第29話 廃れし遺物は血肉となって
「TARKÜSのこのMVに出会ったことが、ぼくの人生を変えたんだ。それまでぼくは、公立の中学に通う、顔以外に取り柄のない無気力な人だったから」
この部屋にはソファも椅子もなかったし、ついでにいえばクッションすらないから、窓を背にして畳に座って、伊佐谷のスマホを二人で見ることになった。
カラフルな長髪を爆発させたような髪型が印象的な黒尽くめの四人組の男の人が真っ白な部屋で演奏しているシンプルな感じのMVなんだけど、メンバー一人ひとりにカメラが寄っていったり、かと思えばメンバーみんなの周りをぐるぐるするカメラワークが特徴的だった。
やっぱりボーカルの人は、伊佐谷っぽいな。
いや、時系列的には逆なんだけどね。
あたしは映像や曲の良し悪し以上に気をになることがあって。
この前みたいに、二人で一台のスマホを覗き込むにしても、有線のイヤホンがあれば、コードの分だけ距離を取れたんだけど、今回はそんなものはない。
マジで体同士がぴったりくっついちゃってる。
でも緊張気味なあたしと違って、伊佐谷の興味はスマホに映るMVだけに向かっている。
あたしはさっきから、MVと伊佐谷の横顔に視線を行ったり来たりさせてるっていうのに……。
「どうしたの?」
「や、なんでも……」
負けた気がして、なんか悔しい……。
「残念なことに、TARKÜSってバンドは、ぼくが生まれたときにはもうこの世に存在しなかったのさ。ショックだったよ。せっかく価値観を丸ごと塗り替えられちゃうようなすごい出会いをしたっていうのに、とっくに歴史の向こうに消えちゃってたんだから」
そんなあたしに気づくことなく、伊佐谷はマジで楽しそうに語り続けてたよ。
もしかしたら、今までこうして自分の好きなものを好き勝手語れる機会がなかったのかも。
「それでもぼくは足掻いたよ。もう存在していなくても、できるだけTARKÜSに近づきたくて、音源とかライブ映像を集め始めたんだ。でもここからまた落ち込むことがあってね」
「なんかあったの?」
「どれも廃盤だったんだ。再発売やリマスターが出ていれば、今も根強いファンがいるんだろうなって慰めになったんだけどね。もう世間では、完全に過去に埋もれてしまったバンドなんだって痛感して落ち込んだよ。それでも、頑張って中古とかオークションサイトで集めたんだ。その辺にあるポスターもそうだよ」
「その熱意には頭が下がるわ」
あたしは服であれメイクであれ、伊佐谷ほどの情熱を持てたような経験なんてないから。
「でも、集めてるうちにTARKÜSの世界観が広がっていく感じがして。それまではYouTubeの動画しか知らなかったからね。パズルのピースをはめ込んでいくみたいで、それはそれで楽しかったかなぁ」
「その情熱でとうとうバンドまで始めちゃったんでしょ?」
「うん。ほら、ベースのeidaがいるだろ? あの人は通ってた学校は別だけど、顔見知りの先輩で、新しくバンド始めようとしてて、ちょうどボーカルを探してたから、そこにぼくが入ったの」
行動力に加えて、運もあったってことか。
「そうそう、あとから入って手ぶらなのも悪いと思って、ミスドを持っていったんだ。一人で二個は食べられるようにね。そしたらkiyuの分だけ足りなくて。でも、ぼくもneckyもeidaも我が強いから、私のは渡さねえぞって感じになって、いきなりバンド解散の危機になっちゃってね」
「いや伊佐谷が譲ったら全部丸く収まったんじゃね? お土産なのに何ちゃっかり自分も食べようとしてんの」
「まあそれはそれとして、ぼく自身がTARKÜSの世界観や音楽性を再現することで、大昔に解散しちゃったバンドをぼくのものにしたかったのかもね。オリジナルにコピーが成り代わるっていうかさ。歪んだ独占欲だよ」
伊佐谷って、いつもヘラヘラして本心がわかりにくいところがあったけど、これはマジのガチで本心なんだってわかった。これまでと声に乗っかってる熱量が全然違うから。
「でもあの親父がさぁ……」
昼休みの大図書館で、伊佐谷父のことを恨めしそうにしていたことは、あたしの中でずっと引っかかっていた。
「あいつは酷いんだ。ぼくが部屋をTARKÜSのグッズやポスターでいっぱいにしたとき、そしてトリビュートバンドを始めるって言ったとき、そしていかにTARKÜSが不遇の実力派バンドながらV系バンド史に多大な影響を与えたのか熱く語ったとき……あいつはニヤニヤするだけだったんだよ。これってぼくのTARKÜS愛をバカにしてるってことだろ」
伊佐谷にしては珍しいほどの感情的になっていた。
「つまりあいつは、どれだけTARKÜSが素晴らしいバンドなのか全然わかってない! TARKÜSを理解していないのは、ぼくを理解していないも同然。父親として失格だよね」
「ふふっ」
「どうして笑うんだい? ぼくは本気だよ」
「いや、前も言ったと思うけど、そういう伊佐谷は『素』を見せてくれてるみたいでレア感あるから。あ、ちなみに今のはいい意味での伊佐谷の子供っぽさね」
「そっか。じゃあ今後は控えることにするよ」
「待って。なんで?」
「だって、子供っぽいんだろ? たとえいい意味だって嫌だよ」
「全然いいじゃん。得体の知れないあんたよりずっといいよ」
「そうかな? ぼくは蓮奈ちゃんの前だと正直だと思うんだけど?」
「感情表現がストレート過ぎてかえって怪しいんすわ」
「それはぼくじゃなくて、蓮奈ちゃん側の解釈の問題じゃないかな?」
「なに。あたしが捻くれ者だって言いたいの?」
「君も君で、結構クセはあるからね」
「なにそれー」
なんかイラッとして、あたしは顔を伊佐谷からそむけちゃうんだけど、伊佐谷は指先をあたしの顎に当てて、目を合わせに掛かる。
「ぼくが君を特別扱いしてるのは信じていいよ。こんなこと話したの、バンドメンバー以外だと君が初めてだから」
でもあたしが初めてってわけじゃないんじゃん……。
あ、まためんどくさくなってる……。
「ほら、トリビュートバンドやるには、メンバーを納得させないとダメでしょ? 元々ぼく以外のみんなは普通にオリジナルの曲やるバンドだったから、後から入ったぼくには説得が大変で、そうするしかなかったんだよ。だから蓮奈ちゃんは気にしなくていいからね?」
「いや、あたしが何考えたと思ったの?」
「ぼくの初めてじゃないのが不満なのかと思って」
「全っ然! 平常心だけど?」
「蓮奈ちゃんはわかりやすいなぁ」
突然無遠慮に頭を撫でられたって不快感がない自分にびっくりだよ。
ちょっと過去エピ話してくれた程度で絆されるなんて……。
でも、冷静に考えてみると、今やあたしにとって学園内で一番身近なのは伊佐谷なのかもしれない。
学校で一番長い時間を過ごしてるはずのクラスメイトとは、ここまで打ち解けて話なんかできないから。
お嬢様のコスプレをして、本当のあたしを隠さないと、まともに接することもできやしない。
クラスメイトはいい子たちばかりだけど。
卒業後は、きっとみんなとは縁が切れちゃうんだろうな。
だってみんな、あたしと違ってガチの上級国民だしさ。
……あたしの学園生活って虚しいのかもしれない。
在学中に積み上げた人間関係が、卒業と同時にゼロになっちゃうんだもん。
それなら、あたしが学園生活で得られるものって、いったい何なのだろう?
「それでさ、蓮奈ちゃんに頼みたいことがあるんだけど」
「へ? なに?」
急に真剣な顔し始めるから、ビビったよ。
「ぼくは君のギャルなところとお嬢様なところ、両方知ってるわけだろ?」
「まあね。不本意だけど」
「せっかくだし、君のもう一つの顔も見せてほしいんだよね」
「え、なにそれ」
オンのときとオフのとき以外のあたしなんていないんだが?
伊佐谷は両手を床に着く動物みたいなポーズで迫ってきて、あたしは後ろ手をついたままつい後ずさりしまう。
「決まってるでしょ。えっちなときの蓮奈ちゃんの顔だよー」
「やかましいわ」
伊佐谷の頬を手のひらでグイッと押し返す。
真剣に聞こうとして損した……。
「なんで?」
「なんでも何も!」
「一番プライベートな蓮奈ちゃんだろ? これを知らずして蓮奈ちゃんを語れないよ」
「語らなくていいから」
「でも、蓮奈ちゃんも一人きりのときはえっちな気分になるでしょ?」
「『も』ってことは」
「そりゃぼくだってあるよ。当たり前だろ」
しれっとした顔の伊佐谷。
えぇ……。
じゃあこの部屋も、もしかして伊佐谷のプライベートセックススペースなわけ?
そうなると、この趣味全開の部屋も解釈変わってきちゃうんだけど……?
てか、あたしなんでこんなドキドキしてんの?
別に考えようとか思ってないのに、伊佐谷の裸のことが頭に浮かんでしまう。
伊佐谷のことだから、思わず憧れるくらい綺麗なんだろうな……。
「大丈夫? 蓮奈ちゃん顔赤くない?」
「へ、平気だし……」
「暑いなら脱いでもいいよ。ぼくも脱ぐから」
「あんたは脱ぐ必要ないでしょ」
「え、本当に嫌なの……」
「真顔で眉尻下げられても困るんだわ」
嫌に決まってるでしょ、どうして伊佐谷なんかにやられないといけないの。
って気分ではあるんだけど、不思議と不快感はない。
むしろ、伊佐谷からそういう対象として見られていることに対する特別感というか高揚感すらあるくらいで……。
さっきから何を考えてるんだ、あたしは。
伊佐谷の部屋とかいう世にも珍しい場所に正体されて平常心を失ってるのかもしれない。
「そっか……まあいいや。蓮奈ちゃんの貞操はまた今度もらうね」
「やらんし」
「本題はこっち」
「本……題……?」
あたしの体は添え物なん? って謎にショックを受ける自分にショックだわ。
「今度のオールナイトライブ、絶対に来て欲しくて。念押ししたかったんだ」
「え? ライブ?」
「この前チケット渡したでしょ?」
「ああ……」
伊佐谷と初めて二人で出かけたときにもらった、やたらお手製感が強いチケット。
もらったはいいものの、今もあたしの部屋の机の引き出しに押し込んであった。
「今度もまた、君のために歌うからさ」
NI≒KELLのライブにはもう二回も行ってる。
一晩中やってるV系のライブイベントなんて、そんな長いのどうせ飽きちゃうし。
でも、聖クライズ女学園の関係者で、こうやって誘ってくれるの、伊佐谷くらいなんだよね……。
「……気が向いたらね」
言葉とは裏腹に、あたしはどうやって夜中に家を抜け出るか考えてしまっていた。




