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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第三章 カロスの選択
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第四十一話 カロスと暗月国

 暗月国・暗月城下町。


 日が傾き始めた石畳の路地で、一人の老人が壁際に追い詰められていた。背中は丸く、手にした荷袋を胸に抱え、逃げ場を失っている。


「だからよ、さっさと渡せって言ってんだろ」


 明らかにガラの悪い連中だった。数は七、八人。服装も統一感がなく、だが目つきだけは揃っている。最近、暗月国で幅を利かせ始めた半グレ集団だ。


 そこへ、駆け寄る足音。


「そこまでだ」


 見回り中のガイツだった。老人と連中の間に割って入る。


「ここは暗月国だ。無法は許さない」


 だが、半グレたちは怯まない。むしろ、嘲るように笑った。


「おいおい、兵士様かよ」

「数、見えてねぇのか?」


 ガイツは舌打ちする。囲まれている。応援を呼ぶには、少し距離があった。


 その時だった。


 半グレの一人が、前のめりに倒れた。


「……あ?」


 誰も何もしていない。少なくとも、そう見えた。次の瞬間、別の一人が崩れ落ちる。膝から、静かに。


「な、なんだ……?」


 混乱が広がる中、さらに一人、また一人。


 ガイツの視界の端に、青が映った。


 青い衣を纏った、一人の男。


 彼は走っていない。構えてもいない。ただ、歩いていた。半グレの一人が叫ぶ。


「ふざけんな!」


 ナイフを抜き、男に突き立てる。

 だが、刃は空を切った。

 否。すり抜けた、と思うほどの、極限の見切り。


 男は、ほんのわずかに身体を傾けただけだった。それだけで、刃は当たらない。


 次の瞬間、ナイフを持っていた男が、何かに打たれたように吹き飛び、地面に転がる。


 音は、ほとんどなかった。


 ガイツは目を凝らす。

 だが、何も見えない。


(……見えない?)


 攻撃が、ではない。

 動きそのものが、認識できない。


 気づけば、半グレたちは全員、地に伏していた。呻き声を上げる者、気絶している者。立っている者は、一人もいない。


 青衣の男は、倒れた連中には一切目を向けず、怯えたまま動けずにいた老人の前に立った。


 そして、静かに手を差し伸べる。


「……大丈夫ですか」


 老人は、一瞬戸惑い、それから震える手でその手を取った。


「ぁ、ああ……ありがとう……」


 男は、力を込めず、ただ支えるように老人を立たせる。その様子を見ながら、ガイツは身構えたまま、警戒を解かなかった。


「待て」


 男が振り返る。


「お前……何者だ?」


 暗月国の兵ですら見切れない動き。

 だが、そこに殺気はない。誇示もない。


 男は、穏やかに答えた。


「私は、カロス」


 一拍置き、続ける。


「一宗教家に過ぎません」


 その名乗りに、ガイツは眉をひそめた。


 宗教家。だが、目の前にいるのは、ただの聖職者ではない。倒れ伏した半グレたちを一瞥した後も、ガイツは警戒を解かなかった。


「……来い」


 短い命令だった。拒否を許さない声音。だが、そこに私怨はない。国を守る者の判断だ。


 カロスは頷いた。


「構いません」


 逃げる気配も、弁解もない。その態度が、かえってガイツの警戒を強めた。


 こうして、青衣の男は暗月城へと連行された。


 暗月城・謁見の間。


 そこに立つ女性は、噂に違わぬ存在感を放っていた。


 白銀の髪を後ろで一つに束ね、黒い軍服に身を包む。しなやかな体躯。無駄のない立ち姿。


 だが、何よりも印象的なのは、その眼差しだった。氷のように冷え、嘘も、恐怖も、容赦なく射抜く視線。


 正しき覇王・レイア。


 その傍らには、もう一人。


 炎龍国最強の隠密、モウラ。

 気配は薄く、だが、そこにいると意識した瞬間、背筋が粟立つ。光神教団の侵略を警戒し、同盟国から派遣された切り札だった。


「……さて」


 レイアが、低く言った。


「城下で騒ぎを起こしたのは、お前か」


「いえ。止めただけです」


 カロスは、視線を逸らさずに答える。


「ほう?」


 レイアの口元が、わずかに吊り上がる。


「兵ですら見えぬ動きで“止めただけ”とは、随分な宗教家だな」


 沈黙が落ちる。モウラは何も言わず、ただカロスを見ていた。瞬き一つせず、呼吸の乱れも追うような、隠密の視線。


「名を言え」


「カロスと申します」


「本当の名は?」


 試すような問い。カロスは、一瞬も迷わなかった。


「……かつては、光神教団大幹部、青龍と呼ばれていました」


 空気が、凍りつく。ガイツが一歩前に出かけ、モウラの気配が、わずかに鋭くなる。


 だが、カロスは続けた。


「風帝ミリアと出会い、その名を捨てました。今は、ただの旅人……カロスです」


 言い切る声に、飾りはない。懺悔でも、弁明でもなかった。モウラが、ゆっくりと口を開いた。


「……レイア様」


 視線を外さず、断言する。


「こいつに悪意はない。おそらく……全て、正直に言っている」


 レイアは、少しだけ目を細めた。


「炎龍国最強の隠密が、そう言うか」


 そして、ふっと息を吐く。


「あぁ……ミリアなら、光神教団の大幹部一人、心変わりさせても不思議じゃないな」


 その名を口にしたとき、警戒の中に、微かな信頼が滲んだ。


 カロスは、静かに語り始める。


「風翔国に、小さな教会を作りました」


 孤児たち。

 身寄りのない老人たち。

 夜、行き場のない心を抱えた者たち。


「祈りのためではありません」


 視線を上げる。


「人には……正しき救いの場所が必要です。裁かれず、押し付けられず、ただ、生きていていいと確認できる場所が」


 その言葉に、レイアは反応した。

 ほんの一瞬。だが、確かに。


 暗月国もまた、孤児が多い。

 戦で家族を失った者、老いて頼る先をなくした者。

 理想だけでは、どうにもならない現実が、彼女の国にもあった。


「……監視を付ける」


 レイアは、即断した。


「モウラ」


「は」


「こいつの教会設立を許可する。ただし、お前の監視下だ。一つでも怪しい動きを見せたら、斬る」


 モウラが、淡々と引き継ぐ。カロスは、深く頭を下げた。


「それで構いません」


 隠すものはない。逃げるつもりもない。


 レイアは、その姿を見つめ、静かに告げた。


「暗月国に来たこと、後悔させるなよ……カロス」


 その言葉は、警告であり、同時に許可だった。


 こうして暗月国に、新たな光が、静かに灯されることになった。

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