第九話 炎龍城下町、到着
炎龍城下町。
かつて人で溢れていた大通りは、今は静まり返っていた。旗が変わっただけで、空気が変わる。
「た、大変です〜っ!!」
情けない声を上げながら、男が駆け込んできた。
ゴリガンだった。
鼻に貼られた粗末な布。頬には、まだ腫れが残っている。兵に止められることもなく、ゴリガンはそのまま城内へなだれ込む。目指すのは、最奥。
――謁見の間。
重厚な扉が開かれる。
「失礼しやすぅ〜!!」
場違いな声が、広い空間に響いた。
玉座の上。そこに座っていたのは暗月四天王、その頂点。
コルド。
巨体でも、派手な装備でもない。
だが、ただ座っているだけで、場を支配していた。
その玉座の脇に、壁にもたれるように立つ影。
キルだった。
腕の一部は新しい義装に換装されている。だが、表情はいつも通りだ。
「……来たか」
コルドが、低く言った。
「話は、キルから聞いている」
「へ、へぇ……」
ゴリガンは、そこでようやくキルを見た。
「……あれ?」
目を瞬かせる。
「キ、キル様……?生きて、たんで……?」
一瞬の間。
「ご、無事でしたか?」
次の瞬間、鈍い音が響いた。
キルの拳が、ゴリガンの顔面を真正面から叩き抜いた。
「ぶっ!!」
ゴリガンは床を転がり、そのまま仰向けに倒れる。
キルは歩み寄り、顔面を踏みつけた。骨が軋む音。
「のうのうと逃げといて」
低く、吐き捨てる。
「無事でしたか、じゃねぇだろ」
さらに力を込める。
「バカが」
ゴリガンの口から、呻き声が漏れる。
「ひ、ひぇ……っ」
「やめておけ」
コルドの一言で、空気が凍りついた。
キルは舌打ちし、足を退ける。ゴリガンは床に這いつくばったまま、必死に頭を下げた。
「も、申し訳ありませぇん……!」
コルドは、玉座から見下ろす。
「生き延びただけでも、運はある。だが、役に立たねば意味はない」
淡々とした声。怒りも、嘲りもない。
それが、なおさら恐ろしかった。
ゴリガンは、震えながら頷く。
「は、はい……!」
キルは、口元を歪めた。城下町の空気は、完全に暗月のものだった。
――炎龍城。
そこでは、すでに次の一手が、静かに動き始めていた。
一方、ミリアとジャックは、炎龍城へと続く街道を歩いていた。
昼の熱がようやく引き、夜の帳が静かに下りていく。街道の脇には、見晴らしのいいひらけた場所があった。
「今日は、ここでいいか」
ジャックが言い、荷を下ろす。
野宿。
風は穏やかで、雲もない。火を起こす必要もないほど、夜は静かだった。
空を見上げると、そこには満天の星。
数えきれない光が、天を埋め尽くしている。
ミリアは、思わず息を呑んだ。
「……きれい……」
戦いも、血も、恐怖も。一瞬だけ、遠くなった気がした。
だが。
「冬じゃなくて、よかったよな」
隣で、ジャックが何気なく言う。
「こんな寒かったら、野宿なんて無理だぜ」
現実的な一言に、ミリアは小さく笑った。
「……そうだね」
地面に腰を下ろし、二人で空を見上げる。
同じ星空。けれど、胸に去来するものは違う。
それでも、並んでいる。
炎龍城は、まだ遠い。だが、兄妹の歩みは、止まらなかった。
翌朝。
夜露の残る草の上で、ジャックは身体を起こした。
「……かゆっ」
腕を掻く。赤く腫れた痕が、いくつか浮かんでいた。
「ちくしょう……虫にやられた」
「大丈夫?」
ミリアは、特に変わった様子もなく立ち上がる。
「お前は?」
「……え?」
改めて見る。ミリアの肌には、刺された痕ひとつない。
「……なんでだよ」
ジャックは、じっとミリアを見てから、鼻で笑った。
「不味そうだからじゃねぇのか?」
「はぁ!?」
ミリアが、むっとする。
「ジャックのほうが不味そうだよ!虫も近寄らない感じ!」
「なんだとぉ……!」
言い合いになりかけた、その時。
ミリアの胸の奥で、あの声が響いた。
『刺されなかった理由を知りたい?』
「……え?」
『眠っている間、魔力をほんのわずかに循環させていた。外敵から身を守る程度にな』
ミリアは、目を瞬いた。
「魔力……?」
『簡単に言えば、体力のようなものだ。生きて動くための力。使えば減り、休めば戻る』
「……体力、みたいな……」
無意識に、自分の手を見る。
『今はまだ、意識せずとも働く程度』
『だが、いずれは自分で制御することになる』
声は、それきり静まった。
「……?」
ジャックが、不思議そうに覗き込む。
「どうした?」
「ううん……なんでもない」
ミリアは首を振り、荷を背負い直した。
それから、しばらく歩く。
昼下がり。視界の先に、ついにそれが現れた。
炎龍城下町。
高い城壁、その奥にそびえる、炎龍城。
長旅の疲れが、今になって脚に重くのしかかる。
だが、立ち止まる理由にはならなかった。
「……ここだね」
「ああ」
ジャックは、表情を引き締める。
「もう、後には引けねぇ」
二人は、視線を交わす。そして、足取りを変えた。
気配を殺し、言葉を慎み。旅人としてではなく、影として。
ひっそりと、城下町へ入り込む。
運命の歯車は、もう目の前で軋み始めていた。




