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眼鏡と僕と

 俺は眼鏡が好きだ。いつから好きなのか、どうして好きになったのかまでは覚えてないが、本当に眼鏡が好きだ。

 だから俺にとってハラワタが煮えくり返るようなことと言えば、よくあるだろう? ほら、眼鏡をかけた女の子を芋っぽい扱いにしてさ、眼鏡を外せば美人に大変身って。極めて安直で頭の悪い発想さ。

 それに眼鏡をかけてる子って、みんな揃いも揃って優しんだ。俺みたいな頭と顔の出来が悪い男に対しもてだ、正直これはちょっと異常なことだと思うぜ。昨今の悪いルッキズムの風潮に流されていないことを、その眼鏡が証明してるんだ。

 彼女らはよく勉強をするだろう、だから目が悪くなっちまうんだな。もちろん例外もいるけど、まあその例外は気にしないでくれよ。

 まあ、やっぱり人間というものは真剣に勉強に取り組むと、人はその精神が大事だとわかってくるんだろうね。肉体なんかはただの器だって、死してその精神と魂だけになった時、その精神が貧弱な方があまりに恥ずかしいって、眼鏡を掛けている彼女たちは気づいているんだ。いつの時代も無名でありながら真理に近付いている人は居るけれど、現代日本では彼女たちなんだ。精神至上主義なんだ。

 え、お前は精神や中身って言いながら、眼鏡という外的な要素に異常なまでにこだわっているじゃないかって? 

 ……そろそろ学校に行かなけばならないようだ。俺はジモティで買った五万円のカブに跨って、暗くなりゆく空の下をかけていった。時速三十キロでね。



 学校に着くと部活帰りの生徒たちで溢れかえっていた。丁度あの坊主どもが自転車を退かせた所にカブを突っ込んで停めた。

 なんでみんなが帰ってるなかで学校に通ってるかって? まあ、お恥ずかしいことに俺は定時制の学生でね、全日制の生徒の青春の残り香を嗅ぎながら、肉体労働をして疲れた身体に鞭を打って学校に通っているんだ。鞭を打たれるにしても、眼鏡の女王様に打たれるんだったらどれだけ嬉しいか知れないね。

 俺はこの学校に着いて教室に入るまでの時間が、一番嫌いであり、一番好きなんだ。やっぱり全日制から定時制への学生への視線は厳しいものがある。でもこればっかりは仕方ない部分もあるよ。定時制って本当に自分の親父くらいの年齢の人がいるしね。俺は親父なんて一回も会ったことがないけど。あとは、やっぱり不良が多いね。なんで教室に信号機があるんだろうかって思ったら、不良少年の頭だった。それで下品にゲラゲラ笑って騒いでるから、俺はYouTuber専門学校に来ちまったのかと思ったぜ。

 お前らの来る場所ではないって、外国人が日本に来て感じる視線ってのはこんな感じなのかもな。いや、それとは違うか。でもあいつらの気持ちもわかるよ。必死になって勉強して、地元で一番と呼ばれる進学校に入ったのに、俺たちみたいな落ちこぼれのグズと同じ校舎に通わないといけないなんて、神学校に入ったのにマルクスについての勉強をさせらるくらいの理不尽だろう。眼鏡は民衆のアヘンであるってね。


「お疲れ様、藤村」


 この、深い紺色で細いフレームの眼鏡を掛けた麗しい女性は、嶋咲まこと。俺が全日制の生徒の中で唯一顔と名前が一致する生徒だ。彼女は腐れ縁とでも言えばいいのだろうか。小学生からの同級生で、今では四十も偏差値が違っているのに、同じ学校に通ってしまっている。いつも部活が終わるころに丁度俺が来るため、毎日こうして顔を合わせている。嶋咲曰く生存確認だそうで、お節介を焼かせれば、彼女の右に出る者はいないだろう。


「お疲れ様委員長」委員長と呼んでいるのは小学五年生の頃の名残であり、彼女の分け隔てない姿勢と、清く正しい心を持つ委員長然とした姿と眼鏡が印象的で、今になってもそう呼んでみたりする。因みに俺は、度が合わなくなり、フレームにもガタがきたお古の眼鏡を貰って家に飾っている。俺はもし委員長の信仰心を試す踏み絵、いや踏み眼があったら絶対踏めないだろうな。


「うーん、ちゃんとご飯は食べてるみたいだね。むしろ、食べ過ぎかも」


 委員長は俺を上から下まで舐めまわすように見て言った。今日はいきなり気温が上がったので久しぶりに上着を脱いできたから、それが原因だろう。俺は両手で胸と股間を隠した。無花果の葉があればよかったんだけど。


「た、確かに現場の仕出し弁当は毎日二つ食べてるし、欠席者が出たら三時の休憩にもう一個食べてるけども。べ、別にBMIは適正の範囲内だよ」わざと大袈裟に恥ずかしがった。


「冗談だって、ちょっといい?」委員長はニヤつきながら側にやってくると、俺の肩に手を置き、それから腕、胸、腹と順番に、確かめるかのように触った。「大分筋肉質になってきたね。この前までインドア派の文学少年だったのに」


「そりゃあ、肉体労働だからさ」それに中学生の頃は金がなく、給食以外の物を食べる機会が殆ど無かったのだから、そのせいだ。それより、委員長は未だに腹と胸の辺りを執拗に触ってくる。これはちょっと、どうにもまずい。


「うん、これはこれは」そう言いながら、腹筋を何度もなぞった。


「俺も委員長の身体触っていい?」自分で言ってみて思ったんだが、された事をやり返そうとしてるだけなのに、どうしてこんなに犯罪臭が漂ってくるんだろうなぁ。


「いいけど、大きな声出すよ?」満面の笑みだった。


「卑怯すぎる! いやでも、本当にそろそろ辞めてくれないと、授業に支障が出るっていうか。正直、現時点でも相当まずい」


「これは診断だから、藤村が不摂生をしてないかどうかの。それに支障が出るって、普段はちゃんと授業受けてるの?」眼鏡の奥の眼を細めて疑った。


「まあほどほどに」


「そう、程々ね。でも、そんなに触られるのが嫌だったら、抵抗すればいいのに」


「嫌なんて一言も言って無いだろう。寧ろ良い、最高だ! だからこそ困る」


「なんか、変態の言い回しだね」


「俺が変態なことについては否定しない。いいや、自信を持って肯定する」


「開き直ったよ」


 その時に丁度、下校時間を知らせるチャイムがなった。


「じゃあ、俺はもう行くわ。そろそろ給食の時間だし」


「あれ、いつもよりちょっと早くない?」


「こんな下品なことを委員長に言うのもどうかと思うのだけど、マズローの欲求の最下層の一つを、自ら発散させないといけないからさ」


「ちょっと知的なオブラートで包めば、なんでも言っていいと思ってる? そんな事してご飯も食べたら、もう眠くて授業受けられないでしょ」


「なんでそっちだと思ったの? 俺はちょっとでも仮眠を取ろうと思っただけなんだけど」引き攣った顔をしてみた。


 委員長はちょっと面食らったような感じだったが、すぐに反撃をする目をした。


「仮眠を取ることが下品なことなわけないでしょ? ねえ、違う? そうやって私を揶揄して、そういう行為をするって言ったんでしょ」


「いや、委員長でするわけじゃないけど……」


「ご飯のお供の話じゃなくて、私を会話の流れで貶めようとしたでしょ。睡眠じゃなくて自慰でしょ? 正直に言わないと嫌いになっちゃうよ」


「そうです、その通りです。最近、資格試験の勉強もあって、禁欲的な生活を強いられていて、帰って寝る間も惜しんで勉強して、俺はもう限界だったんだ。頭がおかしくなりそうだ。可笑しくなりそうだ」


「すでに頭は十分おかしいでしょ。もう分かったから、早く行って来なよ。ご飯食べる時間が無くなっちゃうよ」ようやく手を離した。


「ああ、イってくる。また明日、委員長」


「うん、また明日」片手を上げて手を振った。「あんまり自分を追い込みすぎないでね」


「ああ。そういうのはもっと時間がある時にするよ」


 急いで校舎に向かっていると、後ろから委員長の声が聞こえた気がして振り返った。


「なんか言った?」


「なにも」そっぽを向いていた。


 もう一度軽く手を上げて急いでトイレに向かった。





 給食も食べ終え、二つの欲求を満たしたので教室へ向かっていると、人気のない廊下にはあの信号機の三人組が電子タバコをふかしながら屯していた。俺は見なかったことにして通り抜けようとしたが、セーラー服を着た全日制の女子が三人に取り囲まれていた。彼女は書類の束を抱え、困惑した視線で俺を見ていた。そんな子を放って置けるほど、俺は悪人では無かった。これも委員長の綺麗な精神と眼鏡に触れたからである。


「お前らくだらねえことしてんなよ。三対一で情けねえな。困ってるだろ」主犯格の男の肩を掴んで少し引っ張った。


「は、なんだよカブ」


 こいつらは俺を乗っているバイクの名前で呼んでいた。こいつはディオに乗っているが、全く悪党の風上にも置けないな。完全に名前負けしているよ、お前は。おまけに酒くさい。未成年喫煙、飲酒なんでもござれの小悪党だ。ここまで情けないと、もう笑っちゃうね。


「ほら、早く行きなよ」赤信号の肩を少し強めに引っ張ると、アルコールのせいか、肉体労働の成果か赤信号は簡単によろめいた。


 セーラー服の女の子はペコリと小さく頭を下げると、その時にできた隙間を通り抜け、小走りで帰って行った。


「どうすんの、あの子?」青信号は小さくなる背中を見ながら呟いた。


「……放っておけよ」と赤信号。


 流石にあんなにダサくよろめいた後に、女の子を引っ掛ける度胸は無かったようだ。


「お前調子に乗ってんだろ?」臭い息が掛かるほど顔を近づけた。


「その台詞って決まって言ってる方が調子に乗ってるよな。なんでだろうな。日本語の奥ゆかしい表現の一つなの?」


「てめぇ!」


 汚い怒声と共に、赤信号は蹴りを繰り出した。俺はその足を受け止めて、もう片方の軸足を引っ掛けて転ばせてやった。

 すると矢庭に青と黄色が食ってかかってきた。青と黄色に両腕を掴まれると、流石に身動きが取れなかった。赤がゆっくり立ち上がると、鳩尾を目掛けて思いっきり殴ってきやがった。それから俺が倒れると、ボコボコ蹴ってきやがってよ。

 鼻血はとめどなく流れて床を汚し赤色のスタンプで、右手の小指と薬指は完全に折れちゃったね。俺は亀みたいに身体を縮こめて耐えてたよ。


「お前ら何やってんだ!」


 廊下の電気がつくと二人の教師にさっきの女の子がいた。カッコつけて助けたと思ったら、俺の方が助けられたなんて、情けない話だ。

 すぐに信号機の三人は別室に連れて行かれ、俺のもとには担任の先生と、養護教諭の先生と、あの女の子が来てくれた。俺は全く気が付いてなかったのだけど、頭を蹴られた時に皮膚が切れて物凄い血が流れてたんだ。こんな時、痛みを感じないって人体ってのは不思議なもんだね。先生はすぐに止血をして手当をしてくれた。


「……ごめんなさい……ごめんなさい」ってその間あの女の子は泣きそうになっちゃってさ。なんだか申し訳ないね。可愛い顔が台無しだよ。


 俺は小粋な諧謔でも言おうと思ったんだけど、鳩尾をしこたまぶん殴られたから、苦しくて声が出せなかったんだ。

 そしたら救急車とパトカーまでやってきて、ほんと大袈裟だよ。

 救急車には担任が付き添ってくれて、その女の子も一緒に来ようとしたけど「もう遅いから、君はもう帰りなさい」そう言われて帰って行った。


「後でお見舞いきてね」あんまりにも女の子の顔が悲しそうだったもんで、俺は慣れないウインクと投げキッスをした。これが全然ウケなくて、俺はリンチにされたことよりそっちの方が余程ショックだった。





「CTなんて大袈裟ですよ、なんかいっぱい血は出てますけど、全く痛くありませんし」


「今はアドレナリンが出てるからね。いつから血が出てるかも覚えてないんでしょう。それが酷い衝撃を脳に与えてたらどうするの? 君だってまだ死にたくないでしょ。人生まだまだこれからなんだから」


 中年の男前の先生に言われた、CTとレントゲンを撮った。

 幸い頭は無事だったみたいだが、やっぱり指は折れていた。入院するほどでは無かったみたいで、担任の先生に送ってもらって家まで帰ってきた。


「あれ、カブはどうしましょうか?」


「ああ、一旦そのままにしておくよ。今の状態じゃ持って帰れないだろ」


「あの子にお見舞い来てとか言っちゃったなぁ。入院もしてないのにどうしようかな」


「それも伝えておくよ」


「先生あの子知ってるんですか?」


「ああ、俺は日勤も非常勤で受けもってるからな」


「そうなんですか。じゃあ、あの子が俺のこと心配して先生を訪ねて来たら、俺の連絡先を教えてあげてください」


「なんかお前、すごい自信だなぁ」驚いて声を上げた。


「いや、こんな目に遭って、女の子が心配してくれてるとでも思わないと、やってられないじゃないですか。希望的観測ですよ」


「そうだな。その時は伝えておくよ」フッと笑った。


「ええ、お願いします。それで話は戻りますが、先生日勤も請け負ってるんですか? 大変じゃないですか」


「確かに大変だが、面白いよ」


「俺がこんな目に遭うことがですか!?」


「なんでそうなるんだよ。お前のお父さんくらいの年齢の生徒も多いだろ。みんな色んな訳があってこの定時制の学校に通ってるんだよ。俺なんかずっと教師をやってきて、一般的な社会のことなんてよくわかってないけど、そういう人たちに話を聞かせて貰うのは面白いんだ」


「俺は親父なんて見たことないですけどね」


「そうか、それは悪かったな」


「いや、謝らないでください。冗談ですよ。親父がいないのは本当ですけど」


 そんな話をしているうちに俺の社宅の前まで着いた。


「お前も明日からはちょっとややこしくなるぞ。職場に連絡しなきゃ行けないだろ。でも大丈夫か、有給はあるのか? その怪我じゃ仕事なんてできないだろう、現場仕事なんだから。あとは学校でも色々と話は聞かせて貰うと思うから、携帯はすぐに出られるようにして置けよ」


「わかりました」


「じゃあ気をつけろよ。なんか頭に異常があったらすぐに救急車呼べよ」


「ええ、ありがとうございました」


 本当にありがたかった。井上という優しい担任のおかげで、俺は随分気が楽になった。俺は家庭環境にはあまり恵まれなかったが、それ以外で出会う人には悉く恵まれいる。





 そして色々な事があり、あったんだけど、どうしてこんなことになっているんだろう。いや、色々あったことは後でおいおいゆっくり話すよ。

 そんなことより、あの子が急に社宅まで見舞いに来てくれて、流れでそのまま上がって貰ってね。まあ、それはいいよ。ありがたいことだ。まさか本当に見舞いに来てくれるなんてね。

 問題はちゃぶ台を挟んだ彼女の背中にあるオナホだ。あいつ全く、俺はインテリアですみたいな雰囲気醸しやがってよ。片付けるの忘れてたよ。本棚に横に置いてあったからこっちに来る時に見られたら可能性は低いだろうが、今後ろを振り向かれたら一巻の終わりだ。

 俺の今からのミッションは、この子に見つからずにあのオナホなんとか隠すことだ!!


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