第二十九話 ジャックの引き出し
水帝ラグーナシアが、膝をついた。
それは一見、水明国の敗北を意味していた。
王が倒れ、戦場の象徴が失われた。そう見えても、無理はない。
だが、雷帝国の狙いは、そこではない。
必要なのは完全支配。水帝の息の根を止め、兵士長アリウムを討ち、炎龍国からの使者までも排除し、水の都そのものを掌中に収めること。
――まだ、終わっていない。
「……グロリア様の気持ちを、振り向かせるには」
ラグーナシアへと歩み寄りながら、メアリが静かに言う。
「あなたには、消えてもらうわ」
細剣が、一直線に突き出された。だが、甲高い音とともに、刃は弾かれる。
「させない!」
割り込んだ影はクレイだった。
「同盟国代表として!」
剣を構え、ラグーナシアの前に立つ。メアリの唇が、歪む。
「……邪魔」
次の瞬間、二人は同時に踏み込んだ。細剣と剣が、雨の中で火花を散らす。
速さと精密さのメアリ。
重さと意志のクレイ。
譲れないもの同士の、真正面からの衝突だった。
――その頃。
戦場の別の一角で、黒炎を纏うミリアが暴れていた。黒龍脚が兵士を薙ぎ払い、火炎斬りが鎧ごと敵を断つ。数で来ようと、怯みはない。
そこへ。
「……あの時の続きを、しましょう」
低く、苛立ちを隠しきれない声。グロリアが、ミリアの前に立った。
「あなたなら……容赦なく、切り裂けるでしょう?」
黒と黒が、向き合う。空気が、張り詰める。
戦場の中央。
「百烈突!」
アリウムの槍が、嵐のように突き出された。ついに、鉄壁を誇ったゴッサムの防御が崩れる。
巨体が、膝をつき倒れた。
「……守るだけじゃ、勝てねえよ」
吐き捨てるように言うアリウム。だが、その肩は大きく上下し、槍を支える腕も震えていた。
簡単な勝利では、決してなかった。
そしてなおも続く、二人の死闘。
サイガと、ジャック。
拳、蹴り、剣。
距離が詰まり、離れ、またぶつかる。
ジャックは、押されていた。
互いに距離を取った、その瞬間。
詰め寄るサイガに向けて、ジャックの懐から、何かが放たれる。
それは、思いつきの武器ではなかった。
――少し前。
アリウムとの修行の最中、ジャックは息を切らしながら、ぽつりとこぼしていた。
「……ミリアやクレイみたいにさ。俺にも、遠くから攻撃できる引き出しがあればいいんだけどな」
剣しか持たない自分。
魔力もない自分。
正面から斬り合うしかない現実への、素直な悩みだった。それを聞いたアリウムは、少し考え込み、やがて言った。
「昔、書物で読んだ話だ」
水の都の訓練場で、槍を肩に担ぎながら。
「東の島国に、忍者と呼ばれる戦士たちがいたらしい。魔力は使わず、身体と道具だけで戦う連中だ」
「ニンジャ?」
「ああ。その中に――」
アリウムは、指で空に六角形を描く。
「六角手裏剣、って武器があったそうだ。棒状で、投げても刺さるし、当たれば十分に致命になる」
その言葉に、ジャックの目が輝いた。
「……それ、俺でも使えるか?」
「使えるかどうかは、工夫次第だな」
アリウムは笑い、続けた。
「水の都には、腕のいい鉄職人がいる。頼んでみる価値はある」
そして数日後。
水路沿いの工房で、ジャックはそれを受け取っていた。六角の棒状。余計な装飾はなく、ただ投げるためだけに研がれた鉄。
何本かを懐に忍ばせ、何度も、何度も投げて、距離と癖を身体に叩き込んだ。
――そして、今。
六角手裏剣は、狙い違わずサイガの肩を捉えた。
「魔力のない俺にも、遠距離攻撃ができるんだぜ!」
「……っ」
一瞬の怯み。ジャックは、そこを逃さない。
踏み込み、斬る。サイガも、歯を食いしばり迎撃する。剣と剣はぶつからなかった。
すれ違い。互いの刃が、互いの身体を裂く。二人は同時に血を吹き出し、その場に膝をついた。
荒い呼吸。
沈黙。
その中でサイガが、笑った。
「お前……」
ふらつきながらも、顔を上げる。
「過去最高だ。文句なし、過去一!」
そして。敵同士。今まさに、殺し合っていた相手に。サイガは、手を差し出した。
「……?」
警戒するジャック。
だが、サイガの目は、あまりにもまっすぐだった。
気づけばジャックは、握っていた。血に濡れた、握手。
「今日は引き分けだ」
サイガは、ふらふらと立ち上がる。
「次は、ねぇ」
それだけ言い残し、戦場を去っていった。残されたジャックは、握った手を見つめながら、静かに息を吐く。
戦いは、まだ終わらない。
だが確実に、決着へと近づいていた。
ハイドの視線だけは、一点から離れなかった。
黒炎を纏い、なお立ち続ける少女。雷帝国の兵を薙ぎ払い、漆黒の戦乙女と対峙しようとしている存在。
ミリア。
ハイドは、わずかに目を細める。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもない、低い独白。
恐怖はない。焦りもない。丘の上で、雷が微かに鳴った。ハイドの周囲に、薄く白い光が走る。
「黒炎龍……」
その名を、確かめるように口にする。
「やはり、お前は――」
言葉は、最後まで紡がれなかった。ハイドは踵を返す。雷帝ハイドは、戦場を去った。その背に残された雷鳴だけが、これから訪れる真の戦いを、静かに告げていた。
※六角手裏剣とは
主に日本の伝統的な投擲武器である棒手裏剣の一形態で、断面が六角形の金属棒を加工したものを指します。
棒状の手裏剣で、横断面が六角柱状。尖端を三角錐状や円錐状に削って鋭く仕上げることが多く、全長は約15cm前後、重量は30g〜90g程度のものが一般的です。
ステンレス鋼や鉄製が多く、現代の練習用や観賞用として販売されています。




