第31話 魑魅魍魎の宵の最中に身を窶す
夜。
真夜中に近い時間。
これでもあたしは夜遊びの習慣がなくて、どれだけ帰りが遅くなるときでも日付が変わる前には自宅に戻っていた。
ママに心配かけたくなかったから。
だからこんな時間帯に出歩くだけでもちょっと緊張するんだけど、同時に自由になったような高揚感もあった。
最寄り駅にたどり着いたときから、すでにイベントが始まっているような雰囲気でいっぱいだ。
「この人の流れ、『ディー・キュセ』に行く人だよね?」
ロリータだったりゴシックだったり、推しであろうバンドのコスプレをしていたりする格好は、いかにもV系バンドのファンっぽかった。
でも中には、どこの会場でも浮かないように見える推しのバンドTにデニムってだけのラフな格好だったり、何だったら制服の子もいたりして、こうなるともうイベントに向かうファンなのかわからなくなる。でも進行方向は他のバンギャルと同じなんだよね。
「一緒に付いていこ」
あたしはバンギャルに擬態して、『ディー・キュセ』を目指した。
ちなみにこの日の服装は、インナーのタンクトップだけが白いだけで、あとはデニムジャケットもパンツもキャップも黒い。
バンギャルに溶け込むのは難しいかもだけど、この前みたいに露骨にアウェイ感がしちゃうこともない。
伊佐谷が言うには、今回のオールナイトイベントは、一箇所のライブハウスだけで行われるイベントじゃないんだって。
『ディー・キュセ』の周りには、ラブホテルと同じくらいライブハウスやクラブがあって、イベントはその複数の箇所で同時に開催されるとか。
出入り口から受付にたどり着いて、伊佐谷がくれたチケットをスタッフに渡すと、その代わりにカードサイズのシールを手渡された。
これを体でもどこでも見えやすい場所に貼り付けておけば、イベント開催期間中の会場を自由に出入りできるってわけ。
まああたしは、NI≒KELLしかわからないから、ライブハウスをハシゴする気はないけど。
一つのライブハウスに複数のバンドが出演する対バン形式だから、今回も受付からお目当てのバンドを聞かれた。
「NI≒KELLで」
半券を入れている回収箱には、結構な枚数がすでに積み上がっている。
このイベントのトリらしいし、やっぱ人気ってことだよね。
「? どうされました?」
「あっ、いえ……」
なんであたし、スタッフに不審がられるくらいニヤニヤしちゃったんだ?
NI≒KELLが人気だろうと、あたしには全然関係ないじゃん……。
その上、ドリンク代を支払い忘れそうになって、変に動揺してるみたいで恥ずかしかった。
NI≒KELLの出番まではまだ時間があるけど、すでにライブイベントは始まってるから、どんな感じのバンドがライブをやっているのか見に行くことにした。
今回はオールナイトのイベント。
やってくるバンギャルだって気合いが入ってるみたい。
オールスタンディングの会場で、全然知らないバンドが演奏しているんだけど、熱心なバンギャルたちは最前列に陣取っていて、めっちゃキャーキャー言っていた。
この会場でもステージとの間には鉄柵があったんだけど、他の会場よりステージと客席の距離が近くて、ステージから降りれば最前列のお客をお触りできそうなくらいだった。
「そりゃあれだけ近くに行くよね……」
だからなのか、バンギャルたちも張り切ってるみたいで、バンドマンたちに向かって、花が開くみたいに両腕を広げていた。
みんな、もしかしてNI≒KELLとの兼オタだったりする?
伊佐谷っていうかホルスの魅力を考えたら、ここにいる人みんなファンになっていたって全然おかしくはないけど……。
どうしてあたしは不安になってるんだ。
伊佐谷はともかく、ホルスの人気は散々わかってるし、そのことは別にあたしとは関係ないはずなのに。
フロアの隅っこで、オレンジジュースを片手に知らないバンドのライブを眺めながら、あたしは勝手に不安になっていた。
盛り上がりたい人は最前列とかその近くに行くんだけど、ステージで演奏中のバンドが推しじゃなかったり、音楽をしっかり聞きたいっぽい人はあたしと同じようにフロアの隅や後ろにいるから、観客の中でも浮いちゃうことはない。
相変わらずNI≒KELL以外のV系バンドは、近未来っぽかったり和風っぽかったり、中世貴族っぽかったり、アニメキャラのコスプレ感があったり、とにかく色合いがカラフルだなーなんて思いながら、タイムテーブルは進んでいく。
大音量で音楽を浴びるのって、うるさそうなイメージと違って意外と心地よくて、そのせいで眠くなることがある。
今のあたしもそう。
普段はとうに寝てる時間だから、壁に寄り掛かりながらも船を漕ぎそうになったときだ。
フロア内の雰囲気が、それまでのどこか緊張感がない感じから、ピリッとした空気に変わった。
出演するバンドが交代するタイミングでは、一旦ステージの幕が降りて、その間に楽器のセッティングと調整を始めるんだけど、試奏するようなギターやドラムやベースの音が鳴った途端に、ざわめきが強くなって、明らかにお客の期待感がそれまでとは違うものになってるってわかった。
甘い香りに引き寄せられるみたいに、あたしの足取りはふらふらとステージへと向かっていた。
もったいぶるように、やけにゆっくりと暗幕が上がり、再びステージがその姿を現す。
「どうも、待たせて悪かったな。オレがいない間寂しくなかった?」
妙にカッコつけたセリフをあたし以外の女の子にも吐きながら、ステージに現れたのは伊佐谷……いや、NI≒KELLのボーカルのホルスだ。
相変わらず、NI≒KELLは他のバンドと違って全身が真っ黒。
お化け? ってくらいメイクは白塗りだし、リップは黒いし、伊佐谷のネイルまで黒い。
伊佐谷は顔立ちが整っているだけに、そんなメイクをすると、お人形みたいな不気味さがあって、「怖い」と「美しい」が同居しているような不思議な感情にさせてくれる。
「こんな真夜中だし、待っててくれたみんなの中には眠くなっちゃった子もいるかもしれないけど、これからはオレの美声に酔いしれてうなされてもらうからさ。悪夢をいっぱい味わってもらうぜ」
キャーって上がる歓声。
やっぱ、NI≒KELLの人気って別格なんだよな。
ステージに一番近い鉄柵の周りには、これまでよりずっと多くのバンギャルが集まってるし、客席フロア内の人口密度も見るからに上がっている。他のライブハウスからお客が流れて来たのかも。
まあそんなあたしも、いつの間にか客席フロアの真ん中くらいまでたどり着いちゃってるんだけど。
でもこれ以上先へは進まないつもり。
あたしが伊佐谷のライブに来たのは、あくまで義理だから。
みんなみたいに、呑気にキャーキャー言わないって。




