第二十八話 水帝と漆黒
白兵戦の只中。
剣と槍がぶつかり合い、怒号と悲鳴が雨に溶けていく戦場へ、ミリアとクレイが踏み込んだ。
「クレイ、行ける?」
「任せろ!」
ミリアが地を蹴る。
「黒龍脚!」
黒炎を纏った回し蹴りが、一直線に雷帝国兵を薙ぎ払った。鎧ごと砕かれた兵士が吹き飛び、後続が一瞬、足を止める。
その隙を逃さず、クレイが前に出た。
「はああっ!」
剣を振り抜くと、刃から迸る炎が弧を描く。
「火炎斬り!」
燃え盛る斬撃が兵列を切り裂き、数人まとめて地面に叩き伏せる。水明国兵たちの士気が、一気に跳ね上がった。
「押せ! 今だ!」
だが、戦場の空気がふと冷える。
その中心で、一人の女が舞っていた。
メアリ。
細剣が閃くたび、派手な音はしない。血も、ほとんど上がらない。
ただ、兵士たちが崩れ落ちていく。
喉。鎖骨の隙間。脇腹の影。
致命だけを、正確に。
「……ふふ」
恍惚とした微笑みを浮かべながら、彼女は進む。
視線の先には、常にただ一人――グロリアの背。
その少し離れた場所。
水明国の陣の奥で、二人の視線が、静かに交差した。
漆黒の戦乙女・グロリア。
大鎌を肩に担ぎ、ゆっくりと歩み出る。
その前に立つのは、水帝ラグーナシア。
グロリアは、口元を歪めた。
「……王が前線に出るなんて」
雨に濡れた石畳を踏みしめ、冷たく言い放つ。
「舐めてるわね」
挑発。だが、ラグーナシアは答えない。
ただ、静かに息を整え、水の魔力を凝縮させる。
次の瞬間、彼女の手に現れたのは、水で形作られた巨大な斧。
水の大斧。
刃から滴る雫が、地面に落ちるたび、鋭い音を立てる。
グロリアは、その姿をじっと見つめた。
戦乙女と、水帝。
戦場の喧騒が、遠ざかる。二人の間に、張り詰めた沈黙だけが落ちていた。
水の大斧が、唸りを上げた。
「水帝魔斧・蒼断!」
ラグーナシアが踏み込み、横薙ぎに振るう。蒼く輝く斧刃が、水流を伴って一直線に走り、空気そのものを切り裂いた。
だが、グロリアは笑った。
「遅い、魔黒斬波」
大鎌が振るわれ、純黒の斬撃が放たれる。蒼断と魔黒が正面から衝突し、爆ぜるような衝撃が戦場を揺らした。
水と闇が霧散し、雨と混じって降り注ぐ。
間髪入れず、ラグーナシアが斧を叩きつけた。
「水帝魔斧・睡蓮花!」
斧を中心に、水が花弁のように広がる。幾重にも重なった水刃が、咲き誇る蓮の如くグロリアを包囲した。
だが、グロリアは止まらない。
「魔黒列断」
大鎌が高速で振るわれ、黒い斬撃が連なって走る。水の花弁が次々と断ち切られ、砕け、消えていく。
互角。
否、わずかにグロリアが押している。それでもラグーナシアは、斧を下ろさなかった。
「……あなたは、こんな場所で戦う人じゃない」
戦いの最中、静かに言葉を投げる。
「力を誇示するために刃を振るう人ではないでしょう、グロリア」
その名を呼ばれた瞬間。
グロリアの動きが、ほんの一瞬、鈍った。
「黙れ」
だが、ラグーナシアは続ける。
「あなたの剣は……誰かを守るためのものだった」
雨音が、遠ざかる。
記憶が、引きずり出される。
まだ、剣が重くなかった頃。
まだ、血が当然ではなかった頃。
城の庭。並んで腰掛けた、若き日の二人。
「……ねえ、ラグーナシア」
言葉は、震えていた。
「私は、あなたのことが……」
雨ではない。あれは、涙だった。
ラグーナシアは、困ったように微笑んだ。
「あなたは、最高の友達よ」
その一言が、優しさだったことは分かっている。
だからこそ。
「でも……付き合うとか、そういうのは……」
視線を逸らし、続ける。
「女同士だし」
その瞬間。
何かが、音を立てて壊れた。
いや、違う。
最初から、壊れていたのだ。ただ、覆い隠していただけで。
現実へと引き戻され、グロリアの瞳が、冷たく凍る。
「……説得は、終わり?」
大鎌を、正面に構える。
「なら、終わらせる」
漆黒が、爆発的に膨れ上がる。鎌の刃が、歪み、闇そのものの形を成す。
「閻魔一閃」
死神を思わせる純黒の一撃。世界を裁断するかのような、絶対の斬線。
ラグーナシアは、逃げない。斧を構え、正面から受け止めようとする。
だが、刃がわずかに逸れた。
迷い。ほんの、刹那。
それでも、斬撃は重すぎた。
「……っ」
ラグーナシアの身体が、吹き飛ばされる。地面を転がり、最後に膝をつく。
水の大斧が、音を立てて崩れ落ちた。血が、石畳に滴る。立ち上がろうとしても、力が入らない。
戦闘不能。
それでも、ラグーナシアは顔を上げ、グロリアを見た。
その瞳には、恐怖も、憎しみもなかった。
ただ悲しみだけが、あった。




