第五十四話 麒麟の強さ
氷の破片が完全に溶けきり、戦場の空気が一変した。変わったのは空気ではない。理だ。
麒麟を中心に、世界そのものが、わずかにズレていた。
「……当たらねぇ、だと?」
炎帝クレイが、低く吐き捨てる。
炎剣が、確かに麒麟を捉えたはずだった。だが、刃は届く直前で、存在しなかったかのように逸れている。
炎が、斬撃が、魔力が。
触れる前に、意味を失う。
「チッ……!」
モウラの姿が、麒麟の背後に現れる。影を渡り、気配を殺し、急所へ。炎龍国最強の暗殺術。
だが、刃が振り下ろされる瞬間、麒麟は振り向かない。ただ、一歩足をずらした。
それだけで。
モウラの刃は、空を切った。
「……馬鹿な」
次の瞬間、黄金の光が、モウラの腹部を打ち抜いた。
「ぐっ……!!」
血が飛ぶ。モウラは地面を転がり、辛うじて体勢を立て直す。
同時に。
「オオオォォォ!!」
ガンドロフが、大斧を振り下ろす。
風翔国兵士長。
力も、技も、経験も、全てを叩き込んだ一撃。
だが、斧は重さを失った。まるで、振っているのが木片であるかのように、麒麟の身体に触れない。
「……理屈が、違うか」
ガンドロフが歯を噛みしめる。
そこへ、ジャックが踏み込む。
「――ッ!!」
剣は、正確だった。無駄がない。
狙いは喉、だが麒麟の視線が、初めてジャックを捉える。
「……人の剣だ」
その一言。
黄金の光が、ジャックの剣を弾き、同時に放たれた一撃が、胸を打ち抜いた。
「が……っ!」
ジャックが、吹き飛ぶ。
「兄さん!!」
ミリアが叫ぶ。黒炎が、爆発的に噴き上がる。
「ああああぁぁぁ!!」
怒り。
恐怖。
喪失。
「獄炎弾!!」
すべてを燃料に、黒炎龍の力が解き放たれる。灼熱が、空を歪め、麒麟を包み込む。
だが、麒麟は炎の中で、静かに立っていた。黄金の光が、黒炎を分解している。
「……黒炎龍」
麒麟は、ミリアを見つめる。
「確かに、理を外れた力だ。だが」
一歩、踏み出す。
「まだ、未熟」
次の瞬間。
黄金の一撃が、ミリアを吹き飛ばした。
「――ッ!!」
地面を転がり、呼吸が止まりかける。視界が、揺れる。
黒炎龍が、ミリアの内で低く吼えた。
『……見ろ。あれは強い、ではない』
ミリアは、歯を食いしばり、立ち上がる。
「……じゃあ、何なの」
『世界の前提だ』
麒麟は、淡々と語る。
「私は、力で戦っているわけではない」
黄金の光が、脈動する。
「お前たちが当てようとしている限り、当たらない」
クレイが、息を荒げる。
「……ふざけるな。じゃあ、どうしろと」
麒麟は、答えた。
「殺す覚悟で来い」
その声は、冷たい。
「英雄としてではない。王としてでもない」
一歩。
また一歩。
「人として、私を否定しに来い」
その言葉が、戦場に落ちた瞬間。
誰もが、理解した。
これは、強さの差ではない。
思想と、存在の差だ。
そして、このままでは確実に削り殺される。
最強の布陣。
最悪の相手。
麒麟は、まだ本気ですらなかった。
戦場に、絶望が、静かに満ちていった。
そのときだった。ミリアの耳に、聞こえるはずのない声が届いた。
『……違う』
懐かしい声。もう、二度と聞けないはずの声。
「……カロス?」
黒炎の奥で、確かに響く。
『理じゃない。アレは引きつけだ』
息が、止まる。
『私の技の模倣だ』
カロス。死んだはずの男。
だが、その言葉は、あまりにも正確だった。
『相手の攻撃意思を先に固定し、回避点をずらす。だから当たらないように見える』
ミリアの視界が、研ぎ澄まされる。
『見てるのは攻撃そのものじゃない。あなたが、どこを当てに来るかだ』
麒麟の姿が、変わって見えた。
世界を歪めている?
否。誘導している。
(……引きつけ)
ミリアは、息を吐く。
考えるな。
信じろ。
「……ありがとう、カロス」
黒炎が、足元に集束する。ミリアが、踏み込んだ。
「黒龍脚!!」
地を裂く一撃。脚に宿った黒炎が、一直線に麒麟へ。
「無駄だ」
麒麟は、そう告げた。いつものように、一歩ずらす。だが、ミリアは麒麟を見ていなかった。
狙いは――大地。
脚が、地面を叩き砕く。
轟音。爆発的な衝撃波が、円状に広がった。
空気が、跳ねる。
足場が、崩れる。
「……ほう」
麒麟の身体が、わずかに揺れた。
ほんの一瞬。
だが、確実にバランスを崩した。
「今だ!!」
ミリアは、間合いへ踏み込む。
「炎拳乱打!!」
黒炎を纏った拳が、嵐のように叩き込まれる。
一撃、一撃が、判断を許さない速度。
「光神壁」
麒麟は黄金の障壁を、前に展開した。
拳が、壁にぶつかる。黒炎が、弾かれる。
連打。
連打。
連打。
防がれる。
通らない。
だが、ミリアは歯を食いしばりながら、理解していた。
(……回避じゃない)
初めて。
本当に初めて。
麒麟は避けなかった。
防御した。それは、紛れもない事実だった。
クレイが、目を見開く。
「……防いだ、だと?」
モウラが、息を呑む。
「今まで、全部……躱していたはずだ」
ガンドロフが、低く笑った。
「……削れるぞ」
黄金の壁が、軋む。麒麟は、ミリアを見下ろす。その表情に、初めて興味が浮かんでいた。
「なるほど」
低く、確かな声。
「当てに来ないことで、当てたか」
ミリアは、拳を構えたまま、息を荒くする。
まだ、届かない。
まだ、足りない。
それでも、この一瞬で戦場の前提は崩れた。
絶対に当たらない敵。それは、もう過去だ。
麒麟は、理解した。
この戦いは選別では終わらない。次に来るのは裁定ではなく、対等な殺し合いだった。




