第六十一話 再開と目覚め
ラグーナシアは、夢を見ていた。
真っ黒な世界。
空も、地面も、境界すらない闇の中で、ひとつだけ暖かな光があった。
小さな焚き火。その炎を挟んで、二人の女が向かい合って座っている。
水帝ラグーナシアと、
そして、漆黒の戦乙女グロリア。
かつて、最大の友として共に歩み、
そして、敵として剣を交えた女。
互いの譲れぬ想いをぶつけ合った相手。
だが今、そこに憎しみはなかった。
「不思議ね」
ラグーナシアが、炎を見つめながら呟く。
「あなたと、こうして話しているなんて」
「私もよ」
グロリアは、いつもの気丈な笑みを浮かべた。戦場で見せた、威圧でも挑発でもない、ただの穏やかな表情だった。
二人は語り合った。
過去の思い出。国のこと。民のこと。
背負ってきたものと、失ったもの。
言葉は多くなかったが、沈黙は重くなかった。
やがて、グロリアが立ち上がる。
「さて……私は、そろそろ行くわ」
焚き火の炎が、ふっと揺れた。
「最後に、あなたと話せてよかった」
その背を見て、ラグーナシアは自然に立ち上がっていた。
「……そうね。私も」
同じ場所へ向かうものだと、疑いもしなかった。
だから、一歩、踏み出そうとしたその瞬間。
グロリアが振り返り、ふっと笑う。
どこか懐かしく、そして優しい笑みで。
「あなたの向かう場所は、こっちじゃない」
次の刹那。
光が、爆ぜた。
白い天井。
薄暗い部屋。
規則正しい電子音と、微かな薬品の匂い。
「……っ」
喉がひりつき、息が詰まる。
視界が滲み、現実がゆっくりと輪郭を取り戻していく。
病院の機器。
点滴の管。
自分の体に残る、重く鈍い痛み。
生きている。
その事実を理解した瞬間、胸の奥が、きしむように痛んだ。
ラグーナシアは、ゆっくりと瞬きをする。
「……グロリア」
誰に聞かせるでもなく、名前を呼ぶ。
返事はない。
だが、不思議と、寂しさはなかった。
彼女は、戻されたのだ。
まだ、果たすべき役目がある場所へ。
ラグーナシアは、天井を見つめたまま、小さく息を吐く。
「……ただいま、かしら」
静かな病室で、
水帝は再び、この世界に目を開いた。
ラグーナシアは、動かぬ体のまま、思考だけを巡らせていた。
どれほど眠っていたのか、見当もつかない。
夢と現実の境界が、まだ曖昧だった。
だが――ひとつ、はっきり分かることがある。
ここは、病院だ。
ということは、水の都は滅んでいない。
街も、人も、少なくとも「後」が残っている。
では、麒麟はどうなった。
まだ、あの氷の牢の中にいるのか。
それとも――。
考えようとすると、胸の奥がざわついた。
体は眠りを欲しているのに、意識だけが冴えていく。
ラグーナシアは、その夜、ついに眠れなかった。
朝。
カーテン越しに、淡い光が差し込む。
規則正しかった機器の音に、足音が混じった。
巡回の看護師が、いつものように病室に入ってくる。
「……え?」
一瞬の沈黙。
次いで、信じられないものを見たような声。
「ら、ら、ら……ラグーナシア様!!」
慌てて近づき、顔を覗き込む。
「ラグーナシア様が……目を、覚まされました!!」
その声は、廊下にまで響いた。
ほどなくして、慌ただしい足音が重なり合う。
最初に飛び込んできたのは、アリウムとトルネロだった。
「ラグーナシア様!!」
アリウムの声は、掠れていた。
松葉杖を突き、包帯だらけの体で、必死に歩いてくる。
トルネロも、無理をしているのが一目でわかった。
二人の顔を見た瞬間、ラグーナシアの喉が震えた。
「……生きて、いたのね」
その一言で、アリウムの表情が崩れた。
「はい……はい……!」
堪えていたものが、一気に溢れ出す。
涙を隠すこともせず、アリウムは深く頭を下げた。
「ご無事で……本当に、よかった……」
トルネロも、拳を握りしめ、静かに息を吐く。
しばしの、言葉のない再会。
やがて、アリウムが涙を拭い、真っ直ぐに告げた。
「……ご報告があります、ラグーナシア様」
その声は、まだ震えていたが、迷いはなかった。
「麒麟は、討伐されました」
ラグーナシアの瞳が、わずかに見開かれる。
アリウムは、すべてを語った。
氷城牢がもたらした時間。
仲間が集い、削られていった麒麟の魔力。
そして、ミリアを中心とした最終決戦。
多くの命が失われ、それでも、最後には、人が勝ったこと。
話し終えたとき、病室は静まり返っていた。
ラグーナシアは、天井を見つめ、ゆっくりと息を吐く。
「……そう」
短い一言だったが、そこには重みがあった。
「皆……よく、生きて、戦ってくれたわ」
その目に、静かな光が戻る。
水帝ラグーナシアは、確かに目覚めた。
この世界のその後を、引き受けるために。




