第一話 黒炎龍を宿す者
炎龍国南端、火花村。
朝まで穏やかだった空に、黒い煙が立ち込めていた。
「うわっはははー!!てめぇらは俺らの奴隷ダァ!!」
暗月国の兵士たちは肩で息をしながら村人を檻へ蹴り込む。
家は焼き払われ、畑は踏み荒らされ、逃げ惑う者たちは次々と槍で突き刺された。
その中に、一人の少女がいた。
薄紅色の髪を腰まで伸ばした、十六歳のミリア。
兵士の一人、ゴリガンという巨漢が、ミリアの腕を掴む。
「おお……こいつは上物だぜ! お前は俺と来い。妻にしてやるよ」
その瞬間、横から怒号が飛んだ。
「やめろおっさん!その手を離しやがれ!!」
彼の名はジャック。
ミリアの双子の兄だ。
腕っぷしなら大人三人を軽く捻り伏せる村一番の喧嘩自慢だが、相手は戦場を渡り歩いた暗月国の正規兵。
「ひっこんでろガキ!!」
ゴリガンの拳がジャックの腹にめり込む。
数メートル吹き飛ばされたジャックは地面に叩きつけられ、口から血を吐き立ち上がれない。
「ジャック!!」
ミリアが叫ぶ。ゴリガンが再び腕を掴もうとしたその時。
「こらこらゴリガン、ダメじゃないか」
低く、粘っこい声。暗月国第三侵攻部隊の小隊長、ザンマ。瘦せぎすの体に黒い外套、顔の半分を仮面で隠す男。部下たちも恐れ、近寄ろうとしない。
「大事な奴隷が傷ついたら働けなくなるだろう?……まあ、夜の楽しみに取っておきたい気持ちは分かるがね」
冷たい指が、ミリアの頬を撫でる。蛇の舌のような感触に、少女は震えた。
「この娘は私が預かる。異論はないな?」
ゴリガンは唇を尖らせたが、ザンマの視線に押されて黙った。ザンマは顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「いい目をしている……憎しみで燃えているな。生き延びたいなら、私を楽しませてくれ」
その瞬間、地面が揺れた。
遠くの雷鳴のような音が響き、次の瞬間、空が裂けた。
轟音と共に、黒い炎の柱が天を突く。
「な、何だ……!?」
ザンマの顔が、初めて歪む。
炎の柱は渦を巻き、徐々に人の形へ変わる。
漆黒の鱗に覆われた巨躯。
燃える紅の瞳。背には燃え盛る翼。
黒炎龍。
炎龍国の守護者として恐れられ、百五十年前に絶えたとされる伝説の龍。
龍が咆哮した。その声は村全体を震わせ、暗月国の兵士たちの心臓を握り潰すかのようだった。
「不味い!全軍、陣形を」
遅かった。黒炎龍が翼を振るい、黒い炎が波となって押し寄せる。部下たちは悲鳴すら上げられず、灰と化した。
ザンマだけが仮面の奥で目をぎらつかせて立っていた。
黒炎龍は首を下げ、少女を見据える。
ミリアは恐怖で立ちすくむが、龍は襲わない。
光に包まれた黒炎龍の巨躯は粒子となり、少女の体へ吸い込まれていく。体内から熱が燃え上がり、膝をついたミリアの右腕に、黒い龍の紋様が浮かび上がった。
「百五十年ぶりの覚醒か……」
ザンマは剣を軽く握り直す。
「利用する価値がありそうだ。ゴウガ様の元に連れて行かねば」
その瞬間、ミリアの瞳が漆黒に染まる。
右腕の紋様が炎をまとい、黒炎がザンマを包み込む。
炎が消えたとき、そこにあったのは焼け焦げた地面と、一枚の仮面だけ。
力尽きたミリアを、ジャックが抱きかかえる。
遠くで、炎龍国残軍の角笛が鳴り始める。
「ひぃぃい!!お助け〜!!」
唯一生き残ったゴリガンは腰を抜かし、情けない声を上げながら逃げ去った。
だが、この惨劇は村の悲劇ではない。
黒炎龍を宿した少女の覚醒は、大陸を焼き尽くす時代の幕開けを告げていた。
黒焦げの地面を振り返りながら、ゴリガンは全身を震わせ、息も絶え絶えに逃げた。
炎の匂いと、仲間たちの絶叫が頭から離れない。
数時間後、ようやく紅蓮町の城門前にたどり着く。
ここは暗月国の占領下にある町で、四天王の名を冠する紅一点、レイアが統治していた。
筋骨隆々の側近・ガイツが、城門前で待っている。
「レイア様……!」
ゴリガンは膝をつき、血走った目で報告した。
「火花村……全滅です!黒炎龍が現れ、ザンマ様を――!」
レイアは深く息をつき、静かにゴリガンを見下ろす。
「状況はわかったわ。ありがとう、ゴリガン」
ガイツも腕を組み、険しい顔を見せる。
「どうするかだな。このままゴウガに報告すれば、火花村はもちろん、この紅蓮町を含めた周辺の民も危険に晒される」
ゴリガンは怯え、うつむいたまま声も出せない。
「で、でも……報告しないわけには……」
レイアは冷静に首を振った。
「ゴウガの命令には逆らえないけれど、罪のない町の人々を守ることが最優先」
ガイツも頷き、低く声を落とす。
「まずは被害を最小限に抑え、町の安全を確保する。それが俺たちの務めだ」
ゴリガンは震える手を握りしめる。利己的な恐怖と、生き残ろうとする卑怯さが入り混じる。
百五十年ぶりの黒炎龍の覚醒――
暗月国の計画を狂わせるほどの力を持つ少女の出現に、下っ端の悪党はただ翻弄されるしかなかった。
紅蓮町に静かな夜が訪れる。
だが、その夜の静寂も、戦火の序章に過ぎない。
黒炎龍を宿した少女の存在は、この大陸全土を巻き込む戦火の幕開けを告げていた。




