第二十話 雷帝国の包囲網
水の都が、次第にその輪郭をはっきりとさせていく。
だが、近づくにつれ、違和感もまた増していった。
街道の周囲、丘や水路沿いに、明らかに仮設と分かる拠点がいくつも築かれている。
粗末ながらも統制の取れた陣幕、見張り台、槍と旗。
「……あれ、軍の拠点だな」
ジャックが低く言った瞬間だった。
「止まれ!」
前方から、鋭い怒声が飛ぶ。
霧の中から現れたのは、雷の紋章を刻んだ鎧の兵士たちだった。人数は十数名。動きに無駄がなく、盗賊とは明らかに違う。
「貴様ら、何者だ!」
空気が、一気に張り詰める。ジャックは口角を吊り上げ、自然と腰を落とした。
「へぇ……雷帝国か。悪くねぇ」
だが、その肩を、クレイがそっと押さえる。
「待って」
ジャックは一瞬だけ舌打ちしたが、構えを解いた。
クレイは一歩前に出て、怯えたような、だが不自然にならない程度の表情を作る。
「ぼ、僕たちは炎龍国から来た、しがない行商人です」
そう言って、馬車の荷台を開ける。
中には、きれいに密封された食糧。
保存用の油紙と刻印、王から与えられたものだが、行商人が扱っていても不思議ではない品だった。
「よ、よかったら……品物を見ますか?」
雷帝国の兵士たちは、訝しげに視線を走らせる。
やがて、ひとりが鼻を鳴らした。
「水の都は、俺たち雷帝国と戦争中だ」
「命が惜しければ、これ以上近づくな。引き返せ」
「……せ、戦争ですか!?」
クレイは、わざとらしいほど大きな声を上げた。
「な、なぜそんなことに……?」
「話す義理はない」
兵士の一人が、槍を突き出す。
「これ以上踏み込めば、殺すぞ」
一瞬、空気が凍る。だがクレイは、怯えながらも一歩も退かない。
「ぼ、僕は……情報も売り買いしてるんです」
「お金も払います。少しでいい、教えてくれませんか?」
そう言って、指先で小さく金袋を揺らした。
兵士たちは互いに視線を交わす。沈黙ののち、ため息交じりに、ひとりが口を開いた。
「……ちっ。無知な行商人に話したところで、どうせ広まる話だ」
そこから語られたのは、重い現実だった。
若き雷帝、ハイド。
父である前雷帝インドラは、水明国の女王、水帝ラグーナシアと、その同盟者によって討たれた。
敗戦国となった屈辱は、若き帝の心に深い影を落とした。
そして、同じ時期。
ハイドは、白雷龍を宿した。
「それからだ。まるで人が変わった」
「以前は慎重だったのに、今は強気で……いや、狂気じみてる」
さらに、雷帝国はすでに軍を動かしているという。
「水明国には、雷帝直下の三大将軍のうち、二人が侵攻中だ」
漆黒の戦乙女・グロリア
双金棒の鬼・バガン
兵士の声には、誇りと同時に、わずかな恐れが混じっていた。精鋭中の精鋭。盗賊団などとは、比べものにならない存在。
(……正面からぶつかるのは、無謀)
クレイは、瞬時にそう判断した。
「……ありがとうございます」
クレイは金を差し出すが、兵士たちは「いらねぇよ」と手を払った。敵国の金など、受け取る気はないらしい。
クレイは深く頭を下げると、彼は馬車を反転させる。
拠点から十分に離れたところで、ジャックが苛立たしげに声を上げる。
「おいおい、やらねぇのかよ!あんなの、まとめて蹴散らせただろ?」
だがクレイは、首を横に振った。
「相手は雷帝国の正規兵。それも、この数。さらに三大将軍とやらもいる可能性だってある」
ミリアも、静かに頷く。
「一度、作戦を練ろう。水明国の中で、何が起きているのかちゃんと見極めないと」
ジャックは舌打ちしつつも、それ以上は何も言わなかった。
三人は、水の都から距離を取り、街道を外れる。霧の向こうで、王都の白い塔が、静かに姿を隠していった。
戦火は、すでにその内側で燃え始めている。だが、踏み込むのはまだその時ではなかった。
雷帝国の拠点が、霧の向こうに完全に見えなくなった頃。
三人は街道を外れ、低い丘と林に囲まれた場所で馬車を止めた。
ここなら、焚き火の煙も、蹄の音も届かない。
クレイは周囲を一度確認すると、ようやく肩の力を抜いた。
「……ここまで来れば、さすがに大丈夫だと思う」
だが、その声に安堵はない。霧の奥には、水の都がある。そして、その周囲を固める雷帝国の軍勢も。
「このまま馬車で進めば、確実に鉢合わせる」
クレイは、地面に枝で簡単な地図を描きながら続ける。
「昼夜を問わず、厳戒態勢だ。見張りは交代制。正規兵が周囲を固めている」
「行商人のふりも、ここまでだね」
ミリアが静かに言う。
「一度怪しまれたら、次はない」
「……ちっ」
ジャックが、苛立ちを隠さず舌打ちした。
「だったらさ。炎龍城のときみたいに、地下から潜るのはどうだ?」
その言葉に、クレイは首を横に振る。
「無理だ」
即答だった。
「水の都は、構造がまったく違う」
クレイは、枝で描いた地図に、いくつもの線を引く。
「無数の水路が、地上だけじゃなく地下にも流れてる。排水路や管理通路は確かにあるけど……」
枝先が、城の位置で止まる。
「外から人が近づけるようには、繋がっていない」
水の流れは、都市を守るためのもの。侵入者を拒む、天然の防壁だった。
「下手に潜れば、水に流されるか、閉じ込められるだけだ」
ミリアが補足する。
「雷帝国がいるなら、地下も当然、警戒してるはず」
ジャックは腕を組み、少し黙り込んだ。
「……なるほどな。水の都ってのは、面倒くせぇ」
だが、その口元には、わずかな笑みも浮かんでいる。
「正面もダメ。地下もダメ。ってことは――」
クレイとミリアが、同時に視線を上げた。
作戦は、まだこれからだ。霧の向こうに眠る水の都。そこへ至る道は、まだ見えていない。
だが、三人は理解していた。正面突破ではない。力任せでもない。
この戦いは知恵と選択の戦いになる。




