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第8話 どんな苦より忘れぬ口吻を

「終わった……あたしの学園生活……。あたしの正体を知ってるヤツがいるなんて!」


 一気に学園生活の見通しが立たなくなった。


 助けてくれたことには感謝してる。

 でも、そのとき親切にしてくれて、ステージで歌う姿に一瞬でも心奪われただけに、好意的な気持ちが反転して今は……なんかホルス、嫌いだわぁ。


「でも、あたしはタダでやられっぱなしにはなんないから」


 鞠栖川まりすがわ家の自室……以前住んでいた安アパートが犬小屋に思えてしまうくらい広い部屋。そのベッドに立ったあたしは、拳を天井に向けて突き上げる。


「どうせバレてるなら、あいつの前ではとことんやってやる。あたしをたんなるお嬢様コスプレ女と思わないことね!」


 反撃の余地はあるのだ。


「あいつだって、学校ではバンドマンだってこと隠してるぼっちじゃない。なんか生徒会長の『妹』らしいけど、知らんし! あいつだって後ろめたいことがあるんだから、それを反撃材料にしてやり返してやる!」


 あんなヤツのために、あたしのお嬢様化計画を邪魔されてたまるかって話。


「ふひひ、あいつが下手なことしようもんなら、お化けみたいなメイクして真っ黒な布被ってるV系バンドやってること、みーんなにバラしまくってやるんだから」


 仮にもあたしには、一年生最高のお嬢様という信頼をすでに得ている。


 地味っ子センパイより、あたしの言葉に耳を傾ける人の方が、ずっとずっと多いってこと。


「あたしのここまでの努力を潰そうとしたこと、後悔させてあげないとね!」


 ちょっとはビビってたあたしだけど、反撃の材料を得た今、恐れるものは何もなかった。


 ★


「――え? ああ、ぼくがバンドやってることなら別に言ってもいいけど?」

「え……」


 休み時間中、わざわざ伊佐谷いさやに会いに行って宣戦布告したら、帰ってきたのがこの言葉。


「あ、あなたはバンドマンなことを隠したいから学校ではその格好をしているんじゃないんですの!?」


 校舎内の人気のない踊り場まで連れ出してるんだけど、万が一誰かに見られたら台無しだから、伊佐谷が相手でもお嬢様モードは続ける。


「うーん、そういうわけじゃないんだよ」

「だったらどういうわけですの!?」

「ぼくって、普通にしてるだけでもモテるみたいなんだ」


 伊佐谷が憂鬱そうにする。


「ライブ中ならいいけどさ、学校でまで女の子からキャーキャー言われてちやほやされるのは面倒だから。こうして印象に残らないようにしてるんだよ」


 これがそこらの人なら、とんでもない勘違い野郎だねって話で終わるんだけどさ。

 あたしは、この身を持って伊佐谷がどれだけ特別な魅力を放つ人か知ってる。

 くそっ、せっかく反撃のチャンスを手に入れたと思ったのに、これじゃ返り討ちじゃん……。


「今のところバレてないけど、バレたらバレたでまあしょうがないかなぁって」

「……」

「君はどうなの?」

「えっ?」

「ずっとお嬢様でいると疲れるから、外ではギャルに成り切って気晴らしするんじゃないの?」


 成り切る……?


 そっか、こいつ、あたしの本質はお嬢様で、ギャルはあくまで気晴らしの仮の姿だって勘違いしてるんだ。


 それならここは、これ以上ダメージを広げないためにも、伊佐谷の言い分に乗った方がいいのかも。


「あなたの言うことも間違いではありませんわ。私もまた、何かと注目されてしまう身の上。そこに気苦労がないとは言いません。だから休日になると、ああやって普段とは全然、まったく、違う自分になってみるんですの」

「へえ、そうなんだ」

「なんですの。納得していないような生返事をして」

「ううん、気にしないで」


 そんな態度取られて、気にするなという方が無理だ。

 これ以上伊佐谷に構っていたら、伊佐谷のペースに飲み込まれて墓穴を掘りそう。


「これ、お返ししますわ」


 あたしは、スカートのポケットから伊佐谷のロザリオを取り出して押し付けようとする。


「私の『お姉様』に相応しい方は、後日改めて探します。少なくとも、あなたをお姉様とお慕いする気はございませんので」

「いいよ別に。そのまま持ってて」

「妹がほしいのなら他の方にでもお渡しくださいな」

「ぼくが心から『妹』にしたいのは君だけだから」

「どういう意味ですの!?」


 まるで瞳にはあたししか映したくないってくらいじっとこちらを見つめて言ってくるから、ついつい動揺してしまう。


「……わ、わかりましたわ。ぼっちなあなたのことですから、渡せるほど交流のある方がいないのでしょう? お可哀想なこと」

「まあ、学校に友達がいないのは本当だけど。あまり仲良くなる気もないし」

「ほら」

「学園の外の付き合いだけで、ぼくは十分だから」

「……」


 熱狂的なファンを抱える姿を目の当たりにしているだけに、説得力はあった。

 あれだけ支持されていたら、たとえ学校の友達がいなくたって、寂しい思いをしたりコンプレックスを持ったりすることはないかもしれない。


 自分の姿を偽って、それでも必死の学園の友達を繋ぎ止めようとしているあたしとは大違い……。


「それでよく楓井会長と『姉妹』になれましたわね」

「詩乃? ああ、あいつは変わり者のおせっかいだから」


 生徒会長相手でも呼び捨てなのか、こいつは。

 お姉様相手だろうと随分と雑な物言いだ。本当に楓井会長と『姉妹』なの?


「だから、それは君が持ってて」


 伊佐谷は、ロザリオを持つあたしの手首を握ると、もう片方の手であたしの背中を支えてくる。これじゃまるでお上品なダンスのワンシーンだ。


 あたしを覗き込むように迫る伊佐谷の顔。

 これだけ顔立ちが整っているなら、あんな変なメイクなんかしなくてもいいのに。


 てか、なにされるがままになってんの。


「いらないと言って――」


 伊佐谷の肩を押して、押し返そうとしたんだよ。

 でも、力を入れようとする直前のこと。


 ちゅっ。


「は……?」


 額に、なんか柔らかいものが当たった。


 その瞬間、あたしの頭の中は真っ白。


 気付いたときには、目の前で妙にクールに微笑む伊佐谷の顔があった。

 これでやっと、何をされたのかわかった。


「はぁぁぁぁぁぁ!?」


 あたしは、お嬢様モードってことも忘れて叫んだ。


「な~~~~~にをしてくれてますの、あなたは!」


 ここでギャルモードに戻らなかったのは、あたしの中にもちゃんと冷静な部分が残ってたからだろうね。デカい声出して、もし誰かに見られたら理想のお嬢様を保つのも難しくなっちゃうかもしれないし。

 それでもあたしの心拍数は落ち着くことなんてなくて、ドキドキしっぱなしだった。


「今、おでこにキスしましたわよね!?」

「君の顔見てたら、つい」


 悪びれる様子を一切見せることなく、伊佐谷が言った。


「嫌だったらごめんね」

「嫌ですわよ! 決まってるでしょうが!」


 とは言ったものの、不思議と嫌悪感はなかった。

 それどころか、ふわふわ浮いてるような、体の芯がぴりぴり心地よく痺れる感じがした。


 言葉と気持ちが一致しない感覚に、戸惑うことしかできない。

 おでこだから良かったけど……これが唇だったらどうなっちゃうの?


「そっか。でも、君をぼくのものにしたい気持ちが強すぎて。君は素敵だからさ」

「なななな……!」


 あたしは動揺した。

 可愛い、とか、綺麗なんて言葉は日常で耳にするよ。

 でも、他人から面と向かって、その上至近距離で「素敵」なんて言われること、そうなくない?


 それを恥ずかしげもなく言うなんて。

 どんなメンタルモンスターよ。


「もうすぐチャイムが鳴るから、君も遅刻しないうちに教室戻りなね」


 踵を返したきり、こっちを振り向いてくれることもなかった。


 遅刻が理想のお嬢様らしくないことはわかってる。

 でも、あたしの足はすぐには動いてくれなかった。


 伊佐谷がいなくなって、冷静になった頭に、伊佐谷の唇の感触が戻ってきてしまったから。


「本当に、なんなんですのあの人は!」


 弱みを握って、伊佐谷の鼻をあかせると思ったのに。

 いとも簡単にキスしてみせた伊佐谷は、あたしにとってますます得体のしれない存在になった。


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