第五十一話 集結の刻
数日が、経過していた。
氷の牢獄は、依然として都の中心にそびえ立っている。
常識であれば、すでに死んでいる。水も、食糧もない。光も、ほとんど遮断された完全封鎖。
だが、麒麟は平然としていた。閉ざされた氷の中で、静かに呼吸を続けている。
朱雀をも。
水帝ラグーナシアをも。
はるかに凌ぐ、大陸最強の魔力。
それは外界と遮断されてなお、枯れることはない。
魔力を循環させ、水分を生み。
魔力を分解し、栄養へと変える。
生きるために、何一つ困らない。
「……なるほど」
独り言が、氷の内側で反響する。
「時間を稼ぐつもりか」
だが、その時間は麒麟にとっても、敵にとっても、等しく流れていた。
その頃。
水明国の外縁、氷の牢獄を囲む陣地に、異なる気配が加わる。
灼けつくような熱。
炎龍国の旗が、風に翻った。
集ったのは、選び抜かれた精鋭。
「……来たか」
先頭に立つのは、ジャック。
剣を携え、視線は氷の中心から一度も逸れない。
その背後には、モウラ。そして炎龍国が誇る、選ばれし兵士たち。
さらに、一歩前に出る男がいた。
赤き外套。揺るがぬ背筋。
ただ立つだけで、空気が熱を帯びる。
炎帝クレイ・リグ=フレア。
国は、妹クレアに託した。
「逃げ場はないな」
炎帝は、氷の牢獄を見据え、低く言う。
「いや」
ジャックが、首を振る。
「……あれは、逃げる気がない」
氷の内側。麒麟の視線が、外へと向けられる。
炎。
剣。
覚悟。
すべてが、揃い始めていた。
互いに、動かない。
ただ、待つ。
氷が、溶ける、その瞬間を。
次に動く時、それは大陸の運命が決まる時だった。
一方、その戦場へ向かう者たちもいた。
ミリア。
ガンドロフ。
そして、ルシオとエリオ。
四人は、水明国を目指し、昼夜を問わず進んでいた。
焦りは、全員の胸にある。
だが、誰も口にしない。
氷に閉ざされた麒麟。
集結する各国の精鋭。
(……間に合え)
ミリアは、ただ前を見据えて走る。
同時に――
風翔国には、アネモネが残った。
城壁の上。
風を受けながら、彼女は静かに手を組む。
共に戦うことは、叶わなかった。
だが、今は――
「……どうか」
声にならない祈り。
誰一人、欠けることなく帰ってきてほしい。
それだけを、ただひたすらに願う。
風が、彼女の髪を揺らした。
そして、暗月国。
覇王レイアは、動けずにいた。
唯一、国を託せた側近。
ガイツは、もういない。
その喪失は、あまりにも大きかった。
確かに、ライアンは倒した。
だが、国の闇はまだ消えていない。
国家転覆を狙う、半グレの影。
地下で蠢く不穏な気配。
この国を、空けるわけにはいかなかった。
「……くそ」
レイアは、玉座に深く腰を下ろす。
拳を、強く握りしめる。
戦場へ行きたい。
力を振るいたい。
だが、それは許されない。
覇王として、今はここに立ち続けるしかない。
レイアもまた、目を閉じた。
祈る。
ただ、祈ることしか、できなかった。
それでも、それぞれの祈りは、確かに繋がっている。
戦場へ向かう者。
国を守る者。
遠くから願う者。
すべてが、来たる決戦の瞬間へと、収束していった。
それから、さらに数日後。
水明国に、新たな気配が届いた。
「……来たな」
氷の牢獄を前に陣を敷く炎龍国の陣営。
そこへ、土煙を上げながら姿を現した一団がある。
ミリアたちだった。
「よう、来たか」
最初に声をかけたのは、ジャックだった。
「兄さん……」
ミリアは一瞬だけ言葉を詰まらせ、そして笑った。
久しぶりの再会だった。
「お前らも、元気そうだな」
「はい!」
ルシオとエリオが、揃って答える。
そのやり取りを見て、張り詰めていた空気が、ほんのわずかだけ緩んだ。
「……ガンドロフ」
ジャックが名を呼ぶ。
ガンドロフは一歩前に出て、深く頷いた。
「ジャック。お前のおかげで、俺は新たな道を拓けた。感謝している」
「……そう言ってもらえるなら、報われる」
二人は、無言で握手を交わした。言葉は多くない。
だが、積み重ねた時間が、そこにあった。
その後、ミリアはクレイのもとへ向かう。
形式張った挨拶はない。
帝同士というより、かつて共に旅をした仲間同士の距離感だった。
「状況は、変わらない」
クレイは、氷の牢獄へ視線を向ける。
「麒麟は、依然として動かない。
だが……不気味なほどの余裕だけは、漂っている」
ミリアも、その視線の先を見る。
都の中心。
幾重にも重なる氷の中。
「……アレが、麒麟」
その瞬間。
胸の奥で、黒炎龍が、低く唸った。
『……わかる』
声は、はっきりと響く。
『ラグーナシアの結界越しでも、はっきりわかる。
奴の強さは』
一瞬、間を置き。
『いままでお前が戦ってきた、すべての敵の中で一番……どころか』
言葉が、重くなる。
『全ての敵を合わせても、届かない』
ミリアは、息を呑んだ。
脳裏に、過去の強敵たちが浮かぶ。
暗月四天王コルド。
覇王ゴウガ。
漆黒の戦乙女グロリア。
風切りのエンリケ。
雷銃のランス。
狂気を宿したメアリ。
殺戮兵器と化したゴリガン。
個室持ちのファルク。
そして――
最強最大の敵だった存在。
白雷龍を宿す者・ハイド。
死闘。
絶望。
それでも、超えてきた壁。
だが。
(……違う)
氷の牢獄の向こうにいるそれは、次元が違った。
単体として最強なのではない。
概念そのものが、違う。
ミリアは、拳を握る。
恐怖は、ある。
だが。
「……それでも」
彼女は、目を逸らさなかった。
ここまで来た。皆が、集まった。
そう、今回は一人じゃない。
皆となら、超えられる。
この先に待つのは、逃げ場のない最後の戦い。
氷は、静かに、軋み続けていた。




