表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第二章 漆黒の戦乙女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/94

第十九話 水明国、到着

 盗賊団が去った後、村には遅れて歓声が広がった。


 村人たちは、恐る恐る、そして次第に確信をもって三人へと歩み寄ってくる。

 感謝の言葉が重なり、頭を下げる者、涙を浮かべる者もいた。


「本当に……ありがとうございました」


「もう、どうなることかと……」


 クレイは戸惑ったように視線を泳がせたが、ミリアとジャックは慣れた様子で応じる。


「礼はいらないよ。普通のことをしただけ」


 ミリアの言葉に、村人たちは何度も首を振った。


「いえ、どうか……せめて、今夜は村に泊まってください」


「食事も、用意します。お金はいりません」


 そうして三人は、無料で宿と食事を提供されることになった。


 宿といっても、木造の簡素な建物だ。だが掃除は行き届き、灯された明かりは、長旅で張り詰めていた心を自然と緩めてくれる。


 さらに村人は、どこか誇らしげにこう付け加えた。


「谷の下に、温泉があるんです」


「昔から、旅人の疲れを癒してきた湯でして」


 夕暮れの中、三人は谷へと下りていった。


 岩肌の隙間から湧き出す湯気が、ゆらゆらと立ち上る。硫黄の匂いが、戦いの名残を少しずつ洗い流していく。


 温泉は、岩と木で作られた簡素な壁によって仕切られていた。豪華さはないが、必要十分な配慮がなされている。

 湯に身を沈めると、張り詰めていた身体が、ゆっくりとほどけていった。


「……生き返るな」


 仕切りの向こうから、ジャックの珍しく素直な声が聞こえる。


「こういう時間、大事だよね」


 ミリアは、湯気越しに見える夕空を仰いだ。

 クレイは少し離れた場所で、肩まで湯に浸かりながら、静かに息を吐く。


(これが……戦の外の世界)


 剣を振るわずに過ごす時間。

 守るべき人々の、穏やかな日常。


 夜、宿で囲む食卓には、質素ながら温かな料理が並んだ。

 村人たちは代わる代わる三人のもとを訪れ、感謝の言葉と共に話をしていく。


 話題は、自然と水明国へと及んだ。


「水明国の方は、最近静かですね」


「いや……静かすぎる、というか」


 だが、得られる情報は限られていた。


 ここは、水明国に近いとはいえ、まだ炎龍国の領土内だ。

 国境を越えた内情までは、村人たちも把握していない。


「観光で来る水明国の人が、めっきり減りました」


「行商人も、最近は見かけません」


 それだけだった。


 戦の話も、侵攻の具体的な噂も、ここまでは届いていない。


 それが、逆に不気味だった。


 何も知らない――

 それは、何も起きていないのではなく、まだ見えていないだけかもしれない。


 三人はそれぞれの寝床で、静かに目を閉じる。


 束の間の休息。だが、旅の先に待つものが、穏やかでないことだけは、誰もが感じ取っていた。


 翌朝。


 村人たちに見送られ、三人は再び馬車に乗り込んだ。谷から立ち上る湯気が、朝の光に溶けていく。


 街道を進むにつれ、空気が変わり始めた。乾いていた風は次第に湿り気を帯び、土の匂いに水の香りが混じる。

 空は薄い雲に覆われ、遠景は霞みがちになっていった。


「……霧が多くなってきたな」


 ジャックが、前方を見据えて呟く。


 やがて、道の脇に一本の石柱が現れた。苔に覆われ、風雨に削られた古い境標。

 刻まれているのは、水の紋章。水明国の国境だった。


 クレイは馬車を止め、短く息を吐く。


「ここから先が……水明国」


 一歩進むだけで、世界が変わる。


 馬車が境標を越えた瞬間、霧が一段と濃くなった。

 蹄の音も、車輪の軋みも、水に包まれたように柔らかく吸い込まれていく。

 道の両脇には水路が走り、澄んだ水が静かに流れて石畳を濡らしていた。


「……きれい」


 ミリアが、思わず声を漏らす。


 炎龍国の荒々しい大地とは、あまりにも違う。

 ここでは水がすべてを包み、鎮め、隠しているかのようだった。


 行き交う人影は少ない。すれ違う旅人もどこか足早で、視線を合わせようとしない。

 商隊の姿も、噂通りほとんど見当たらなかった。


 街道は、緩やかな下りへと続く。やがて、霧の向こうに微かな輪郭が浮かび上がった。


 水面に反射する淡い光。無数の橋。

 白く細い塔の影。


「あれが……」


 クレイが、言葉を失う。


 水路が幾重にも巡らされた都市。

 水の上に築かれた城塞都市・水明城を中心とする、水の都。霧の中に佇むその姿は、現実でありながら、どこか幻のようだった。


「水明国の王都……」


 ジャックが、低く呟く。ミリアは、胸の奥で、黒炎が静かに揺れるのを感じていた。

 あの都の中心に、水帝ラグーナシアがいる。そして、雷帝国の侵攻が、すでに及んでいるかもしれない。


 馬車は、ゆっくりと坂を下りていく。


 霧の向こうで、水の都は、確かに三人を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ