第二十一話 三つ目の道
夜。焚き火を落とし、三人は闇に身を沈めていた。
霧は相変わらず濃く、水の都の輪郭は、遠くに淡く滲んでいる。
ミリアは、静かに目を閉じた。
(……黒炎龍)
胸の奥に、意識を沈める。
すぐに、あの声が響いた。
『地上も地下もダメなら、上空はどうかしら?』
黒炎龍は、楽しげに言う。
「……そんな無茶な」
思わず、ミリアは小さく呟いた。
『無茶かどうかは、やってみるまで分からないわ。水は流れ、地は塞がれている。なら、残る道は空よ』
ミリアは、ため息をつきつつも、目を開けた。
「……ねえ」
焚き火の残り火を挟んで、ジャックとクレイを見る。
「黒炎龍が、上から行けって」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ジャックがニヤリと笑った。
「やっぱりな!俺も、上しかねえと思ってたぜ」
「えっ……?」
ミリアが目を瞬く。
「だってよ」
ジャックは、空を指さす。
「地上も地下も塞がれてんなら、残ってんのはそこだろ?ミリアとクレイ、二人とも火を使える。だったら、お手製の気球でも作りゃ、いけんじゃね?」
あまりに軽い言い方に、ミリアは頭を抱えた。
「簡単に言わないでよ……」
クレイは、腕を組み、しばし黙考する。
「……素材調達、製作時間、それに見つかれば矢の餌食だ」
淡々と、問題点を挙げていく。
「現実的じゃない」
「でしょ?」
ミリアが即座に同意する。
だが――クレイはそこで言葉を切り、霧の向こうを見つめた。
「……ただ」
二人が、同時にクレイを見る。
「水の都は、谷の底にある。昼夜の温度差で、強い上昇気流が発生するはずだ」
ジャックが、眉を上げた。
「つまり?」
「完全な気球じゃなくてもいい」
クレイは、ゆっくりと言う。
「運ばせるだけなら、自然の流れを使える」
ミリアは、はっとした。
「……上から侵入するんじゃなくて、伝えるんだ」
クレイは頷く。
「水明国に、助けが来たことを。雷帝国を外から叩くだけじゃない。内側からも、動いてもらう」
挟み撃ち。
その言葉の重みが、三人の間に落ちた。ジャックが、楽しそうに笑う。
「いいじゃねぇか、らしくなってきた」
ミリアは、空を見上げる。
霧の向こう。
水の都の上には、まだ誰も見ていない道がある。
「……無茶だけど」
そう前置きしてから、彼女は言った。
「やる価値は、ある」
夜明け前。
空はまだ群青色に沈み、霧だけが白く漂っていた。焚き火は完全に消され、三人は岩陰で静かに動いている。
「気流の読みは……黒炎龍に頼るしかない」
クレイの言葉に、ミリアは小さく頷いた。
目を閉じ、意識を内へ沈める。
(お願い、導いて)
胸の奥で、黒炎が静かに灯る。
『任せなさい』
黒炎龍の声は、夜よりも低く、確信に満ちていた。
『この時間帯、都へ向かう上昇気流が生まれる。水路と谷が温度を溜めている。霧は、その流れの証よ』
ミリアは目を開ける。
「……今なら、いける」
クレイは、すでに簡易飛行具の最終調整をしていた。
布は、馬車の予備帆布と外套を縫い合わせたもの。骨組みは、軽くしなる枝と金属線。
人を運ぶものではない。手紙を、風に乗せるための道具。
「飛距離は短い」
クレイが低く言う。
「でも、気流に乗れば……都の内側には届く」
ジャックが、腕を組んで鼻を鳴らす。
「派手さはねぇけど、悪くねぇな」
ミリアは、懐から一通の手紙を取り出した。
水帝ラグーナシア宛。
炎龍国王リグーハンの名を記し、雷帝国の侵攻と、外からの支援を明確に記したもの。
嘘はない。誇張もない。あるのは、来たという事実だけ。
ミリアは、飛行具に手紙を結びつける。
「……お願い」
黒炎が、ほんのわずかに揺れた。
『風は、裏切らない』
その声と同時に、霧が流れを変えた。クレイが、合図を送る。
「今だ」
ミリアが、そっと手を離す。
簡易飛行具は、最初は不安定に揺れながらも、次第に霧の流れに乗った。矢のように飛ぶことはない。
だが、確実に、都の方向へ運ばれていく。やがて、それは霧に溶け、見えなくなった。
――あとは、祈るしかない。
水の都。
朝の支度が始まる時間帯。霧はまだ残り、水路には人影もまばらだった。
市場近くの小さな橋の下。
「……?」
一人の都民が、流れてきた布切れに気づいた。
水に濡れながらも、奇妙な形を保っている。
「なんだ、これ……」
拾い上げた瞬間、結びつけられた紙が目に入る。
封蝋。そして、見慣れぬが、威厳ある紋章。
「……国書?」
男は、顔色を変えた。
都は今、戦の影に怯えている。こんなものを放っておくわけにはいかない。
彼は、走った。石畳を駆け、水路を越え、警備詰所へ。
「兵士さん! これを!」
水明国の兵士は、訝しげにそれを受け取り、封を確かめる。そして目を見開いた。
「……急げ」
短く命じ、踵を返す。
手紙は、すぐさま上へと運ばれた。
水明城へ。水帝ラグーナシアのもとへ。
霧の都の中で、静かに、だが確実に。
戦況を変える一通が、届こうとしていた。




