第十一話 魔力の消費
クレイから託された地図を頼りに、二人は地下通路を進んでいた。
湿った石壁。
足音が反響しないよう、慎重に歩を進める。
「……この辺りだな」
ミリアが、地図と周囲を見比べる。
「この上が、炎龍城に近い位置……だよね」
「ああ」
ジャックも頷いた。
「地図どおりなら、ここからさらに回り込んで――」
そのとき。
『……所詮、人間の発想力ね』
ミリアの胸の奥で、黒炎龍が呆れたように呟いた。
「え?」
ミリアは、思わず足を止める。
『地下牢へ行きたいなら、遠回りする必要はないわ』
視線が、自然と一点に向く。
通路の側面。
一見すると、何の変哲もない石壁。
『あそこの壁を、破壊して進めばいい』
「……は?」
ミリアの右拳に、じわりと黒が灯った。
炎ではない。
だが、確かな熱と圧力。
「え、なに、なに!?」
「ちょ、待て、ミリア!?」
ジャックが慌てて声を上げる。
『私の力を、あなどらないで』
黒炎龍の声は、静かで、絶対的だった。
『さぁ……殴りなさい』
ミリアは、ごくりと喉を鳴らす。
「……ええい、もう!」
言われた位置へ、一歩踏み込む。
「黒炎拳!!」
鈍い衝撃。石壁が、削れた。
「……!」
思わず目を見開く。拳は、痛くない。焼けてもいない。黒炎が、確かに守っていた。
『少し魔力は使うけれど……』
黒炎龍の声が、低くなる。
『身体は、私が動かすわ』
「え、ちょ、待――」
次の瞬間。
ミリアの身体が、意思とは別に動いた。
踏み込み。腰の回転。
無駄のない連動。
『覚えなさい』
黒炎龍が、告げる。
『これが、炎拳乱打』
――速い。拳が、見えない。黒炎を纏った連打が、嵐のように壁へ叩き込まれる。
ドドドドドッ――!!
石が砕け、粉塵が舞い、壁が削られていく。
数発ではない。数十発。
否、それ以上。
「な……なんだよ、これ……」
ジャックは、言葉を失っていた。
やがて。
数メートル先で、壁が完全に崩れ落ちる。
冷たい空気。鉄と湿気の匂い。
城内地下、貫通。
「な、なんだ!?」
「壁が――!」
奥から、見張りの声。
だが、止まらない。炎拳乱打は、そのまま前へ。黒炎の連打が、見張りたちを飲み込む。悲鳴は、途中で途切れた。
そして、止まった。
ミリアは、その場に膝をつく。
「……はぁ……はぁ……」
全身が、重い。力が抜ける。
『これが……魔力を使った、ということよ』
黒炎龍の声は、少しだけ柔らいでいた。
『今はつらいでしょう。でも、覚えておきなさい』
『魔力は、使えば使うほど……肉体が耐えられる最大値が、上がっていく』
ジャックが駆け寄る。
「ミリア! 大丈夫か!?」
「……ちょっと、疲れただけ……」
視線の先。崩れた壁の向こうに、鉄格子が見えた。
地下牢。その奥。ひとつの牢の中で、老いた男がゆっくりと顔を上げた。疲弊していても、その瞳は炎のようだった。
地下に、静寂が戻る。焦げた臭いだけが、重く漂っていた。
ジャックは黒焦げになった見張りの死体に近づき、顔をしかめる。
「……悪いな」
そう呟き、腰元を探る。
金属音。
「――あった」
鍵束。黒く煤けているが、形はまだ保たれている。
「ミリア、開けるぞ」
ジャックは手早く、牢の扉に鍵を差し込んだ。
――ガチャリ。
最初に開いた牢の中にいたのは、壮年の男。囚人服に身を包み、だが背筋は折れていない。その男が、ゆっくりと顔を上げる。
「……その黒炎」
低く、威厳のある声。炎帝リグーハンだ。
ミリアは、はっと息を呑む。
「国王……!」
リグーハンは、黒炎に照らされる少女を見つめ、呟いた。
「まさか……古き伝承の……黒炎龍を宿す者、か……」
その言葉が、地下に静かに落ちる。だが、感慨に浸っている暇はない。
「他にもいる!」
ジャックは、次々と牢を開けていく。
――王女クレア。
ミリアやジャックと同い年くらいの少女。汚れた服の奥に、気丈さを残した瞳があった。
「……助けが、来たのね」
震える声。だが、泣かなかった。
さらに、数名の炎龍国兵士。痩せ、傷つき、それでも剣を取る意思を失っていない者たち。
リグーハンがミリアに尋ねる。
「君たちはどうやってここに?」
「クレイという、勇気ある兵士から見取り図をいただきました」
「兵士……?ふっ、あのドラ息子が」
リグーハンの顔に、少し笑みが浮かんだ。
「動ける者から、ここを出る!歩けない者は支えるぞ!」
ジャックの声に、兵士たちが頷く。地下牢は、防音だ。地上には、この異変はまだ届いていない。
――だが。炎龍城、上層。キルは、ふと足を止めた。鎧の奥で、空気が揺れた。
わずかな振動。気配の歪み。
そして、黒炎の残滓。
「……来たか」
口元が、歪む。楽しそうな笑み。
振り返ることなく、歩き出す。その様子を見て、玉座に座るコルドが、低く声をかけた。
「どうした」
キルは、肩越しに振り返り、にやりと笑った。
「野暮用だ」
それだけ言い残し、踵を返す。
まるで獲物を独り占めしたい狩人のように。地下へと続く階段を、キルはゆっくりと降りていった。
その先に待つのが、黒炎の少女だと確信しながら。




