第二話 黒炎龍の力
ミリアは意識を失ったまま、深い夢の中にいた。
目の前に現れたのは、あの黒炎龍。
だが、瞳の奥には人のような知性が宿っている。
「目覚めたのね、私の宿主……」
黒炎龍の声は女性の口調で、柔らかくもどこか冷たい響きがあった。
「あなたは……?」
ミリアは問おうとしたが、黒炎龍は微笑むだけで答えない。
「この戦争には裏がある。必ず、白雷龍が関わっている」
「白雷龍……?」
ミリアがその名を口にする。
「荒ぶる雷の化身。乱世を好み、争いを楽しむ龍よ。あなたが今目にしている戦火も、必ずその影響を受けている」
「……でも、何故私に……力を?」
ミリアは問いかけようとした瞬間、眩い光と熱に包まれ、意識が引き戻される。
目を開けると、そこには兄・ジャックが膝をついて心配そうに見下ろしていた。
「ミリア!起きたか、よかった。うなされてたけど、夢でも……何かあったのか?」
ミリアはぼんやりと頷く。体の奥で、まだ黒炎龍の力がうずいているのを感じた。
その日、火花村の村長が家にやってきた。
老人は落ち着いた声で、かつて伝わっていた黒炎龍の伝承を語る。
「お前は選ばれし者じゃ……国を救う力を宿す者だ。どうか、その力を大陸のために使ってほしい」
ミリアの隣で、ジャックも決意を固める。
「俺も一緒に行く。ミリアを一人にはできない」
こうして、黒炎龍の力を宿した少女と、双子の兄の旅が始まる。
火花村を後にし、戦火と陰謀に満ちた大陸へと足を踏み出した。
紅蓮町へ続く街道には、昼でも薄い霧が漂っていた。人通りは少なく、風の音だけが耳に残る。
「……なんか変な道だね」
「気にすんな。地図じゃ最短ルートだ」
そんな会話を交わす二人の前に、数人の影がふらりと現れた。
「おいおい、ガキが二人で旅かよ」
「度胸あるじゃねぇか。ここらは物騒だぜ?」
露骨に笑いながら、チンピラたちは道を塞ぐように広がる。
ミリアの肩はわずかに震えたが、隣のジャックは眉一つ動かさなかった。
「どけよ。急いでるんだ」
「お? なんだその口の利き方は」
挑発しようと踏み込んだ男の胸元へ、ジャックの右拳が滑り込んだ。
――ドゴッ。
鈍い音とともに、男は地面を転がり、木の幹に激突して動かなくなった。
「……っ!? な、なんだこいつ!」
ミリアは驚きながらも、胸の奥が納得していた。
父が拳法家だったこと。
幼い頃から叩き込まれた型。
嫌々続けていた自分と違い、ジャックは早くから才能を見せ、何より楽しんでいた。
――兄は、強い。
しかしチンピラの一人は、倒れた仲間に怯むどころか、ミリアへ目を向けて歪んだ笑みを見せた。
「じゃあ……女のほうからいくか」
その瞬間だった。
体が勝手に動いた。
視界が狭まり、音が遠のき、ただ腕が伸びた。
拳が相手の顎をとらえる。
――ボウッ。
右拳に黒炎が灯り、弾けるように燃え上がった。
「ぎ、ぁあああああああっ!!」
叫ぶ暇もなく、男の体は後ろへ吹き飛び、地面を焦がしながら倒れた。
動かない。呼吸もない。
……死んだ。
ミリアは自分の手を見つめたまま、声が出なかった。
黒炎はすぐに消えたが、焼けつくような感覚だけが残っている。
「ミリア……大丈夫か!?」
ジャックが駆け寄る。
しかし他のチンピラたちは、その光景を見た途端に顔を青ざめさせた。
「や、やべぇ……あいつ、死んでる!!」
「化け物だ……!」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
残されたのは、焦げた土の匂いと、震えるミリアだけだった。
「わ、私……いま……」
ジャックは静かに妹の肩を抱き寄せる。
「ミリアのせいじゃない。殺される前に、反射的に……」
言いながら、ジャック自身の声も僅かに震えていた。
妹が人を殺した事実。
そしてその力が、あまりにも危険であることを理解したからだ。
ミリアは拳を握りしめる。
黒炎が宿ったこの手で、人を殺してしまった。
だがその奥底で、黒炎龍の声が微かに響いた。
「これは序章にすぎないわ、ミリア」
それから数時間歩き続け、夕日が沈みかけた頃、視界の先に赤い屋根が連なる大きな町が見えてきた。
「……紅蓮町だ」
ジャックが息をつきながら呟く。
町の門は開きっぱなし。
兵士も門番もいない。
代わりに、行き交う人々の談笑や、屋台の匂いが漂っていた。
「ねぇ、兄さん……ここ、本当に暗月国に支配されてるの?」
「……俺も、聞いてた話と全然違う」
暗月国に占領された町は重税と監視、兵の巡回で荒れ果てている。それが大陸での常識のはずだ。
だが、紅蓮町はあまりにも平和すぎた。
子供たちは笑いながら駆け回り、
商人は値切り交渉で店主と叫び合い、
酒場からは酔っ払いの歌声が響く。
支配の影など、どこにも見当たらない。
門をくぐった瞬間、ミリアは胸に微かなざわつきを覚えた。
――黒炎龍の気配が、ほんの少しうずいたのだ。
(何か……変だ)
町を歩きながら、ミリアはじっと周囲を観察した。
誰もが普通に暮らしている。
暗月国の軍服を見つけることもない。
「お客さん、旅人かい?」
八百屋の女主人が愛想よく声をかけてくる。
「あ、はい。この町……暗月国の占領下だって聞いたんですけど……」
女主人は少しだけ首を傾げ、困ったように笑った。
「はは、そんな噂、まだ信じられてるのかい? この町はほら、見ての通り平和そのものさ」
そう言い残し、再び客の相手に戻っていく。
ミリアとジャックは顔を見合わせた。
「……どういうことだ?」
「うん……ぜんぜん、違う……聞いてたのと……」
ほんの数歩先では、子供が転んで泣き、母親が優しく抱き上げていた。
この町の異常な平和には理由があった。
紅蓮町を任されている暗月四天王レイアは、侵略にも搾取にも興味がない異端の将。
側近のガイツもまた穏健派で、町の生活を壊そうとしない。
表向きは暗月国の占領地。
だが、実態はほぼ自治状態。
レイアとガイツが裏で調整し、町を守っていた。
しかし、紅蓮町の警備塔で、黒衣の影がミリアを見つけて息を呑む。
ゴリガン。
一話でミリアと遭遇した暗月兵。
あの時の黒炎に怯え、逃げ延びた兵士だ。
「黒炎……! あのガキ……生きていやがった……!」
彼はレイアの穏健政策に反対する強硬派。
本来の圧政こそ正しいと信じている。
ゴリガンはそのまま連絡陣へ駆け込み、報告を書き殴った。
『黒炎を宿した少女、紅蓮町に確認至急、対応が必要』
その報告が、紅蓮町に波乱を呼び起こす。
ミリアとジャックはまだ知らない。
この町の平和を守ろうとする者と、それを壊したい者。
どちらも、すでに二人を注視していることを。




