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黒炎龍を宿す者  作者: 黒瀬雷牙
第三章 カロスの選択
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第三十五話 カロスと親子

 馬車は、ゆっくりと街道を進んでいた。


 石畳はよく整備され、道の両脇には溶岩岩を削って作られた里程標が等間隔に並んでいる。目的地は紅蓮町だ。


 車輪の揺れに身を任せながら、ガオレムは御者台の脇に腰を下ろし、ふと昔を思い出すように空を仰いだ。


「そういや……炎帝クレイ様の話、したか?」


 青龍は、首を横に振る。


「いえ。名前は聞きましたが」


「そうか」


 ガオレムは軽く笑い、手綱を引く御者に一声かけてから、話し始めた。


「クレイ様な。あの人、昔はただの剣士だったんだ」


「……ただの?」


「おう。強くはあったが、帝の器かって言われりゃ、当時は誰も思っちゃいなかった」


 そこで、少しだけ声を落とす。


「だがな、ミリアちゃんと、その兄のジャックと出会って、全部が変わった」


 カロスの視線が、静かに向けられる。


「三人で旅をしてたんだよ。あちこちの国を回ってな。戦争に巻き込まれたりしながらな……今思えば、よく生きてたもんだ」


 ガオレムは、どこか懐かしそうに笑った。


「ミリアちゃんがいたから、人が集まった。ジャックがいたから、前に進めた。そしてクレイ様は……二人に背中を押されて、剣を振るう理由を見つけた」


 馬車が、ゆるやかな下り坂に差しかかる。


「正直言ってな」


 ガオレムは、肩をすくめる。


「ミリアとジャックがいなきゃ、クレイ様は炎帝になれなかったと思う」


 カロスは、何も言わずに聞いていた。


「……そもそもだ」


 ガオレムは、少し悪戯っぽく笑う。


「ミリアとジャックがいなけりゃ、雷帝国には勝てなかっただろうけどな」


 それは誇張でも、自慢でもない。商人が長年の経験で導き出した、素直な結論だった。


「この大陸の歴史はよ」


 ガオレムは、遠くを見つめる。


「案外、あの兄妹に振り回されて動いてるのかもしれん」


 カロスの胸に、静かな波紋が広がる。教団に伝えられていた話とは、あまりにも違う。破壊者でも、厄災でもない。


 人を繋ぎ、道を拓いた存在。


 やがて、視界の先に赤い屋根が見え始めた。溶岩岩を基調とした家々が並び、鍛冶場の煙がいくつも空へと昇っている。鉄の匂いと、香辛料の香りが混じり合う、活気ある町。


「着いたぞ」


 ガオレムが、胸を張る。


「ここが紅蓮町だ」


 商業が盛んな町。剣と火と人の熱が集まる場所。


 馬車が門をくぐった瞬間、喧騒が一気に押し寄せてきた。青龍は、その景色を静かに見つめる。


 ここから先で、何を見て、何を知るのか。

 それはまだ、神ですら知らない。


 だが一つだけ、確かなことがあった。この町もまた、ミリアという名の風帝と、深く結びついている。


 紅蓮町の夕暮れ。


 赤みを帯びた石畳を踏みしめ、ガオレムが自宅の扉を開けると、内側から弾けるような声が響いた。


「おかえり!」


 駆け寄ってきたのは、黒髪を後ろで束ねた若い女性だった。快活な笑顔は、年相応の明るさに満ちている。


「ミリアは元気にしてた!?」


 ガオレムは、その勢いに押されながらも、豪快に笑う。


「おう。相変わらずだ」


 そして、懐から一通の手紙を取り出した。


「ほら。お前の手紙の返事、ちゃんともらってきたぞ」


「えっ……!」


 エマは、両手でそれを受け取ると、宝物のように胸に抱いた。すぐに封を切り、文字を追う。


 目が、次第に柔らかくなる。


 そこに綴られていたのは、帝としての言葉ではなかった。まだ二十二歳の、ひとりの若い女性の本音。


 忙しさへの愚痴。弱音。

 それでも前に立ち続ける決意。

 そして、エマに会いたい。という素直な想い。


「……ミリアってば」


 エマは、小さく笑った。


「大変なんだなぁ」


 その一言には、同情ではなく、寄り添う気持ちがあった。


 青龍は、その光景を、少し離れた場所から静かに見ていた。


 教団で語られてきた風帝は、冷酷で、民を扇動する存在だった。だが、目の前にあるのは、手紙一通で喜び、笑い、気遣われる関係。


 人と人の、繋がり。


「……」


 その夜。


「礼ってわけじゃないがな」


 ガオレムは、食卓を囲みながら言った。


「今日は泊まってけよ。命の恩人を外に追い出すほど、俺も薄情じゃない」


「では……お言葉に甘えます」


 並べられたのは、素朴だが温かい家庭料理だった。煮込み、焼き物、そして新鮮な野菜。一口食べて、青龍は率直に言う。


「……美味い」


「でしょ?」


 エマが、少し誇らしげに胸を張る。


「特に、トマト」


 酸味と甘みのバランスがよく、火の通し方も絶妙だった。


「ああ、これがいい」


 その言葉に、エマの顔がぱっと明るくなる。


「昔ね」


 箸を置き、懐かしむようにエマが語り出す。


「ミリアと一緒に、トマト育ててたときがあったんだよ」


 ガオレムも、うんうんと頷く。


「何でもない日だったな。水やって、雑草抜いて、収穫して」


「でも、楽しかった」


 声に、飾りはなかった。


 ただ、心からそう思っているのだと分かる。青龍は、その二人の様子を見つめながら、静かに思う。


(……本当に、仲がいい)


 そして。


(この温かさが、人を惹きつけるのか)


 風帝ミリア。剣や力ではなく、日常を共にできる距離感。それこそが、彼女の本質なのかもしれない。


 翌朝。


 まだ町が完全に目を覚ます前、カロスは旅支度を整えていた。


「もう、行くのか?」


 ガオレムが、玄関先で声をかける。


「ええ。これ以上、厄介になるわけには」


 そこへ、エマが一歩前に出た。


 深く、丁寧に頭を下げる。


「カロスさん」


 顔を上げ、真っ直ぐに言う。


「父を助けていただき、本当にありがとうございました」


 その言葉は、礼儀ではなく、心からの感謝だった。


「……こちらこそ」


 カロスは、少しだけ目を伏せる。人に頭を下げられることに、慣れていなかった。


 だが、不思議と嫌ではない。紅蓮町の朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、彼は歩き出す。


 振り返らずに。この町で得たものを、胸の奥に抱いたまま。


 それは信仰でも、教義でもない。


 人の温もりだった。

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