなく……」
瞳が、狂気に染まる。
「純黒の中に、溶け込みたいの」
戦場は、完全な絶望に沈んでいた。
誰もが、次の一手を失い。
ただ、純黒が世界を塗り潰すのを、待つだけだった。
「……これで、終わりにしましょう」
グロリアが、そう告げた。
感情はない。
勝利の昂ぶりすらない。
ただ、終わらせる者の声|だった。
大鎌が、ゆっくりと持ち上げられる。刃は黒く、雨を吸い込み、光を返さない。
グロリアは一歩、前へ。
構えが、変わる。それは戦士のものではなかった。殺戮者のものでもない。
命を刈り取るためだけに存在する死神の構え。
「閻魔一閃」
低く、確定した宣告。純黒が、刃の周囲に集まる。魔力ではない。意志でもない。
終焉そのものが|、形を得たかのようだった。
雨音が、消える。戦場のざわめきが、遠ざかる。
その瞬間、ミリアの視界に映ったのは……
漆黒の鎧。死を刈る大鎌。
そして、顔のない死神。
グロリアの姿が、それと完全に重なった。




