第五十三話 お前のために
白装束の波が、再び戦場へと押し寄せる。
「迎撃――!!」
兵士たちが前に出る。盾を構え、槍を突き出し、魔導兵が詠唱を始める。だが、信者たちの動きは鈍らない。
迷いが、ない。
祈りと殺意が、完全に同化していた。
「……強い」
兵士の一人が歯を食いしばる。
光神教団の信者たちは、ただの狂信者ではない。幼少期から、殺しのための身体操作、集団戦、急所の見極めを叩き込まれてきた戦闘員だ。
各国の正規兵と、互角。
いや、場所によっては、押している。
その戦場の只中へ――
「行くぞ、エリオ!」
「おう、ルシオ!!」
二人もまた、剣を抜いた。信者たちの顔を見た瞬間、ルシオの足が、わずかに止まる。
「……ッ」
そこにいたのは、中年の男。短く刈った髪。額に刻まれた深い皺。訓練場で、何度も拳を受けた顔。
「……トニー」
男は、剣を構えながら叫んだ。
「ルシオ!! なぜ裏切った!!」
声は、怒りと悲しみが入り混じっている。
「お前は、教団に救われただろう!!」
ルシオは、歯を噛みしめた。
「……救われた?」
一歩、踏み出す。
「俺たちは、選ばれたんじゃない。ただ使われただけだ!」
「違う!!」
トニーが吠える。
「光神教団は、間違っていない!!人が滅びることで、世界は救われる!!」
その言葉に、ルシオの目が揺れる。かつて、自分も信じていた言葉。疑うことすら、許されなかった教え。
「……違うんだよ、トニー」
声は、震えていた。
「世界を救うために、人を殺すなんて……そんなの、救いじゃない!!」
次の瞬間、剣と剣がぶつかった。
重い衝撃。トニーの一撃は、正確で容赦がない。
「教えを忘れたか!!」
「忘れてねえ!!」
ルシオは叫び、踏み込む。
「だからこそ、間違いだってわかるんだ!!」
同時に――
「……エリオ」
静かな声が、エリオを呼び止めた。振り向くと、そこに立っていたのは、同年代の女性。長い髪を束ね、白装束を身に纏った少女。
「……キャシー」
胸が、締め付けられる。幼い頃、同じ訓練場で泣いた。同じ食堂で、同じ味のない食事を食べた。
「あなたも、私と同じ」
キャシーは、剣を構えながら微笑む。
「産まれてからずっと、教団にいたじゃない」
「……だからこそだよ」
エリオは、震える息を吐いた。
「目を覚ませ、キャシー」
剣先を向ける。
「光神教団は、間違ってるんだよ!」
キャシーの笑みが、消える。
「……間違ってる?」
声が、冷たくなる。
「じゃあ、私たちが受けた訓練は?流した血は?死んでいった仲間は?」
彼女は、一歩踏み出した。
「それ全部、無駄だったって言うの?」
エリオの喉が、鳴る。
「……無駄じゃない」
静かに、しかしはっきりと。
「でも、それを正しかったことには、できない」
瞬間。キャシーが、斬りかかった。
速い。
鋭い。
迷いがない。
「――ッ!」
エリオは、辛うじて受け止める。
「あなたは、裏切った」
キャシーの声は、感情を押し殺していた。
「私は、裏切られた」
「違う!!」
エリオは、弾き返しながら叫ぶ。
「俺は、初めて選んだだけだ!!」
二人の剣が、何度も交錯する。
周囲では、兵士と信者が入り乱れ、血と祈りが飛び交っている。
誰も、引かない。
誰も、止まれない。
ここは、ただの戦場じゃない。
過去と現在。
洗脳と意思。
救いと破壊。
それらすべてが、剣となって、ぶつかり合っていた。
水明国の精鋭――
アリウム、イーヴァ、トルネロ。
三人が動くたび、白装束が一人、また一人と崩れ落ちていく。
無駄がない。
躊躇がない。
慈悲も、ない。
気づけば、信者の数は、十にも満たなかった。
それでも。
彼らは、止まらない。
恐れない。
逃げない。
胸にあるのは、ただ一つ。
歪みきった、信仰。
その中で。エリオの剣が、キャシーの身体を切り裂いた。
「……っ」
キャシーの身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
驚いたような顔。
どこか、安堵したような目。
「……すまねぇ……」
エリオの声は、かすれていた。
答えは、返らない。
キャシーは、死んだ。
その直後。
「ルシオ!!」
叫びが、戦場に響く。
ルシオは、追い込まれていた。
トニーは、強い。
剣の重さ。
踏み込みの深さ。
殺しに特化した、無駄のない動き。
「終わりだ、ルシオ!!」
トニーが吼える。
「神の裁き!!」
剣が高く振り上げられ、振り下ろされた。
その瞬間。
「――やめろォォ!!」
エリオが、走った。
考えるよりも、先に身体が動いていた。
知っている。
トニーが、どれほど強いか。
知っている。
この一撃が、何を意味するか。
それでも――
――あの日。
死ぬはずだった自分を、ルシオが生かした。
教団しか知らなかった自分に、違う世界を見せてくれた。
笑う理由。
選ぶ自由。
生きる意味。
あの日から、すべてが違った。
(この命は……)
エリオは、迷わなかった。
(ルシオのために、使う)
剣が、肉を裂く。
エリオが、ルシオの前に立っていた。
「エリオォォ!!」
致命傷。誰が見ても、わかる深傷。
それでも、エリオは倒れなかった。ふらつく身体で一歩踏み出し、トニーに、抱きついた。
「……俺ごと、貫け……!!」
トニーの目が、見開かれる。
「な――」
その瞬間。
ルシオは、
迷わなかった。
迷えなかった。
剣を突き出す。
心が、悲鳴を上げる。
胸が、張り裂けそうになる。
だが、無駄にしてはいけない。
エリオの覚悟を。選び取った、この瞬間を。
剣は、トニーの胸を貫いた。
「……が……」
トニーは、何かを言いかけて、崩れ落ちた。
死んだ。
ルシオは、剣を落とし、エリオを抱き抱える。
「エリオ……エリオ……!!」
血で濡れた身体。
力の入らない手。
それでも、エリオは、微かに笑った。
そして、最後に一言だけ。
「……お前の……おかげで……」
息を整え、言葉を絞り出す。
「……人として……生きれた……」
視線が、ルシオを捉える。
「……ありがとう……」
その言葉を最後に。
エリオの身体から、力が抜けた。ルシオは、声を失ったまま、ただ強く、強く、抱きしめ続けていた。
戦場の喧騒が、
ひどく、遠くに感じられた。




