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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
エピローグ
132/132

最終話 勝ち取った平和な明日

 とある日、炎龍国の昼飯時。


「しかしよォ、地下で初めて会った時は、お前が炎帝になるなんて、1ミリも思わなかったぜ」


「またその話か、もうわかったって」


 店の扉を押すと、懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。炎帝となったクレイと、側近の将となったジャックは、変わらずあの頃のように足を運んでいた。


「今日は何にする?」


 店主は、いつものように柔らかな笑みを浮かべながら、鍋の前に立っている。


 クレイが落ち着いた声で注文を告げる。


「かけ、あと天ぷらとたまごで」


 ジャックは、もう決まっているかのように肩をすくめる。


「俺は……ネギ四つ追加で。ネギだくだくにしてくれ」


 店主は微笑み、手際よく調理を始めた。湯気が立ち、香ばしい匂いが店内を満たす。


「しかし、ミリアがいなくなって寂しくはないのか?」


「バカいえ、清々してるさ!」


「そうか……俺は、少し寂しいけどな」


「お前になら妹をやろう」


「い、いやそう言うんじゃなくて!」


 からかうジャックと、顔を赤くするクレイ。


 ほどなくして、器が並べられた。

 クレイの前には、透き通った出汁のかけうどんと、サクサクの天ぷら、黄身が輝くたまごが添えられている。ジャックの前には、白いうどんの上に山のように盛られた刻みネギ。


「いただきます」


 いただきますとは、この店主から教わった言葉。彼の言う、全く信ぴょう性のない、前の世界では、命をいただくという事に感謝をする儀式的なもの。


 二人は同時に箸を手に取った。


 クレイは静かに、しかし満ち足りた表情で天ぷらを口に運ぶ。ジャックは豪快にネギをすくい上げ、ずるずるとすすった。


「やっぱり、ここは落ち着くな」


 クレイが小さく笑う。


「だろ? ネギは多ければ多いほど正義だ」


 ジャックは声を弾ませ、豪快にうどんをすする。


 湯気と笑い声が、店内に柔らかく広がる。戦場の緊張も、皇帝としての責務も、ここでは一瞬忘れられる。


「また来よう、ジャック」


「当然だ。次はネギ五つ追加で頼むか?」


「……いや、そこまではいい」


 二人は笑い、また箸を動かす。あの頃のように、ただうどんを楽しむ、平穏なひとときだった。


 別の日、風翔国の日常。


 ミリアの朝は、穏やかだった。


 城の窓から差し込む光は柔らかく、風翔国の街は静かに目覚めている。戦の気配も、緊張もない。


 国は平和だった。外交も順調で、各国との関係も安定している。


 上手くいっている。それを、今日ははっきりと実感できる出来事があった。


 ミリアの執務机に置かれた一通の書簡。水の都から届けられた、正式な報せ。


 光神協会区域だった元雷帝国は、水明国の領地となり、ラグーナシアが統治することになった。


 それと、明るい報せが一つ。


「……ふふ」


 読み終えた瞬間、ミリアは思わず微笑んだ。


 水帝ラグーナシアが、長年兵士長として彼女を支え続けたアリウムのプロポーズを受け入れたという。


 正式な婚約。

 同盟国としても、友としても、これ以上ない吉報だった。


「よかった……本当に」


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 戦場で何度も死線を越えてきた仲間たちが、こうして幸せを掴んでいく。


 それだけで、この平和を守った意味があった。


「ルシオ、聞いた?」


 そう声をかけると、隣で控えていたルシオが、少し遅れて反応した。


「え、あ、はい! もちろんです! おめでたい話ですね!」


 表向きは元気な返事。

 だが、その目はどこか泳いでいる。


(……?)


 ミリアが首を傾げるより先に、ルシオの内心は、まったく別の方向へ暴走していた。


(ところで……ラグーナシア様って、あまりにも美しすぎて、今まで気にしたことなかったけど……)


 頭の中に浮かぶ、水帝の姿。

 気品ある微笑み。

 戦場ですら揺るがなかった威厳。


(ミリア様の父上と……雷帝インドラを倒したんだよな……?)


 ふと、記憶を辿る。


(あれ……何年前だ?数十年前……?ということは……)


 ルシオの脳内で、計算が始まる。


(……ラグーナシア様ってもしかして、いやもしかしなくても50代、とか……!?)


 衝撃、そして同時に。


(……いや、どう考えても無理がある、だってあの美貌だぞ!?)


 くだらない想像が、次々と湧き上がる。


 完全に思考が迷子になっているルシオを見て、ミリアは眉をひそめた。


「……ルシオ?」


「はっ!?」


 声をかけられ、思考が一気に現実へ引き戻される。


「な、なんでもありません!!」


 慌てて背筋を伸ばすルシオ。


 その様子に、ミリアは小さく息を吐き、くすりと笑った。


「変なこと、考えてたでしょ」


「い、いえ! 決して!!」


 否定が早すぎる。


 ミリアはそれ以上追及せず、再び窓の外へ視線を向けた。


 青い空。

 穏やかな街。

 誰かの幸せを、素直に喜える朝。


 こういう、どうでもいい思考や、くだらない勘違いが許される時間こそ、本当の平和なのだと、ミリアは思った。


「……いい朝ね」


 ミリアの人生は、まだ続く。


 剣を振るわなくてもいい日々の中で、笑いながら、祈りながら、静かに、確かに。


 その日の午後。


 執務を終えたミリアは、城内の中庭を歩いていた。

 陽は高く、風は穏やかで、花壇の花々が揺れている。


「ミリア様」


 背後から、変わらぬ澄んだ声。


 振り返ると、そこにはアネモネがいた。

 相変わらず姿勢は正しく、所作に無駄がない。


「お呼びでしょうか」


「呼んだのは私だけど、そんなに畏まらなくていいわ」


 ミリアは苦笑する。


「ここ、執務室じゃないし」


「いえ。場所に関わらず、私はミリア様の臣下ですので」


 そう言って、アネモネは一礼した。

 その様子に、ミリアは肩をすくめる。


「相変わらずね。……もう少し、肩の力抜いてもいいのに」


「恐れながら申し上げますが」


 アネモネは、ほんの一瞬だけ表情を緩める。


「それが出来ましたら、私は私でなくなってしまいます」


「ふふ……そうかも」


 二人は並んで歩き出す。


「本日は、いかがなご気分でしょうか」


「そうね……」


 ミリアは少し考えてから答えた。


「穏やか。びっくりするくらい」


「それは何よりでございます」


 アネモネの声は、心からの安堵を含んでいた。


「平和になってからというもの、ミリア様のお顔から、張り詰めたものが消えました」


「そう?」


「はい。以前は……常に、遠くを見ておられました」


 ミリアは、足を止める。


「……やっぱり、分かるのね」


「お傍におりますので」


 アネモネは静かに続けた。


「戦場に向かわれる背中も、戻ってこられた後の沈黙も……すべて、見てまいりました」


 ミリアは、空を見上げた。


「もう、戻らなくていいのよ。あの場所には」


「……はい」


 短い返事だったが、そこに迷いはなかった。


「これからは、国のことを考え、民と向き合い、笑って過ごす時間が増えるかと」


「増えるといいわね」


 ミリアは、ふとアネモネを見る。


「ねえ、アネモネ」


「はい」


「あなたは、これから何がしたい?」


 一瞬、間が空いた。


 アネモネは少しだけ考え、答える。


「ミリア様を、お支えいたします」


 即答だった。ミリアは苦笑する。


「ほんと、ぶれないわね」


「光栄なお言葉です」


「でも」


 ミリアは、優しく言った。


「それだけじゃなくていい。あなた自身の幸せも、ちゃんと考えなさい」


 アネモネは目を伏せる。


「恐れながら、私の幸せは、ここにございます」


 そう言って、ミリアの少し後ろに立つ。その距離は、主従であり、友であり、家族でもあった。


「まったく……」


 ミリアは、照れたように笑う。


「じゃあ、せめて今日くらいは」


「?」


「お茶に付き合いなさい。仕事抜きで」


 アネモネは、少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。


「……承知いたしました」


 中庭に、穏やかな時間が流れる。

 剣も、炎も、使命もない。

 ただ、平和の中で交わされる、当たり前の日常。

 それこそが、ミリアが守り抜いた、人生の一部だった。


 これは、英雄の物語ではない。

 一人の少女と、その仲間達が成長し、生きてきた人生の話だ。


 ーーー 黒炎龍を宿す者 完 ーーー

ここまで見届けてくださり、本当にありがとうございます。


本作『黒炎龍を宿す者』は、私にとって「小説家になろう」での長編完結作品、二作目となります。


この物語を書くにあたって意識したのは、

単なるバトルファンタジーで終わらせないことでした。

強大な力や派手な戦いだけでなく、一人の少女・ミリアが何を選び、何を失い、そしてどう生きていくのか。

そのドラマを、物語の中心に据えたいと考えていました。


正直に言えば、執筆期間はとても楽しく、振り返るとあっという間でした。

キャラクターたちと一緒に旅をし、戦い、悩み、そして平和を迎えるまで――

書いている自分自身も、物語の中にいたように思います。


一作目の長編では、終わり方に大きな後悔が残りました。

「完結させた」という事実よりも、「やり切れなかった」という思いの方が強かったです。


だからこそ、その失敗を無駄にせず、

今回は自分なりに納得できる形で物語を終わらせることを目標にしました。

その点において、この作品は、今の自分が出せる全力を出し切れた一作だと感じています。


もちろん、まだまだ未熟です。

文章も構成も、もっと良くできる余地はたくさんあります。

これに満足せず、これからも精進していきたいと思います。


最後に、改めて。


ここまで読み続けてくださった皆さまに、心からの感謝を。

本当に、ありがとうございました。


また別の物語で、お会いできれば幸いです。

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