あまりにも……
「あの時泉さんが来なければ、私をどうするつもりだったの?」電話越しでもあの委員長が目を細めて馬鹿にしたような表情が想像できた。「私のほっぺたを触って」
委員長からの電話に俺は酷く問い詰められた。
「いや、あの、ごめん」
「謝るのは禁止ね。私が聞きたいのは謝罪じゃないから、あの時の藤村がどういったことを考えて何をしようとしていたのか知らないと、藤村について理解出来ないから知りたいの」
「……委員長に邪な欲求をぶつけようとしました」
「具体的に最初から、順序を追って」キッパリ言った。
「……ええ、まずは接吻をします」脳と背筋が痺れるような感じがした。これは殆ど自身の欲望を委員長にぶつけていることに他ならない。しかし実際行えばこれ以上の快楽だと考えれば身の毛がよだつ思いさえする。
「……どっちの?」口籠もりそう言った。
「え、どっちと言いますと?」
「分かってて聞いてるでしょ?」
「俺もあの時は思考が正常に働いてないから実際にはわからないけど、軽い方をして委員長に拒絶されたら俺はそこで諦めていたと思うし、あのなんとも言えない態度でいるんだったら、深い方を続けてしていたかも知れない」
「……したかったの?」しおらしくなって。
「そりゃあ、まあ、はい」
「ふーん」どこか他人事のようだった。
「……そう言えば、委員長はこんな話をどんな気持ちで聞いてるの?」
「馬鹿、恥ずかしいに決まってるでしょ! でも、これを聞かないといけない理由があるの」珍しく大きい声を出した。「それで続きは?」
「愛撫していたと思うよ。それこそ委員長に身体を触られていた仕返しのためにも」
電話の向こうの委員長は黙っていた。しかしその沈黙からは、話の続きを要求されていた。
「まずは頭を撫でたかな、それから、顔、首、肩、鎖骨、腕、胸、お腹に腰、その下も」
「いやらしい手つきで?」不安げに。
「いやらしいと思うかは委員長の感じ方によると思うけど。あとは手だけじゃなくて、唇や舌を使って委員長の肉体に触れていたと思うよ」
「そしたらどうするの、服を脱ぐ、それとも脱がせる?」捲し立てるような口調だった。
「パンツを脱いで委員長の手を取って、無理矢理握らせていたかな」
「こっちも触って気持ちよくしろ、お前は俺の肉奴隷だろって?」声を低くして阿呆そうな喋り方をしたのは、俺の真似なのだったのだろうか。それは分からない。
「そんなこと口には出さないけど。それからもう一回接吻する」
「なんか藤村ってねちっこそうだもんね」半笑いだった
「今までずっと恥ずかしかったけど、輪をかけて恥ずかしくなってきた」
「分かった、もう言わないから、続きは? まだ私は服を着て丸出しの藤村のを握ってるけど」
いや、握ってないだろ。そんなことを言うことが、どうしてできようか。
「もしかしたら俺はそこで満足してたかも知れない、委員長も知ってるだろ? 俺は案外気が小さいから、そこで中途半端にビビってたかもね」
「……でも私、そういった経験が乏しいから、藤村は満足できなかったと思うよ。どうする、そんな理性が働いてない状態で自分の望む快楽が得られなかったら」
「その辿々しさがいいと思って十分満足できると思うけど、じゃあ、そうだったと仮定しよう。その時は委員長の上のジャージはたくしあげて、下の体操着は脱がすよ」
「それで?」
「またねちっこいって言われそうだけど、下着の内側の素肌で触れるようになった部分をもう一回愛撫するよ」
「そう」
「後はもう下着を脱がして、委員長と繋がって欲望の限りを尽くすだけだよ。委員長が何も言わなければね」
「ゴムもつけないで?」冗談っぽく。
「残念ながらそんな気の利いたもの、うちにはありません」
「それで終わった後はどうするつもりだったの?」
「情け無い話だけど、委員長に泣きついていたと思うよ。後は一緒に病院へ行くし、委員長が望めば慰謝料を払うし、強姦の罪で院に入るよ。委員長はそこまで望みはしないだろうけど」
「うん、別に今までと変わらないよ」
「それで今までと変わらないってのもどうかと思うけど、これだけは知っていてほしいんだ。俺は委員長が嫌だと少しでも拒絶していたら、絶対に委員長を傷つけるようなことはしないから」
「でも、あんな状態の藤村を見て拒絶なんかできるわけないでしょ」
俺はその時ハッとした。そりゃあそうだ。俺が堕落していく様子を一番身近で見ていたのは委員長なのだから。だから彼女は嫌でも拒絶はしなかった。そして俺を受けいれることを肯定するのは、自分に対して嘘をついていることになるため、肯定もしなかった。あの時の沈黙は、委員長らしい、委員長過ぎる、彼女を最も表した沈黙だったのだ。他者を救うために自己犠牲を厭わない、あの崇高な魂を穢さずに済んだことに、俺はどれだけの感謝をしなければならないのだろうか。
「そうだよな、卑怯すぎるな俺って。それで最後は泣きついて許してもらおうだなんて。でも聞いてくれよ委員長、俺が望んでいるのは愛であって決して肉体ではないんだ。全く説得力がないと笑ってくれて構わないよ。ただ、肉体を交わることを許して自分を受け入れてくれるほどの愛が欲しかっただけで、決して肉体が欲しかったわけではないんだ。俺は最も簡単な愛を、肉体的な欲求によって複雑でこんがらがったものだと勘違いしてしまったんだ。だからもう、そんな自己犠牲はやめてくれ。委員長は俺を見捨てずに更生させ、真っ当な道へ手を引いて連れ戻してくれた。この隣人愛、博愛をほんとうの愛と呼ばずして、何を愛と呼べばいいのだろうか。今ならば分かるが、トルストイが言うように、肉体的な欲求が俺を悪い道へと引き摺り込み、委員長の愛さえも俺は穢そうとしていたんだ」
「物事を複雑に、大袈裟に考えす過ぎるのは、藤村の性癖だよね。もうちょっと単純に捉えてもいいと思うよ」
「今時、性癖を正しい意味で使ってるのなんて委員長くらいだよ」
「本来の意味ってだけで、言葉の持つ意味はその時代によって変わるものなんじゃない? 間違った、正しいで表せるものじゃなくて」
「確かに、そうかもね」
「だから自分の考えにも正しい、間違ったなんて安易に決めつけず、もっと単純に素直になって他の人に軽く相談できるのが大事なんじゃない? 相談することで救われないことの方が遥かに多いけど、相談すれば簡単に解決にすることもあるのは事実でしょ」
「確かにそうだ。それは俺も身を持って体験しているし、視野狭窄に陥っている時なんて特にそうだ。しかし俺は、相談することで救われるかも知れない、という可能性を救いにしてしまっているんだ。だからその単純になった相談が何も解決しなかった時、その状況は相談の前後で何一つ変わってやしないのに、俺は深い絶望へと堕とされた気がするんだ」
「それは分かるけどね。私もその心理のせいで告白とかできないし」少し恥ずかしそうだった。
「委員長を振る男なんていないからそれは安心していいよ。そんな奴がいたら俺がぶん殴ってやるからさ」
「そう。じゃあ、ぶん殴って貰おうかな」笑っていた。その笑い声さえ、俺には眩しくて辛かった。もう何処かへ消えてしまいたいと思うほどに。
「……なあ委員長、俺はもう、どう委員長に接したらいいのか分からないよ」
「結局何もしなかったんだから、今までと変わらなくていいじゃん、これからも。それとも何か言いたいことがあるなら言ってよ。単純明快にさ」
「俺は罰が欲しいんだ。」
「なに、Mなの?」
「そうかも知れない。なんでもいいんだ」
「じゃあもう委員長って呼ぶのやめてよ。もう委員長じゃないんだしさ」
「……分かったよ、嶋咲。て、なんか慣れないな」
「ふふ、そうだね」
「でもいいよな。嶋咲って」
「何よいきなり」
「いや、俺が嶋咲だったら嶋咲藤村で、字面だけ見ればジェネリック島崎藤村じゃん」
「じゃあなに、婿入りする?」
「是非お願いしようかな」
「馬鹿、十六歳なんだからできるわけないでしょ」
じゃあ、十八歳以上ならできるってこと? なんて聞かないでおいた。俺はその、限りになく零に近い可能性に救いを見出していた。




