第四十九話 水明国防衛戦
水明国・水の都。
無数の水路が張り巡らされ、白い石造りの建物が水面に映る、豊穣と静寂の都。その朝は、あまりにも穏やかだった。
だからこそ。
「敵襲! 敵襲――!!」
城壁の見張り兵の叫びが、すべてを切り裂いた。
鐘が鳴り響く。
水面に走る波紋。
市民のざわめきが、一気に恐怖へと変わる。
城門の向こう。
白い行列が、ゆっくりと進んでいた。
光神教団。
かつて大陸を覆った狂信の集団。
全盛期に比べれば、数は激減している。
それでも、百を超える信者が、確かにそこにいた。
先頭に立つ男から、異常な圧が放たれている。
ただ立っているだけで、空気が軋む。
呼吸が重くなる。
兵たちは、本能的に理解した。
(……格が違う)
教祖・麒麟。
その背後には、残存する機械兵。
数は僅かだが、無機質な殺意は健在だった。
そして、その機械兵たちを統率するように立つ、フードを深く被った男。
顔は見えない。だが、その存在感は、兵器と同質だった。
城内・王宮。
報告を受け、水帝ラグーナシアは、静かに立ち上がった。
水のように柔らかな青衣。だが、その瞳に宿る光は、揺れていない。
「……ついに来たか」
声は低く、落ち着いていた。
「迎撃態勢を。市民の避難を最優先!」
命令は即座に伝達される。
水帝軍、出動。指揮を執るのは、兵士長アリウム。数多の戦場を潜り抜けた、冷静沈着な男だった。
「精鋭部隊、前へ!」
選ばれた者たちが、一斉に前進する。
その中に、二つの影があった。
老兵・イーヴァ。
無数の傷を刻んだ身体と、なお衰えぬ眼光。
若き精鋭・トルネロ。
勢いと才能を兼ね備えた、水帝軍の未来。
イーヴァは、城壁の上から敵陣を見下ろし、低く呟いた。
「……嫌な気配だ」
トルネロが唾を飲み込む。
「ですが、止めなければ……この都が」
アリウムは、二人を一瞥し、短く言った。
「恐れるな。だが、侮るな」
水帝軍は、陣を敷く。
水路を活かした防衛線。
槍兵、魔導兵、弓兵が配置につく。
だが、教祖・麒麟は足を止めなかった。その歩みは、あまりにも自然で、あまりにも確信に満ちている。
「水明国」
静かな声が、戦場に響いた。
「浄化の刻だ」
その言葉と同時に、空気が歪む。
命をかけた戦争が、幕を開けた。
合図もなく、白い行列が崩れた。
「来るぞ――!」
水帝軍の号令と同時に、矢が、魔弾が、槍が放たれる。
信者たちは叫び声を上げながらも、躊躇なく突進した。恐怖も痛みも捨て去った狂信の突撃。水路を越え、橋を埋め、兵士たちへと殺到する。
血が飛ぶ。
水面が赤く染まる。
一方、機械兵は別だった。
鈍い駆動音。
無機質な赤い光。
「俺が前に出る!」
アリウムが叫び、剣を抜く。老兵イーヴァが一歩踏み出し、地面を踏み砕いた。
「来い、鉄屑ども!」
若きトルネロが詠唱を放つ。
「水流術式・穿槍!」
水路から跳ね上がった水が、鋭い槍となって機械兵を貫く。火花が散り、金属の躯体が崩れ落ちた。
だが、残りは止まらない。機械兵の刃がイーヴァに迫る。
「遅い」
老兵の斧が、機械兵の胴を横一文字に断つ。アリウムは二体を同時に相手取り、冷静に急所を突き続けた。
「……数は少ない。だが、隙を見せるな!」
最後の一体が、トルネロに狙いを定める。だが。
「させるか!」
イーヴァの投擲斧が、機械兵の頭部を粉砕した。機械音が途切れる。
沈黙。残存していた機械兵は、すべて倒れた。
「……終わった、か」
トルネロが息を整えた、その時だった。
カン、と軽い音。
フードの男が、舌打ちをする。
「ちっ……使えねえ鉄屑どもだ」
ゆっくりと前に出る。フードの奥から覗く視線は、感情を持たない刃そのものだった。
「次は俺が相手だ」
三人の前に、立ちはだかる。その瞬間、空気が変わった。
一方、信者と水帝軍の戦いは、拮抗していた。
数で押す信者。
統制で耐える兵士。
互いに譲らず、消耗だけが積み重なっていく。
その均衡を、たった一言が破壊した。
「光神拳」
教祖・麒麟が、静かに告げる。
次の瞬間。
彼の頭上、空が裂ける。凝縮された光が形を成し、巨大な拳となって現れた。
「な――」
避ける暇はない。光の拳は、落下ではない。
撃ち出された。
猛スピードで、兵士たちへ。
「退けぇぇぇ!!」
絶叫が上がる。
だが、その前に。
水が、唸った。
「水帝魔斧・蒼断」
王宮の高台。
水帝ラグーナシアが、両手を振り抜く。
都中の水路が呼応し、天を裂くほどの巨大な水の斧が形成される。
蒼き刃は光の拳を無視し、一直線に、麒麟本人を斬り裂かんと襲いかかった。
しかし。
「光神壁」
麒麟の前に、分厚い光の壁が展開される。水の斧は衝突し、凄まじい衝撃波を生む。水蒸気が爆発的に広がり、視界を覆った。
次の瞬間、蒼断は消えた。光の壁は、ひび一つなく、そこに在り続けている。蒸気の向こうで、麒麟が微笑む。
「……悪くない。だが、届かぬ」
そして、光の拳はなおも止まらず、兵士たちへと迫っていた。
戦場は、真の地獄へと踏み込む。




