第五十話 水帝禁術・絶零氷城牢
フードの男は、倒れない。
アリウムの槍が閃く。
トルネロの水刃が走る。
イーヴァの斧と盾が、何度も叩きつけられる。
だが。
「……効かねえな」
確かな手応えはある。それでも、傷一つない。
「馬鹿な……!」
トルネロの息が乱れる。
フードの男は、三人を相手にしながら、一歩も引かない。攻撃は的確で、無駄がなく、そして冷たい。
老兵イーヴァが、前に出た。
「来い……!」
盾を構え、正面から受け止める。
轟音。盾が軋み、地面が抉れる。
だが、止めた。
「今だ!!」
その一瞬。
アリウムとトルネロが、同時に踏み込む。
「奥義!」
「――千烈突!!」
二人の動きが重なる。二本の槍が、千の軌跡を描き、男の身体へと叩き込まれる。
連撃。
衝撃。
圧倒的な物量。
ついにフードの男が、後退した。
「……っ!」
足が、半歩下がる。
その拍子に。
風が、フードを剥ぎ取った。
露わになった顔。死人のように白く、無表情で、しかし目だけが異様に澄んでいる。
男は、自嘲気味に笑った。
「……もう、俺は痛みも感じない」
ゴリガン。その名を、誰も知らない。
ミリアとジャックにとって、忘れようのない因縁の名。だが、アリウムたちは知らない。
ただ、異常な存在だということだけは、理解していた。
「撤く気はねえ」
ゴリガンが言う。
「だが……時間稼ぎは終わりだ」
その言葉と同時。
別の場所で――
水帝ラグーナシアは、膝をついていた。
「……っ」
息が、浅い。魔力は限界を超えていた。
対する麒麟は、ほぼ無傷。聖なる光が、その身を包み、あらゆる攻撃を拒絶している。
(……このままでは)
都が。
国が。
崩壊する。
ラグーナシアは、ゆっくりと立ち上がった。
「……水明国の帝として」
声は震えない。
「ただでは、終わらせない」
命を賭ける。
その覚悟に、世界が応えた。
「水帝禁術・絶零氷城牢」
空気が、凍る。
水路が、河が、霧が、すべてが一斉に凍結を始める。幾重にも重なる、分厚い氷。巨大な氷の牢獄が、麒麟を中心に形成されていく。
だが、麒麟は慌てない。聖なる光が、さらに強く輝き、その身を包み込む。
凍結は、防がれた……ように、見えた。
「……ふふ」
ラグーナシアは、微笑んだ。
「……ええ。わかっています」
光が、守ることなど。
「だから」
氷は、麒麟を殺すためのものではない。
閉じる。
重なる。
逃げ場を、奪う。
完全な封印。
麒麟は、初めて表情を変えた。
「……してやられた」
静かな一言。次の瞬間、ラグーナシアは、その場に崩れ落ちた。
「陛下!!」
叫びは、届かない。同時に。
「……っ」
ゴリガンの片腕、片脚が、氷に覆われていく。
「チッ……」
状況を見て、即座に判断する。
「部が悪いな」
ゴリガンは、後方を一瞥する。氷の牢獄。倒れ伏す水帝。それでも、まだ残る兵士たち。
「撤退だ」
残り僅か数人となった信者に、合図が送られる。信者は再び秩序を取り戻し、ゆっくりと後退を始めた。
「追うな!」
アリウムの声が、戦場に響く。
トルネロが歯を噛みしめる。
「ですが……!」
「優先順位を違えるな!」
アリウムは振り返りもせず、走り出していた。
向かう先は、一つ。
倒れ伏す、水帝ラグーナシア。
「陛下……!」
イーヴァが、膝をついて身体を抱き起こす。だが、返事はない。呼吸はある。しかし、意識は完全に失われていた。
「……限界を、超えたな」
老兵の声が、低く沈む。
アリウムは即座に判断した。
「担架を用意しろ! 最短ルートで王立病院へ!」
指示が、連鎖的に飛ぶ。
「魔導医を総動員! 回復術師を呼べ!」
「伝令!」
兵士が駆け寄る。
「同盟各国へ急報だ!」
アリウムは、氷の牢獄を一瞥し、続けた。
「教祖・麒麟を氷の牢獄に拘束中。
持続は不明、至急、応援要請を!」
「はっ!」
伝令が走る。戦場は、慌ただしく動き出す。
だが、氷の牢獄の内部。
麒麟は、至って冷静だった。幾重にも重なる分厚い氷。その奥で、聖なる光が静かに揺れている。
「……見事だ」
麒麟は、独り言のように呟く。
氷は魔力すら弾く。おそらく、命と引き換えに編まれた禁呪。
だが。
「永遠ではない」
指先で、氷に触れる。わずかなひびも、まだ生まれていない。
「……いずれ、この牢獄の魔力も尽きる」
それを待てばいい。
その時、続きをやればいい。
麒麟は、目を閉じる。
例え大陸全てが、敵に回ろうとも。
黒炎龍が、立ちはだかろうとも。
「負けるつもりはない」
氷の牢獄は、静かに軋む。
水明国の空は、晴れていた。だがその平穏は、嵐の前の、ほんの一瞬に過ぎなかった。




