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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
最終章 黒炎龍を宿す者
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第六十四話 さようなら、黒炎龍

 その夜、ミリアは夢を見た。


 闇だった。


 だが、かつて見たどんな闇とも違う。

 恐怖も、重さもない、ただ静かな黒。


 その中心に、一人の女性が立っていた。


 黒い衣装。

 腰まで流れる、艶やかな黒髪。

 紅玉のように澄んだ赤い瞳。

 そして、額から伸びる二本の角。


 あまりにも、美しすぎる存在。


 神でも、人でもない。

 だが、威圧はない。そこにあったのは、懐かしさだった。


「……あなたは……」


 名前を口にする前に、ミリアは理解していた。


「黒炎龍……」


 女性は、静かに微笑んだ。


「ええ。ようやく、ちゃんと会えたわね」


 声は穏やかで、どこか人懐っこい。

 炎の咆哮でも、威厳ある竜の声でもない。


 彼女だった。


 ミリアは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


「……最初の旅の時」


 言葉が、自然と溢れ出る。


「ゴリガンに襲われた、あの時……」


 暗く、絶望しかなかった夜。

 剣も、力も、何も足りなかった自分。


「あなたが助けてくれなければ……私は、あそこで死んでいた」


 黒炎龍は、否定も肯定もせず、ただ静かに聞いていた。


「それから……たくさん冒険した」


 仲間と出会い、

 失い、

 戦い、

 笑った。


「辛い時も、怖い時も……あなたは、いつもそこにいた」


 ミリアの声が、震え始める。


「……だから」


 唇を噛みしめても、止められなかった。


「あなたがいなくなって……すごく、さみしかった……」


 涙が、頬を伝った。


 強くなったはずだった。

 黒炎龍がいなくても、戦える。


 それでも。


 心の奥に空いた場所は、埋まらなかった。


 ミリアは、泣いていた。

 子供のように、声を殺して。


 黒炎龍は、ゆっくりと歩み寄る。


 その仕草は、竜ではなく、ただの女性のものだった。


「……今までね」


 穏やかな声。


「数万年の歴史の中で、色々な人間に宿ってきた」


 英雄。

 覇王。

 狂人。

 復讐者。


 強き者も、弱き者もいた。


「力だけを見る者もいたし、私を“武器”としか見なかった者もいた」


 赤い瞳が、まっすぐにミリアを見る。


「でも」


 ほんの少し、笑みが深くなる。


「ミリア」


 その名を呼ばれただけで、胸が熱くなる。


「お前は、間違いなく」


 黒炎龍は、はっきりと言った。


「最高の、パートナーだった」


 その言葉が、ミリアの心に、静かに、深く、染み込んでいった。


 黒炎龍は、ふっと笑みを消した。


 先ほどまでの柔らかさが引き、赤い瞳に、竜としての深い歳月が宿る。

 冗談ではない。

 慰めでもない。


 本当に、大切なことを語る顔だった。


「……だが」


 静かな声が、闇に響く。


「人の歴史は、繰り返す」


 黒炎が、足元でわずかに揺れた。


「お前たちが守った、この平穏は……しばらくは続くだろう」


 しばらくは。


 その一言に、重みがあった。


「だが、必ずまた、混沌とした時代は訪れる」


 争い。

 憎しみ。

 恐怖に支配された時代。


 それは、いつの世でも避けられない。


「麒麟は……それを、分かっていた」


 黒炎龍の声に、わずかな苦味が混じる。


「だからこそ、滅びの道を選んだ。人が堕ちる前に、すべてを終わらせるという選択をな」


 正義ではない。

 だが、完全な狂気でもない。


「……一理、ある」


 黒炎龍は、そう断言した。


 ミリアは、黙って頷いた。あの戦場で見た麒麟の最期を、否定しきれなかった。


 それでも――。

 黒炎龍は、ふっと表情を和らげる。


「だがな、ミリア」


 声が、少しだけ軽くなる。


「次の戦乱は……お前が生きているうちに、来ないかもしれない」


 その言葉に、ミリアは顔を上げた。


「だから」


 黒炎龍は、微笑んだ。


「お前は、お前の人生を、謳歌しろ」


 使命でも、責務でもない。

 命令でもない。


 願いだった。


「それは……」


 黒炎龍は、胸を張る。


「お前が、仲間たちと掴み取った平和だ」


 誇るべきもの。

 胸を張って、生きていいもの。


 赤い瞳が、優しく細められる。


「戦うために生まれたわけじゃない」


「守りきった者だけが、次にやるべきことがある」


 黒炎龍は、最後にもう一度、笑った。


 竜としてではなく、長い旅を共にした()()として。


 その笑顔は、いつまでも、ミリアの心に残るものだった。


 ミリアは、ゆっくりと目を覚ました。


 見慣れた天井。

 柔らかな朝の光。

 風翔国の城の一室。


 胸に手を当てる。

 あの熱も、あの圧倒的な存在感も、もう感じられない。


 それでも、不思議と心は静かだった。


「……うん」


 小さく、息を吐く。


 分かっていた。

 直感ではない。確信だった。


 さきほどの夢が、

 黒炎龍との、本当の最後であり、

 本当の別れだったのだと。


 別れなのに、涙は出なかった。

 寂しさはある。

 だが、それ以上に、満たされていた。


 言うべきことは、すべて言えた。

 伝えるべき想いも、受け取るべき言葉も。


 黒炎龍は、もう彼女の中にはいない。

 だが、失われたわけではなかった。


 それから、ミリアは時折、空を見上げるようになった。


 青く澄んだ日も。

 雲が流れる日も。

 星が瞬く夜も。


 理由は、誰にも言わない。

 言葉にする必要もなかった。


 ただ、胸の中で、そっと祈る。


(きっとあなたは、どこかで私を見ていてくれている)


 それで、十分だった。


 もう、戦う力はいらない。

 もう、背負う使命もない。


 だが、彼女は知っている。


 空のどこかで、

 黒き炎の竜が、

 静かに、誇らしげに、

 彼女の歩む人生を、見守っていることを。


 ミリアは微笑み、再び前を向いた。


 これは、終わりではない。

 彼女自身の人生が、ここから始まるのだから。


ーーー 最終章 黒炎龍を宿す者 完 ーーー

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