表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第三章 カロスの選択
105/132

第三十八話 カロスvsガンドロフ

 翌朝。


 青龍は、宿を出た。空は高く、風翔国らしい澄んだ風が、山裾から街へと流れている。歩みは一定で、迷いはない。


 目指す場所は、ただ一つ。


 清風街。風帝ミリアの居る街。


 道中、畑が増え、往来が増え、風景は少しずつ国の中心の顔を帯びていった。商人の荷車、子どもたちの笑い声、遠くで鳴る鍛冶の音。


 それらを、青龍はただ見ていた。


 祈りも、決意の言葉もない。あるのは、ここまで歩いてきたという事実だけだ。


 夕方。


 西日が街を橙に染める頃、清風街の外門が見えてきた。高すぎない城壁。威圧よりも、生活を守るための造り。門の前には、二人の見張りが立っている。


 青龍が、一定の距離まで近づいた、その瞬間だった。二人の動きが、ぴたりと止まる。


 空気が、変わった。


「……」


 一人が、目を見開く。もう一人が、息を呑む。

 夕日の逆光の中、はっきりと顔が見えた。


 ルシオと、エリオだった。


「……っ」


 次の瞬間、エリオが叫んだ。


「敵襲だ!!」


 声が、清風街に響き渡る。反射的に武器を構え、警鐘を鳴らそうとする。緊張が一気に伝播していくのが分かる。


 だが、青龍は、止まったままだった。一歩も踏み出さず、手も上げず、視線を逸らしもしない。敵意も、殺気もない。あるのは、あまりにも静かな佇まい。


 叫び声が、風に溶けていく。


 清風街の門前で、三人は向かい合ったまま、動かなかった。


  エリオの叫びに呼応するように、清風街の内側がざわついた。


 足音。

 鎧の擦れる音。

 短く鋭い号令。


 門の奥から、風翔国の兵士たちが駆けつけてくる。数は多い。だが、その大半は若い顔だった。まだ戦場の匂いを身に刻んでいない者たち。そして――元・光神教団の新兵たち。


 緊張と恐怖を、そのまま表情に浮かべている。


 だが。


 その集団を率いて現れた男は、違った。


 ひときわ大きな体躯。

 分厚い鎧。

 肩に担がれた、大斧。


 重い足取りで前に出ると、男は青龍を見据え、口の端を歪めた。


「……久しぶりだな、青龍」


 低く、地鳴りのような声。


「何しに来た?」


 ガンドロフだった。


 かつて、光神教団の幹部。

 玄武の右腕として、数多の戦場を渡り歩いた男。


 青龍は、その名を聞いても表情を変えない。


「風帝ミリア殿に、会いに来た」


 ただ、それだけを告げた。


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間、ガンドロフは鼻で笑った。


「あぁ……そうかぃ」


 そして、声の温度が落ちる。


「それは、無理だな!!」


 言い終わるより早く、ガンドロフの大斧が振り下ろされた。


 速い。


 巨体からは想像できない初速。空気が裂け、風切り音が遅れて響く。並の兵士なら、反応する間もなく両断されていた。


 だが、斧は青龍の体をすり抜けた。

 正確には、当たっていない。


 青龍は、ほんのわずかに重心をずらしただけだった。視線も変えず、足も動かさず、極限まで引きつけての見切り。


「……」


 ガンドロフの眉が、ぴくりと動く。


「ちっ……!」


 次の瞬間。


「知ってるぜ!!」


 振り下ろしは止まらない。そのまま腰を捻り、勢いを殺さず、横薙ぎへと繋げる。


 連撃。確実に仕留める型。

 だが、それでも当たらない。


 青龍は、まるでそこにいないかのように、刃の軌道から消え続ける。紙一重。否、紙すら挟まらない距離。


 兵士たちが、息を呑む。


「……なんだ、あれ」


「斧が……当たらねぇ」


 ガンドロフは、三撃目を振るう前に、動きを止めた。大斧を地面に下ろし、重く息を吐く。殺すつもりだった。本気で、叩き潰すつもりだった。


 だが、どこにも反撃の気配がない。殺意を向けても、怒りをぶつけても、青龍は一切応じない。ただ、受け流し、かわし、立っているだけだ。


「……」


 ガンドロフは、睨みつける。


「お前」


 低く唸るように言った。


「……戦う気が、ねぇな?」


 青龍は、初めて、わずかに視線を動かした。


「ありません」


 即答だった。


「私は、ここで誰かを傷つけるために来たのではない」


 その言葉に、空気がざわつく。剣を握る手が、揺れる。若い兵士たちの目に、迷いが宿る。


 ガンドロフは、斧を握る手に力を込めたまま、歯を食いしばった。


(……変わりやがったな)


 かつての青龍なら、教団の意志などいい、立ちはだかる者は全て倒していたはずだ。


 清風街の門前。武器は構えられ、だが血は流れない。嵐の前の、異様な静けさの中で、青龍はただ一人、風のように立っていた。


 しばしの沈黙ののち。ガンドロフは、ゆっくりと大斧を肩に担ぎ直した。兵士たちに向けて、短く顎をしゃくる。


「……下がれ」


「で、ですが」

「いいからだ」


 有無を言わせぬ声だった。若い兵士たちは戸惑いながらも武器を下ろし、門の両脇へと退く。


 ガンドロフは、再び青龍……否、旅装の男へと視線を戻した。


「風帝の判断を仰ぐ」


 それは宣告だった。戦闘の継続ではなく、裁定への移行。青龍は、小さく息を整え、一歩も踏み出さずに言った。


「一つ、頼みがあります」


「……何だ」


「報告の際は、こう伝えてください」


 その声は、驚くほど静かだった。


「私は今、カロスと名乗っています」


 ガンドロフの眉が、わずかに動く。


「光神教団の青龍としてではない。一人の旅人、カロスとして、風帝ミリア殿に会いに来た、と」


 ざわり、と周囲の空気が揺れた。ルシオとエリオが、思わず青龍を見る。兵士たちの間にも、小さな動揺が走る。


 名を捨てる。

 肩書きを下ろす。

 それが、どれほど重い行為かを、武人であるガンドロフは理解していた。


「……ふん」


 ガンドロフは、鼻を鳴らした。


「随分と、都合のいい話だな」


 だが、その声には、先ほどまでの殺気はなかった。


「だがまあ」


 大斧を軽く叩き、踵を返す。


「伝えるだけなら、タダだ」


 そのまま、清風街の内側へと歩き出す。


 向かう先は、風翔城。かつて光神教団の施設であり、今は風帝ミリアが政を執る城。


 過去と現在が重なる場所。ガンドロフの背中が遠ざかる中、門前には再び静けさが戻った。


 ルシオが、低く呟く。


「……カロス、か」


 エリオは、まだ警戒を解かないまま、青龍を見据えている。


 青龍は、ただ立っていた。


 名を捨てたからといって、光神教団の青龍としての、今までが消えるわけではない。だが、名に縛られたままでは、辿り着けない場所がある。


(あとは……彼女の判断だ)


 風が吹く。清風街の門前で、一人の旅人は、風帝の答えを待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ