第二十三話 王の裁き
バガンが一歩、踏み出した瞬間だった。
大地が沈む。その巨体が動くだけで、戦場が震える。
「来い、水帝!」
両腕の金棒が、雷鳴のような音を立てて振り上げられる。一撃で城壁すら粉砕しかねない、純粋な暴力。
ラグーナシアは、動じない。彼女は静かに、虚空へと手を伸ばした。水が集まる。霧が凝縮し、魔力が形を持つ。
次の瞬間、彼女の手の中に現れたのは、細身の体には不釣り合いなほど巨大な、蒼き大斧だった。
「……は?」
雷帝国兵の誰かが、思わず声を漏らす。
柄だけでも人の身長ほど。刃は広く、厚い。自身より大きなそれを、ラグーナシアは軽く肩に担いだ。
「なめるなァ!!」
バガンの怒号と共に、双金棒が振り下ろされる。空気が裂け、衝撃波が先に走る。 ラグーナシアは一歩、前に出た。大斧を、横に振る。
「水帝魔斧・蒼断」
斧が空を切った、その軌道に、圧縮された水と魔力が重なり、壁のような一撃となって叩きつけられた。
金棒と斧が激突する。
轟音。
「……なに?」
弾かれたのは、バガンの方だった。巨体が数歩後退し、地面に深い溝が刻まれる。
「ば、バガン様が……押された!?」
雷帝国兵がざわめく。ラグーナシアは、淡々と告げた。
「力任せですね。ですがそれは、制御された魔力には及びません」
次の瞬間。
彼女の足元から、水が爆発的に噴き上がる。
それは足場となり、推進力となり、水上を滑るように、ラグーナシアは一気に間合いへ踏み込んだ。
「ぬおおおおっ!!」
バガンが双金棒を振り回し、迎撃する。だが、その全てを大斧が、受け止め、弾き、いなす。
あり得ない光景だった。
細身の女が、雷帝国三大将軍の怪力を、正面から捌いている。
「ば……かな……!」
バガンの動きが、わずかに乱れた。そのわずかを、水帝が見逃すはずがなかった。
「終わりです」
ラグーナシアは大斧を、真上に掲げる。
空が、暗転する。
周囲の水分、霧、血潮、空気中の水素。すべてが彼女の斧へと吸い寄せられていく。
「水帝奥義・覇断蒼天」
振り下ろされた一撃は、斧であり、津波であり、王の裁きだった。
バガンは咄嗟に金棒を交差させ、防御する。
だが。
砕けた。
金棒が折れ、鎧が潰れ、巨体が、地面へと叩き伏せられる。
衝撃で、戦場全体の霧が吹き飛んだ。
土煙が晴れたとき。
そこにいたのは、地面に膝をつき、動けなくなったバガンの姿だった。
「……ぐ、ぁ……」
ラグーナシアは、大斧を肩に担ぎ、静かに見下ろす。
「双金棒の鬼。あなたの力は、確かに脅威でした」
一歩、近づく。
「ですが王の魔力とは、力そのものを支配するものです」
バガンは、悔しげに歯を食いしばり、笑った。
「……はは……なるほどな……水帝……伊達じゃねぇ……」
そのまま、意識を失う。
戦場が、静まり返った。
水明国兵士たちは、呆然とその光景を見つめる。
次の瞬間、歓声が上がった。
「水帝様が……勝った……!」
ラグーナシアは振り返り、戦場全体を見渡す。
その姿は、間違いなく帝だった。
水帝ラグーナシアとバガンの激突が、戦場の片隅にまで轟いていた。
だがミリアの視界には、ただ一人の敵しか映っていない。
漆黒の戦乙女・グロリア。
彼女は大鎌を構え、静かに立っていた。
霧の中、その姿だけが、異様なほどはっきりと見える。
「……来なさい」
感情のこもらない声。
ミリアは、歯を食いしばった。足元から、黒炎が噴き上がる。熱ではない。破壊そのものの炎。
「黒炎拳ッ!!」
一気に踏み込み、拳を叩き込む。空気が歪み、黒炎が爆ぜる。
ガギンッ!!
乾いた金属音。グロリアは、大鎌の柄で正面から受け止めていた。刃ではなく、柄で。
「……っ!?」
ミリアの拳が、弾かれる。黒炎が、大鎌の表面を舐めるように走るが傷一つ、つかない。
「闇の魔力……!?」
ミリアが息を呑む。グロリアは答えない。大鎌に、黒く濁った魔力を流し込む。
「この鎌は、破壊されるための武器ではありません」
低く、静かな声。
「殺すためのものです」
次の瞬間、大鎌が横薙ぎに振るわれる。
ミリアは反射的に跳ぶ。刃が通った空間が、音もなく裂けた。遅れて、地面が分断される。
「……っ、あぶな……!」
着地と同時に、ミリアは回転し、脚を振り抜いた。
「黒龍脚ッ!!」
黒炎を纏った回し蹴り。龍の尾のような軌道。
ギィンッ!!
再び、大鎌が受け止める。
今度は刃で。黒炎が、刃とぶつかり、火花のように散る。それでも、刃は欠けない。グロリアは、ほんのわずかに目を細めた。
「……噂以上ね」
そう呟きながらも、感情は揺れない。ミリアは、拳を握り直す。
(通らない……!)
黒炎は、確かに効いているはずだ。だが、壊せない。
――その時。
戦場の空気が、変わった。
轟音。水の奔流。
遠くで、巨大な衝撃が走る。
ミリアは、思わず視線を向けた。
そこに見えたのは――
地に伏す、双金棒の鬼・バガン。
「……水帝が、勝った……?」
その瞬間。
グロリアの動きが、止まった。彼女は戦場全体を一瞥する。崩れ始める雷帝国兵の陣。
そして、ミリアへ視線を戻す。
「……ここまでですね」
それだけ告げると、グロリアは大鎌を肩に担いだ。
「逃げるの!?」
ミリアが叫ぶ。
グロリアは振り返らない。
「退くのです。勝ち目のない戦を、続ける趣味はありません」
黒い霧が、彼女の足元から立ち上る。
「次に会う時は、最後までやりましょう」
そう言い残し、グロリアの姿は霧の中へ溶けていった。
戦場に、静寂が戻る。
――別の場所では。
「押し返せ! ここが踏ん張りどころだ!」
クレイの声が響く。彼を先頭に、水明国兵と混成部隊が、雷帝国兵を押し返していた。
数で勝っていても、士気が違う。水帝の勝利を見た水明国兵は、退かない。
やがて雷帝国兵は、完全に退却を始めた。
霧が晴れる。残されたのは、守り切った城と、生き残った兵士たち。
「……終わった、の?」
ミリアが、呟く。黒炎が、静かに消えていく。
ラグーナシアが、こちらへ歩いてくる。その背中は、揺るがない。
「はい。あなた達のおかげで、水明国は守られました」
静かな声だった。
だが、その一言にすべてが、詰まっていた。
こうして、雷帝国の侵攻は退けられ、水明国は防衛に成功した。
しかし、ミリアは知っていた。
あの漆黒の戦乙女は、まだ本気を見せていない。




