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第25話 NI≒KELLの麺

梨々華(りりか)、今日は買い物に付き合ってくれてありがとね」

「おけおけ。これくらいならいつでも付き合うし」


 休日。

 あたしは、梨々華と一緒に過ごしていた。


「そういや、昼どうするよ?」


 梨々華が言った。


「お金結構使っちゃったから、あんま高くないところがいいかも」

「おけ。じゃあラーメンなんてどうよ?」

「マジ? 全然いいけどさ、お値段結構しない?」

「安くて美味いだかでバズってるとこあるよ」


 梨々華が差し出してきたスマホを覗き込む。

 古びた感じが目立つけど、でも中華料理ってこういう年季入ってる感じの方がおいしいとか聞くよね。床が油で光ってる店は名店とか。


「あー、じゃあここでいいかなー?」


 どうせこのあと予定ないし、ニンニクマシマシだろうが余裕でいけるし。

 ていうか、すっかりラーメンの口になっちゃってるしね。


「あとカッコいい店員がいるとかで話題になってるっぽい。知らんけど」

「それは知っておいた方がよくない?」


 店員の顔がどうこうよりも、梨々華が店員のかっこよさを気にした方が興味深かった。

 梨々華はあたしと違って背が高くてクールなカッコいい系なんだけど、恋愛とかそっち方面はわりと謎。


 見た目でいえば付き合ってる相手がいても全然おかしくないのに、昔から浮いた話は聞いたことがない。他人の恋愛話は好きらしくて、何かと首突っ込んでるのは知ってるけど。


「なに?」

「いーや、なんでも」

「ならいいんだけど」


 それともあたしに秘密にしてるだけだったり?

 梨々華に連れられて、評判だというラーメン屋にやってきた。


「めっちゃ並んでね?」


 すごい行列。一人で来たなら絶対諦めていたであろう人の数だ。

 ちょっと今から入るの無理くない? って思えるんだけど。


「大丈夫じゃない? 結構回転早いみたいだから」

「マジだ。列はスルスル進んでるね」


 一度感じた空腹を忘れることは難しいけど、このペースなら安心だ。


「てかそれより私は店の名前気になるわ。『松平軒』って。なんて読むんだよ、これ。マツダイラ?」


 梨々華が首を傾げる。


「あっ、ほら、看板の下にローマ字で書いてるよ。SYOUHEIって」

「じゃ、ショウヘイ軒か」

「店の名前より美味しければそれでよくない? ほら、他の人来ちゃう前に並んじゃおうよ」


 梨々華と一緒に長蛇の列の一員になる。

 梨々華とはてきとうに雑談したり、スマホいじってたりしたんだけど、ふとこっちを見てきて。


「そういえば、『姉妹』のセンパイとは上手くやれてるの?」

「あー、ね。前よりはね」

「そっか。良かった」

「なんで?」

「誰か一人は近くに味方がいた方がいいでしょ?」


 珍しく梨々華が微笑んだ。


「蓮奈のことをわかってあげられるような子がね」


 思ったより心配されてるんだなと思ったよ。

 梨々華は、あたしが学園でお嬢様を演じてることを知ってるから、きっとめっちゃ無理してるんだろうなって思ってくれているのだろう。


「てかそこまで心開いてるわけじゃないけどね。前よりマシになったかなってくらいだから」


 それに、伊佐谷の実家問題を初めとしてまだまだ秘密はあるわけだし。


 なんてことを話してると、あたしたちが入店する番になった。


 店内は、カウンター席がメインで、ボックス席がいくつかあるって感じで、あまり広くはない。見た目は昔ながらの町中華屋さんって感じだ。


「いらっしゃいませぇ!」


 やたらと響く大きな声がして、そこに「いらっしゃいませ!」の声が追随する。

 一番大きく響いた声の主は厨房にいて、デカい鍋の前で色々忙しそうにしていた。


「たぶんあの人が店主だね」


 梨々華があたしにこっそり耳打ちをする。


 店主は額には白いタオルを巻いて、顎のヒゲが目立つふっくらしたおじさんだ。Tシャツは黒で、胸に『松平軒』って店名が書いてあって、他の店員さんも同じ格好だから、これがこの店の制服なのだろう。


 梨々華と一緒に、店員さんに案内された席に座る。


「タブレットで注文するタイプじゃないっぽいね」

「チェーン店じゃなくて個人経営っぽいし、導入してないんだろうな。まあいいじゃん。たまにはアナログなのも」


 手書きのお品書きを開いて眺める梨々華を前にして、あたしの口はすっかり中華にまみれた。


「やば。もう我慢できないかも」

「それなすぎる」

「でも、どれがいいかなぁ。いっぱいメニューがあるから迷うわぁ」

「美味しいのがいいよな」

「だね」

「全部美味しそうに思えてきた。こうなったら店員くんに決めてもらうか」


 入店した瞬間に香った美味しそうな匂いのせいで、さっきからあたしはお腹は鳴りそうだった。


 だから店員さんがやってきたときは、あたしを救いに来たヒーローに思えてしまった。


 路地裏であたしを助けにきてくれた伊佐谷みたい……っていうのは言い過ぎか。

 てか、なんでそこで伊佐谷が出てくるんだよ~って話。


「ご注文は――」

「美味しいの2つ」


 梨々華がやたらとふわっとした注文をするんだけど、あたしはそれどころじゃなかった。


「あ――」


 店員さんと目が合ったとき、えっ!? って思ったよ。

 他の店員さんと同じく、黒Tシャツに黒いパンツ姿で、長い黒髪は後ろでくくっている普段とは違う髪型だったんだけど、顔を見たらすぐにわかった。


「と、当店自慢の海老華麗ラーメンお2つですね。かしこまりました……!」

「ちょ、ちょーっと待って!」


 そそくさと逃げようとした店員さんを引き止める。

 身を乗り出して腕を伸ばしたおかげで、どうにか手首を捕まえることができた。


「伊佐谷センパイ、なにしてはるんですか?」

「……誰のことですか?」

「慣れない丁寧語使わなくたっていいんだよ。なんか声低くなったけど伊佐谷でしょ?」

「そんな人知らないねえ……」

「ハスキーな女の人っぽい声になったけど伊佐谷でしょ?」

「伊佐谷なんて子知らないもん!」

「今度は小学生の女の子っぽいけどさ、一人でそんなに色んな声出せるんだもん。伊佐谷以外にいないじゃん」

「ぬぐぐ……」

「てか伊佐谷ってラーメン屋でバイトしてたんだね。なんか意外~」

「いや、バイトっていうか……」

「おい、しーちゃん! 早くお客様から注文取っちゃってくれぇ~!」


 厨房から、困ったような声が飛んでくる。

 一人だけ額にタオルを巻いている、店主らしき人だ。


「……しーちゃん?」


 誰だそれ。

 あれ? そういえば伊佐谷の下の名前は雫だったはず。


「い、今ぼくをその名で呼ぶな!」


 店主に言い返すものの、珍しく伊佐谷は動揺しまくっている。

 別にどうだっていいはずなんだけどさー。


 そういう「素」っぽい伊佐谷を引き出せちゃうこの男は何者? って複雑な感情が一瞬あたしの中に渦巻いてしまった。


「なんで今更キレるんだよ。いつもそう呼んでるだろ」

「だからって、今呼ぶなよ!」

「さっきまで普通に応えてたじゃねえか」

「とにかく今はダメなんだ。もう! わかんないオヤジだなぁ!」


 オヤジ……?


「はいはい。わかったから、とにかくなるはやで頼むわ、伊佐谷さんよ」


 言い合いに見えるけど、店内はギスギスした空気は皆無で、事情を知っている常連さんのものであろう笑いがまばらに響く中、店主が厨房に引っ込む。


「伊佐谷。ここ、もしかして伊佐谷のお父さんのお店?」

「……だったらどうだっていうの?」

「実家ってここ?」

「……」

「ふふっ、いいお店だよね」

「冷やかしなら帰ってもらうけど?」

「本心なのに。だって、パッパ相手に子ども丸出しなところが出ちゃう伊佐谷をタダで見れちゃうなんてヤバすぎでしょ?」

「ぼくは見世物じゃない……」

「あれれ、どこ行くの? まだオーダー取ってなくない?」

「エビ華麗ラーメン2つだろ!? 美味しいやつ2つさ……!」


 こちらを振り返ることもせず、伊佐谷は逃げるように注文を伝えに行った。


 伊佐谷を動揺させてやった勝利の美酒に酔う間もなく、敗北感を悟ったのはその後姿が目に飛び込んだとき。


「てか、腰の細さえっぐ……なんなん?」


 伊佐谷はTシャツをパンツにインしていたから、普段は制服やゴシックな私服に隠れて見えない部分が見えてしまった。


 腰が細いくせにお尻にもちゃんとふっくらボリュームがあって、その上脚が長い。マジで見た目は反則級だ。


 てか、何ドキッとしてんの……男子じゃないんだから。

 おっぱいはあたしの勝ちだし。

 他は全敗だけど……。


「――おお、注文通り。美味しそうじゃん」


 注文したラーメンがやってきて、梨々華はテンションが上がっていた。


「それで蓮奈、あの人と知り合いなの?」


 しっかりスマホでパチリと撮ってから、梨々華が言った。


「あの人があたしのお姉様だよ。……あの状況じゃ信じられないかもだけど」

「マ? ヤバいじゃん。あの人だよ。話題になってるカッコいい人って」

「伊佐谷が?」


 伊佐谷がイケメン扱いされるのはわかる。

 あたしだって、一応その枠にジャンル分けしてるし。


 でも……。


「どした? なんかぶすっとしてるけど?」

「ううん、別に」


 ホルスが、みんなからキャーキャー言われるのはいいよ。


 あたしより、NI≒KELL推しのバンギャルたちの方が見つけるの早かったわけだから。


 でも、ホルスじゃない伊佐谷は別じゃん?

 ホルスはいいけど、伊佐谷雫もあたしの知らないところでファンが増えてるのは……なんか複雑だ。


「蓮奈、どしたん? さっきから全然手動いてないけど。麺に汁を吸わせてから食べる界隈はマイノリティじゃない?」

「え? わ、ヤバ」


 あたしは慌てて箸をスープに突っ込んだ。

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