第十八話 三人の旅路
馬車は、炎龍国の街道を南へと進んでいた。
赤土の大地は次第に色を変え、乾いた岩肌は低い草原へと移ろっていく。遠くには山並みが霞み、空は高く、風はまだ冷たい。
馬車の揺れは穏やかで、車輪の軋む音が、一定のリズムを刻んでいた。
御者台に座るクレイの背は、以前よりも明らかにたくましくなっている。
鎧は軽装だが、無駄のない所作から、日々の鍛錬が滲み出ていた。
その背中を眺めながら、ジャックがふっと息を吐く。
「しかし……出会った頃とは、大違いだな」
クレイが、ちらりと振り返る。
「二年前は、見るからに弱そうだったのに」
悪意のない、率直な感想だった。ミリアは、思わず苦笑してジャックの腕を小さく叩く。
「ちょっと。王子様にその口調はダメだよ」
「事実だろ?」
肩をすくめるジャックに、クレイは小さく笑った。
「気にしなくていいよ」
手綱を握る指に、力を込めながら続ける。
「二人は、俺の恩人で……それに、友達だからさ」
その言葉に、ミリアは一瞬、目を見開いた。
王子という立場を、ことさら誇ることもなく。年上であることを盾にするでもない。
ただ、自然体だった。
「だから、敬語もいらない」
クレイは、前を向いたまま言う。
「俺は確かに王子だけど、今は一兵士だしね」
「……なら、遠慮なく」
ジャックは、どこか楽しげに笑った。
「強くなったのは認める。背中だけなら、立派な兵士だ」
「背中だけ、って何だよ」
クレイが肩越しに苦笑する。
馬車の中に、柔らかな空気が流れた。道は次第に人里を離れ、旅人の数も減っていく。昼は草原を抜け、夜は焚き火を囲む。
ミリアは火を起こし、ジャックは周囲を警戒する。クレイは馬の世話をしながら、静かに二人を観察していた。
(……噂通り、いや、それ以上だな)
黒炎を宿す少女と、その双子の剣士。だが、目の前にいる二人は、英雄というよりも、旅慣れた冒険者だった。
力を誇示することはなく、必要な時だけ動く。互いの呼吸を、言葉なく理解している。
夜更け、焚き火が小さく爆ぜる音の中で、クレイは思う。
(父上が、見せたかったのは……これか)
国の外。戦の匂いが届く、境界の世界。
そして、力を持ちながらも、それに溺れない在り方。
翌日。
馬車は、街道から外れた脇道へと差し掛かっていた。
木々が増え、地面は踏み固められた土へと変わる。
やがて、小さな村が見えてきた。
……いや、本来ならば、そう呼ばれるはずの場所だ。
家々の壁には斧や剣で刻まれた傷が残り、広場には粗末な焚き火がいくつも焚かれている。
武器を携えた男たちが闊歩し、村人たちは顔を伏せ、命じられるままに荷を運ばされていた。
鎖の音が、乾いた空気に響く。
盗賊団だった。
クレイは馬車を止め、唇を噛む。
「……捨ておけない」
短い言葉だったが、迷いはなかった。ジャックは、村の様子を一瞥すると、口の端を吊り上げる。
「だよな。気が合うじゃねぇか」
ミリアも、強く頷く。
「うん……見過ごせない」
三人の意志は、最初からひとつだった。
馬車を森陰に隠し、武器を整える。
合図も、作戦の確認も、必要ない。
動き出した瞬間、戦いは始まった。
最初に踏み込んだのは、ミリアだった。
足元と両腕に、黒炎が灯る。それは荒れ狂う炎ではなく、意思に従う静かな力。
盗賊の一人が斧を振り下ろす。
だが、刃は空を切った。
ミリアは、わずかに体を逸らし、そのまま前へ滑り込む。別の盗賊の剣を回避し、跳躍。
空中で、敵の肩を踏み台にし、高く跳ぶ。
視界が開けた一瞬、ミリアは息を整え、脚に黒炎を集束させた。
「……黒龍脚」
振り下ろされた一撃が、渦を描く。
黒炎を纏った回し蹴りが、円を描いて炸裂し、周囲の盗賊たちをまとめて吹き飛ばした。
地面に叩きつけられ、動かなくなる影がいくつも転がる。
一方、ジャックは、さらに苛烈だった。
剣を振るい、斬る。踏み込み、肘を打ち込み、蹴りで距離を詰める。
剣技と格闘が、途切れることなく連なっていく。その姿は、まるで戦場そのものを舞台にした舞踏のようだった。
一人を斬り伏せ、返す刃で別の敵の武器を弾き、空いた懐へ拳を叩き込む。蹴りで吹き飛ばし、着地と同時に次の一歩。
最初からそこに敵が何人いるか分かっているかのような動きだった。
そして最後に残ったのが、盗賊団のボスだった。
「ふざけやがって、クソガキどもが!!」
巨体の男が、大剣を構え、怒号を上げる。その前に、クレイが立つ。
王子の肩書きは、そこにはない。一人の兵士として、剣を握る青年がいた。
「父上には……はるかに及ばない」
クレイは、静かに言う。
「それでも俺も、魔力の訓練はしてきた」
剣に、炎が宿る。赤く、揺らめく炎が刃を包み込み、熱が空気を歪ませた。
盗賊の大剣が振り下ろされる。だが、クレイは一歩踏み込み、迷いなく剣を振るった。
「火炎斬り!!」
一閃。
炎を帯びた斬撃が、盗賊団のボスを真っ二つに断ち、地面を焦がしながら駆け抜ける。
重たい音を立てて、男の体が崩れ落ちた。静寂。そして、遅れて村に安堵の息が広がった。
鎖が外され、村人たちは恐る恐る顔を上げる。目の前に立つ三人を、信じられないものを見るように見つめていた。
三人は、顔を見合わせる。
誰かが誇るでもなく、誰かが主張するでもない。
ただ、やるべきことをやっただけだった。
こうして、三人は村を解放した。それは、水明国への旅路の途中に刻まれた、最初の戦いだった。




