第34話 Good‐morning Hide&Jekyll
「こんな時間にラーメン食べるのが初めてなら、こんな時間に出歩くのも初めてだわー」
ラーメンをキメたあと、あたしは伊佐谷と一緒にのったりゆったりと駅へと向かっていた。
本当ならこんな時間に歩いてる人なんてまばらなんだけど、クラブ帰りなのか、それともあたしみたいにイベント帰りなのか、ハイな感じになって歩いている人をやたらと見かけた。
「明け方まで起きてるのと満腹感の合せ技で眠くなるね」
「それな」
お腹を満たしたことと、大きなイベントを経た直後ってことで満足感はある。
でも、明日からはまたいつもの毎日が始まるわけ。
卒業したら何も残らない人間関係が。
あたしが決めたことではあるんだけどさ。
でも、そうしないといけない環境になったのはあたしのせいじゃない。
「蓮奈ちゃんはさぁ」
「なに?」
「明日とか明々後日とか、とにかくその先のことを生きなきゃいけないの、嫌い?」
「急に難しいこと言い出してどうしたの?」
「蓮奈ちゃんってちょっと気を抜くと難しい顔しちゃってるときがあるから」
「…………」
「そういうときってさ、何か嫌なことがあるのかなって思って」
「……伊佐谷が気にするようなことじゃないでしょ」
「気になるよー。ぼくって、まだ蓮奈ちゃんのことあまり知らないから。一年生の教室でどう過ごしてるかとか、お母さんのこととか、新しいお父さんのこととか、義理の妹さんのこととか」
「あんたがそんなことまで気にしてたなんて意外なんだけど」
「それと、やっぱりどこを触られるのが一番弱いのかなってこととか」
「それはどうでも良くね?」
「大事なことだよ。それも蓮奈ちゃんの一部だから」
「伊佐谷ってなんかどんなときも変わんないね」
「そうかな? ミステリアスじゃない?」
思ったよ。
出会ったばっかの頃は。
こいつ何考えてんのか全然わかんねーなって。
でも伊佐谷って、こうしてわりとガチで絡んでみると、裏表があるようでないっていうか、素直なヤツなのかもって思えてくる。
「そっか。わかった。伊佐谷って思ってたよりガキなんだ」
「どうしていきなりディスってきたの?」
「褒めてるんだけど?」
「……納得いかないけど、蓮奈ちゃんがちょっと嬉しそうになったからヨシとするよ」
困った顔をする伊佐谷。
出会ったばっかの頃は徹底的にあたしの方が困らせられていたけど、今じゃこんな顔もさせられるようになったってわけ。
「ほら、蓮奈ちゃん、あれ見て」
「なに?」
「新しい一日が始まるって感じがするよね」
「……まあね」
あたしたちはちょうど、海外のセレブが何かとインスタに撮りがちな交差点を歩いていて、伊佐谷が指差す先から朝日が上っていた。
夜の明かりで冷えて澄んで尖った空気が、少しずつ温まって柔らかくなっていくんだろうけど、その狭間にいるような変な感覚と眠気と満腹感でトリップしそうになる。
もしかしたらこれも、夢かもしれないなんて。
「明け方までライブがあると、これが見れるから好きなんだよね。本格的に世界が動き始める感じがして」
「悪いけど、あたしこれから帰って寝るよ?」
「ぼくもだよ」
全然中身なんてない会話だけどさ。
伊佐谷と話してると、めっちゃ落ち着く。
なんて言えるようになれたのは、あたしが大人になったからなのか、伊佐谷にどっぷりハマってしまったからなのかわからないけど、理由なんてどうだっていいのかもしれない。
伊佐谷と一緒だったら、あたしが抱えている不満とか不安なんて、些細なことになっちゃうのは疑いようもなく確かなことだから。
交差点を渡りきったあたしたちは、駅へと入って、ホームへと向かう。
今日は休日だけど、平日だったら出勤やら何やらの人でいっぱいになるんだろうな。
「ぼくね、高校を卒業したら家を出ようと思ってるんだよ。親父のところでバイトしてるのってそのためでもあるんだ。蓮奈ちゃんも一緒にどう?」
「は? どういうこと……?」
「だから、一緒に暮らさない? って話だよ」
「なんでそんな話になんの……?」
心の中を読まれたようなタイミングだからビビり散らかしたよ。
「ぼくたちが『姉妹』だからだけど?」
「それ、関係ある?」
「大ありさ。『姉妹』の関係は卒業後も続くから。お互いのロザリオを後生大事にしてね。歴代の『姉妹』はそういうものらしいよ。ほら、うちには付属の大学があるだろ? そこにはもう『姉妹』の制度はなくて普通の大学とあまり変わらないっていうのに、『姉妹』ごっこを続けてる子がたくさんいるみたいだからね」
「それなら、楓井会長と伊佐谷も?」
「詩乃には卒業したらさっさとロザリオ返す」
「え、冷たくない?」
「ぼくにとって詩乃なんてその程度の女なのさ」
それだけ大っぴらに雑に扱えるくらいの信頼関係があるってわけで、逆に生徒会長と伊佐谷の関係性の強さを感じて、なんだか複雑な気分になるっていうめんどくさい状態になった。
「安心してよ。ぼくにとって大事で特別な人は君だけだから」
肩に腕を回してきて、超至近距離で伊佐谷の整った顔面が接近してくる。
いつもなら、伊佐谷のペースに流されまいとして、ほっぺたに手のひら当てて突き飛ばしちゃうけど。
まっさらな朝日が、夜の暗闇ごとあたしの尖っためんどくさい部分まで削ぎ落としちゃったのかもね。
「はいはい。頼りにしてるわ。まあ、とりあえずは卒業までよろしくね。『お姉様』」
「えっ、今……」
「何か聞こえた? 空耳じゃない? 大音量でライブやってたんだから、そういうこともあるかもね。アーティストの人ってそのせいで難聴になっちゃうみたいだから、伊佐谷も気をつけなよ」
「待って。本当なんだ。君は確かにぼくを『お姉様』って呼んだだろ?」
「ほら、電車来るよ」
「聞き逃したからもう一回言ってよ、蓮奈ちゃん」
「あ、来た」
あたしは逃げるように、ホームに到着したばかりの電車に飛び乗った。
まあ、今日はこれから伊佐谷が家まで送ってくれる手筈になってるわけで。
移動する密室の中で、伊佐谷と一緒に過ごさないといけないから、逃げ場なんてないんだけどね。




