「教養」とは結局「所属コミュニティの内輪ネタ」である。
タイトルで結論を言ってしまったタイプのアレである。
この文章の論旨は「バカって言ってるほうが、バカなんですー」っていう小学生感あふれる主張である。兼好法師的なアレね。
改めて宣言する。
「教養」とは結局「所属コミュニティの内輪ネタ」である。
社会的地位や時代、文化によって「教養」とされるものが異なることからも、これは明らかだ。
現代日本人が武経七書を読むのか、という話である。
それに思い至らず「『春は揚げ物』でクスっと笑えないヤツは教養がない」と断じるのはどうだ。
枕草子が一般教養かどうかは所属クラスタによる。
お勉強クラスタでは枕草子を知らないとゴミだが、ヤンチャクラスタでは車のカスタム語れないヤツはゴミだし、インターネッツ老人会では「ぬるぽ」に「ガッ」と言えないとゴミなのだ。
そういう話に「教養がないよねー」と生ぬるく微笑む前に、そもそも相手が同じクラスタの人間かどうかを考えるんだ。
内輪ネタが通じなかったという、それだけの話に「教養があったほうが世の中面白いよ」って言っちゃうのは、結局「俺の世界観・俺の生きてる世界が一番素晴らしいんだぜ」っていうマウントに他ならない。
そういう態度は教養がある者の態度なのか、っつう話。
それにな、よく読め。そもそもがおもんないんだよな、「春は揚げ物」は。
なお私の生きるクラスタにおいて、花火の鑑賞時に「リアカー無きK村」レベルの話しかできないヤツは理系エアプ勢として教養なし判定を受け、置いて帰ってよい事になっています。