あなたはテロリスト
「一発目からいきなり人妻物って、藤村にそんな趣味あったっけ?」本を手に取りページをペラペラと捲り始めた。
「自己分析の結果だね。色々な扉を叩いて回ってるんだよ、どれか一つくらいは開けばいいなって」
「何そのカッコつけた言い回し。でもなんで人妻なんだろうね? 年上の余裕のある女性に受容されたいのか、母性に飢えているのか」
「いや、会社にエッチな姉御肌のお姉さんがいたから、いいなって思って……」
委員長は顔を上げて冷たい視線を向けていた。そしてパタンと本を閉じた。
「いや、でも委員長の推測もあながち間違いではないと思うよ。俺も赤ちゃんプレイとかしてみたいって心の片隅で思っているし」
委員長は俺の言葉を聞き終えるとその人妻本を自分の隣にそっと置き、女の子座りのまま這いずって俺の前までやってきた。太ももを引き摺る時の波打つ肉をじっとみた。これは体操着なのが悪いね。
委員長は何かを考えるようにじっと俺を見た。
「よしよし」そう言い、俺の頭を撫で始めた。それからしばらく頭を撫で続けてくれた。委員長なりの赤ちゃんプレイだったのかもしれない。俺は小っ恥ずかしくて目を閉じた。頭を撫でられているのに、精神まで愛撫されているかのような心地よさだった。「……どうだった?」少し恥ずかしそうに尋ねた。
「すごい良かったよ。委員長にエロ本を見られた時の恥じらいとかではなく、純粋な恥ずかしさだったよ。本来恥ずかしいというのはこんな感情なんだって再確認できた。俺が生き延びるために、恥というものを快楽と混同させ、恥辱を糧にするための行為ではなく、この純粋な小っ恥ずかしさは」
「もう、分かったから」呆れたように遮った。
「委員長にもやってあげようか?」
「……じゃあ、お願いしようかしら」頭を少し前に突き出して目を瞑った。
恐る恐る頭を撫でた。サラサラとした髪を撫でるのは心地よかった。
「……あぁ、確かにいいかも」漏れるような声で呟いた。
そんな風にそんな事を言われたら、俺も気合いが入ってしまう。
色々と委員長を労わる台詞を吐きながら、何度も何度も優しく頭を撫で続けた。委員長は眼鏡を外して胸ポケットにしまい「ちょっと、ごめん」と、俺の肩に頭凭れかかった。
再び、あのクラクラとする香りが漂ってきた。猛りを抑え込むのに酷く苦労しながらも、その美しい黒髪を撫でた。委員長の呼吸は寝ているかのように安らかだった。俺はその無防備な姿が堪らなく、どうしようもなくなった。委員長の頭に唇で触れようと思った。
「大丈夫だよ、まこと。大丈夫」俺も顔を近づけて頭を撫でた。
委員長はハッと頭を上げ、ゴンと鈍い音が響いた。口付けしようと近づいていた俺の頬に頭をぶつけた。
「ええ、ごめんね、大丈夫?」
頬を押さえる俺を心配して、委員長も頬を撫でた。
「大丈夫だよ」
「ごめんね、ホントに。いきなり下の名前で呼ぶから驚いちゃって。てかなんで下の名前で呼んだの?」心配している様子ではなく、後半の質問の剣幕は凄まじかった。
「いや、なんて言うんだろ、あの時は可愛すぎて委員長って言うより、まことちゃんって感じだったんだよ」
「普段は可愛くないの?」ニヤリとし、意地の悪い質問をしてきた。
「普段は美しく凛とした感じだろ。大和撫子って感じなんだよ」
「藤村も随分口が達者になったね」皮肉っぽく笑った。
「本心だよ」
委員長は納得いかないような表情で眼鏡を掛け直し、箱の前に戻り次の本を取った。
「不良娘の家出、ねえ」本をジロジロ見ながら軽蔑するように言った。「確か藤村って、中学二年生の頃に不良娘の田中さんと付き合ってなかったっけ? クラスが違ったからあまり詳しくないけど」
俺と委員長は一年と三年の時は同じクラスだったのだが、二年の時は違かった。二年の時はさっき話にあがっていた吉乃楓と同じクラスであり、その吉乃を巡った女たちのゴタゴタに巻き込まれ、俺は随分荒んでいた時期だった。
「まあね、期間は短かったけど」
「藤村から告白したの?」
「いや、向こうから試しに付き合ってみないって」
「ふーん、なんで藤村なんだろうね?」
「なんかシンパシーを感じたらしいよ」
「確かに二年の時の藤村って不良ぶってたもんね」
「不良ぶってはないけど、今みたいに明るく振る舞えなかったし、丁度施設に入らなきゃいけなくて相当参ってた時期ではあったね」
「いや、不良ですって顔つきだったよ。学校に四時間目に来たと思えばご飯食べて、また午後の授業サボったり」
「どんな顔だよ。でも、それは仕方ないだろ? 俺は給食がなきゃ餓死してたぜ、多分」
「それで不良少女は不良少年にシンパシーを感じて付き合ったと」
「まあ確かに、向こうはそう考えてたみたいだね」
「でしょう。それでどっちから別れを切り出したの? 藤村からじゃないでしょ」
「ああ、向こうから。結局俺が不良少年じゃ無いってバレちまってよ」
「なんて言われたの?」
「不良少年かと思ったらテロリストだった。って」
「テ、テロリスト」委員長は笑いを堪えるのに必死だった。
「確かに俺はあの時、明治時代の左翼詩人だとか、プロレタリア文学に傾倒して、どうすれば全国にいる自分と同じ境遇の子達を救えるかって、真剣に考えたりもしてたけど。そのために過激な思想を垂れ流したりもしてたけど」
「ちょっと火遊びするつもりが、それが革命の炎だったんだ」もう笑いを堪えようともしてなかった。
「なあ、委員長、そこまで笑われると流石に傷つくぜ」
「……ごめん、ごめんね」口とお腹を抑えて笑っていたので、俺は委員長が落ち着くまで待った。ようやく落ち着いたのか、本を人妻本の上に重ねて置いた。「それで、どれくらい付き合ったんだっけ?」
「……三週間くらいかな」
「ねえ、それってホントに付き合ってたの? 罰ゲームとかじゃなくて?」
悪気なく言った委員長のセリフは俺を打ちのめすには十分すぎるほどだった。俺がハッとした顔をすると、委員長も自分がどれだけのことを言ったかに気がついたのか、両手で口元をスッと押さえた。俺はあまりのショックにその場で崩れ落ちた。
「委員長からすれば、俺と付き合うなんて罪と罰か。そうだよな……」俺は大袈裟に両手で顔を押さえ、えんえんと泣くフリをした。
「ごめんって、本当に違うの。その時の女子、特に田中さん達の不良グループは罰ゲームで誰かと付き合うとか流行ってて、男子はあんまり知らないと思うけど、女子の間では有名だったの。だから、藤村と付き合うのが罰だと思ってたんじゃなくて、その罰ゲームの標的にされたんじゃないかって思ったの」委員長はすぐに駆け寄って俺の隣に腰を下ろして、俺の頭を撫でた。
「でも委員長は罰ゲームの対象に俺が選ばれることには、全く疑問を持たなかったってことだろ。楓だったらそんな罰の対象にはならないけど」言いたくもなかった楓の名前が自分のどこかから湧き上がって放たれた。俺はさらなる自己嫌悪に苛まれる。
「違うよ! 三週間で別れたって言ったから、だってそれって罰ゲームの期間でしょ。だからそう思っちゃったの」
「……委員長、俺分かってたんだ。でも、現実を見ることが出来なかったんだ。女性が俺を受け入れてくれたという仮初の喜びを心の大黒柱にして、それに縋って生きてきたんだ。今、その大黒柱を軸に組み立てた心の安寧のボロ小屋が、遂に音を立てて崩れていった。俺にはもう縋るものがない」
「たった三週間なのに大袈裟だよ。大丈夫だって」
「それが大袈裟じゃないんだ。俺の心の大地にはぽっかりと大穴が空いていて、それは俺の女性に対するコンプレックスだったわけだけど、それを埋めてくれたのが田中さんだった。そして深い穴に埋まっているからこそ、それは他の柱よりも力強く俺を支えてくれたんだ。ごめん、これは委員長のせいじゃないんだ。俺がいつか向き合わないといけない問題だったんだ」
「大丈夫だよ、すぐにいいことあるよ。元気出して、ね」
頭を抱えて横になる俺を慰めるために、委員長も俺の正面に添い寝する形で横になった。俺は委員長を見習わねばならないと思う点が数えきれないほどあるが、その一つが、言葉に行動が伴っている点だろう。
元気出して、そう言うだけなら簡単で誰にだってできるが、委員長は添い寝をして、その柔らかく大きな双丘をあてがってくれた。委員長はこうすれば俺が簡単に元気になると理解しているし、自分が持つ強力な武器への信頼も厚かった。
それでも委員長は俺を受け入れてはくれない。どうだろう、俺がそれを望めば快く俺を受け入れてくれるのだろうか、それともあまりに俺が哀れで同情するように受け入れてくれるかもしれない。しかし委員長は拒絶するだろう。拒絶してなお、友達でいようと言い、今と変わらない態度で接してくれるだろう。それが、委員長であった。しかし俺は、その時に生きていられるかわからない。精神は死んでしまっているだろう。
「元気出すまでイタズラしちゃうよ?」なんて言いだすと、そのしなやか腕を、俺のシャツの内側へと潜り込ませ、胸や腹を直接撫で回した。
俺のぐちゃぐちゃになった脳みそはまともな機能を放棄して、その委員長のイタズラの快楽を受け入れながら、もういっそ、委員長のことを滅茶苦茶にしてやろう、どうなってもいい。他人事のように考えていた。
「男の人も乳首が硬くなるってホントなんだね」なんて、俺の気も知らないで呑気に言っている。
「委員長もう辞めてくれよ。頭がぐちゃぐちゃになっておかしくなりそうだ」
委員長は何も言わずに、黙って俺の身体を弄り続けている。
俺は委員長の両手を掴み、押さえつけるような形で跨った。それでも委員長はその眼鏡の奥の綺麗な瞳を潤ませるだけで、何も言わない。
拒絶して欲しかった。今だったら間に合う。早く。そう思いながらも、身体は言うことが聞かず、委員長の頭を撫で、耳をなぞり、頬に触れた。俺の身体は、彼女に口付けをしようとしていた。
それでも委員長は何も言わなかった。その眼は哀れみとも、同情にも見えなかった。或いは俺が思い直すことを信じているのかも知れないが、それはもう殆ど不可能であった。
心臓の鼓動は爆発するように跳ね上がり、理性というものはすっかりどこかへ消え失せてしまい、俺はただの肉の塊となり、異性の肉を求めている。
どれだけの後悔があるか、すぐ側に見えているはずなのに、全くそんな物は目に入らないようで、遂に委員長は落涙し、その涙は俺の親指に触れた。
委員長も苦渋の決断で覚悟を決めたのだろう。ゆっくりと眼を瞑った。
俺はもう、限界だった。
ピンポーン
張り詰めた空気を切り裂くようなチャイムの音が鳴り響き、俺はハッと手を離した。側に向き直って座った。委員長も女の子座りで俯きながら側に座った。
「こんなふうになっちゃうから辞めてってことね」俺はこれをどんな感情で言ったのか分からなかった。
「……それより、早く出たら」俯いたまま呟いた。
「ああ、そうだね」
俺は玄関へ急ぎドアを開けた。
「泉さん?」そこにはあの美少女がぽつりと佇んでいた。
「今日、ちょっとこの辺で用事があって、急に寄ってみたんだけど迷惑だった?」今の俺には眩しくて直視できない笑顔だった。
俺はもう返答に困ってしまって、ただぼんやりとしていた。