第19話 MANIA
翌日の昼休み。
これまであたしは、弥生さんや瀬越ツインズと一緒に食堂へ行ってお昼にしていた。
「マリス~、今日は日替わりXランチ定食~発売再開~がおすすめなんだって! 人気らしいから早く行かないとなくなっちゃうよ~」
だから、夏海さんから誘われるのもいつものことなんだけど。
「ごめんなさい、今日は遠慮しますわ」
「どうしたんです? 具合でも悪いんですか?」
心配する様子の弥生さん。
「そっか、マリスさんは雫様のところに行かないといけないんだね」
「ええ、そうですわ、春香さん。せっかく『姉妹』になったわけですし、たまにはお姉様と一緒に過ごすのもいいかと思いまして」
「そうですか。ふふ、それがいいと思いますよ。お姉様は大事にしないといけませんから」
「えー、マリスがいないとやだー」
「夏海、マリスさんを困らせないの」
「申し訳ございませんわね。また今度」
あたしはそそくさとみんなの輪を抜けていく。
そしてやってきたのは、大図書館。
伊佐谷の姿はすぐに見つかった。
「あなた。図書委員のくせに堂々とルール違反をしますのね」
「まあ、今は誰もいないしね」
伊佐谷ときたら。貸出カウンターで司書役をしながら堂々と弁当を食べていた。
「お昼休みのこの時間はヒマなんだ。うちの生徒は大図書館より学食や東屋でお昼を過ごすことが多いから」
「東屋?」
「生徒会のみんながよくお茶会をしてるとこ」
「ああ……」
そういえば一度、楓井会長を初めとするめっちゃお上品な人たちがティータイムをしている光景を見たことがある。
「あなたは楓井会長のところには行かないんですの?」
「ああいう場は苦手なんだ。全身が固まっちゃいそうだよ。ぼくに合ってるのはライブ後の打ち上げに使う居酒屋さ」
「居酒屋……」
「お酒を飲むわけじゃないよ。でも対バンしたみんなとライブ後のテンションで騒いだから何軒か出禁になってるけど」
こいつ、シラフでいったいどんな騒ぎ方をしたんだ?
「ぼくは騒いでないからね? 飲食店の経営は大変ってわかって……いや、なんでもない。それより君、昼休みにどうしてここに?」
「……あなたと過ごすためですわよ」
「え? キスしていいってこと?」
「飛躍しすぎですわ」
身を乗り出して唇を突き出してきた伊佐谷の額を抑える。
「これでも私は、あなたとは『姉妹』ですから。たまにはあなたの相手をしてさしあげないと」
「それなら、ぼくのことをお姉様って呼んでよ」
「……前にも言いましたけれど、今すぐには無理ですわ」
今のあたしにとっては高いハードルだ。
「ぼくはいつでもオーケーなんだけどなぁ」
「あなたはよくても、私にはタイミングがありますの」
「はいはい。でもそんな恥ずかしがりな蓮奈ちゃんも好きだよ?」
「恥ずかしがっているわけではありませんわ。相変わらずあなたは自分に都合のいい解釈ばかりしますのね」
「じゃあ、そういうことにしておこうか。ちょっと場所を移動するよ」
「どうしてですの?」
「ぼくはいいけど、君は大図書館の目立つところで堂々と飲食できる?」
「……まあ、したくはないですけれど」
無神経なように見えて変なところで配慮する気持ちを発揮するやつだ。
それならそもそも飲食するなって話だけど。
あたしは伊佐谷に連れられて、大図書館の端、本棚に囲まれたひっそりした一帯にやってきた。
「ここなら、本棚が君を守ってくれるよ」
「確かにちょうど死角になっていますけれど。古紙のにおいがしますわね」
「創立当時の本も結構あるからね。まあそこは我慢してよ」
不快なにおいじゃないし、別にいいんだけど。
「誰かに見つかったら、あなたに強引に誘われたということにしますわね」
「蓮奈ちゃんたらー」
へらへらする伊佐谷の隣で購買のパンをかじりながら紙パックのジュースを飲むことになった。
庶民的なお昼ごはんだけど、いくら聖クライズ女学園だからって、学校の昼休みに高級フレンチフルコースを食べちゃうほどコテコテの金持ちがいるわけじゃない。食べてるものは普通の高校生と同じ。まあ、家ではどんな高級なもの食べてるのかわかんないけど。
「あなた、お昼はいつも一人ですの?」
「うん。だいたいはね。去年は詩乃が何かと誘ってくれたけど、もう諦めたみたい。ぼくの勝ち」
「勝手に勝負にされては、楓井会長も困ってしまいますわね。一人で退屈ではありませんの? その、孤独を感じたりとか……」
「うーん、寂しく思ったことはないかなぁ。ぼくにはもう心の隙間を感じなくて済む大事なものがあるからね」
「残念ながら、あなたの気持ちは受け止められませんわ。重すぎますもの」
「えっ?」
「え?」
「ごめん、勘違いさせちゃったかな?」
「わ、笑うことないじゃありませんの! ちょっとした早とちりですわ!」
「確かに蓮奈ちゃんがいてくれると嬉しいけど、ぼくにはほら、これがあるから」
伊佐谷は何の悪びれもなくスカートのポケットからスマホを取り出した。
「学園内ではスマホの使用は禁止ですわよ」
「そうそう。所持は良くても使用は禁止っていうヤバめなハッパと同じ扱いだよね」
「言い方に反社会性を感じますわね」
「でも蓮奈ちゃんのためだからさ」
スマホに関しては、聖クライズ女学園のルールは厳しめ。
初等部から聖クライズ女学園にいる筋金入りのクラっ子は、学校の内外問わずスマホをロクに使わずに過ごす子も珍しくないらしい。弥生さんがそのパターンだった。
けれど、そうやってデジタルなガジェットを制限しているからこそ、令和の今になっても創立当時のお嬢様学校な雰囲気を残しているのかもしれない。
「えーっと、どこだったかな。……あった」
伊佐谷はスマホとは反対側のポケットからイヤホンを取り出す。
「有線ですのね?」
「有線の方が音がいいんだよ。Bluetoothは人間が聞き取れる音だけが優先されて、それ以外の音は削られちゃうからね。聴き取れる音だけが音じゃないのさ。ハイパーソニック・エフェクトって言って――」
なんかうちくを言ってバンドマンらしいこだわりを見せる伊佐谷。
いや別にあたしだって、有線のイヤホン使うことがあるから、有線ダッサとか言うつもいないけど……。
「まあ本当はどうせ音楽を聞くなら、ライブのときみたいに全身で音楽を感じる環境が一番なんだけど、そうもいかないからね。はい、蓮奈ちゃんはこっち」
「ん……」
いきなり、スポッと左耳にハメてくるものだから、ちょっと体がピクッって反応した。
伊佐谷と同じイヤホンをシェアすることになるあたし。
中学のときに梨々華とか他の友達と散々やったはずなのに、伊佐谷を相手にしたときは今まで感じたことのないドキドキがあった。
別に緊張してるってわけじゃない。
慣れないだけだ。
「それでね、蓮奈ちゃんにはこれ観てほしいんだよ」
伊佐谷は、YouTubeの動画を再生した。
黒尽くめの格好をした四人組バンドの映像だ。
目立つノイズが入ってるから、元の映像は相当昔のものなんだってわかる。なんか昔ってテープで録画してたっぽいじゃん? その雰囲気がある。
でも、演奏を聞いていると違和感があった。
「初めてのはずですのに聞き覚えがあるのですけれど?」
「ああ、気付いた? そうなんだよー。TARKÜSってバンドで、ぼくらが目指してるのってこれなんだ」
「言われてみれば見た目もそっくりですわね。特にこのボーカルなんか」
「そう。ボーカルのSETHはぼくの憧れだから。いっそSETHになりたいくらいさ」
熱っぽく語る伊佐谷。
あたしにキスを迫るときより情熱的じゃね?
「痛っ。なんでつねるの?」
「別に。それで、これがあなたにとっての『大事なもの』ですの?」
「うん。あれ? 音楽なんかを心の支えにするなんて寂しいやつとか思った?」
「いいえ、ちっとも」
あたしは伊佐谷ほど音楽にのめり込んだことはない。
ちょっと気分を変えたり、みんなと楽しみを共有するためのツールでしかないから。
でも、音楽を生きがいにする人のことは、実際に目にしたから知ってるつもり。
「私、『バンシーズ』であなたに熱狂するファンを目にしていますから。きっと、ああいう方にとっては生きていく上で食事と同じくらい大事なものなのでしょうね。それと同じと考えれば、あなたのことも理解はできますわ」
「ありがと」
頬から聞こえてくる口づけの音。
しまった。イヤホンを付けてるせいで、伊佐谷が顔を近づけてきていたことに気付けなかった。
「蓮奈ちゃんがそう言ってくれて嬉しいよ」
「……突然キスをするのはやめてくださる?」
「蓮奈ちゃん顔真っ赤」
「びっくりしただけですわ!」
せっかく理解してあげようとしたのに!
まあ今更、伊佐谷にあれこれ言ったところで無駄か。
でもマジか……。
これまでは額止まりだったキスが、今回は頬か……。
少しずつ唇に近づいていってない?
「疑問に思ったのですけれど」
「なにかな?」
「自分の曲をやりたいと思ったことはないんですの?」
「…………うーん、今のところはないかなぁ」
答えるまでに少し時間が掛かったのを、あたしは見逃さなかった。
バンドみたいなアーティスティックなことやってるんなら、そりゃ自分たちでつくったやつやりたいよねって思う。
「それより蓮奈ちゃん、来週末ギャルの格好する予定ある?」
「あっ! あなたこんなところで!」
あたしは伊佐谷の口を塞ぐべく動くのだが、首の動きだけでひょいとかわされてしまう。
「ごめんごめん。蓮奈ちゃんがギャルの格好するの、ぼくだけが知ってるのが嬉しくて。ついつい言ってみたくなるんだよ」
「……どんな理由であれ、今度軽率なことを口にしたら、その頬を張り飛ばしますわよ」
油断も隙もないヤツだ。
「それで、来週末に一体何をさせようと言うんですの?」
「蓮奈ちゃんとお出かけしたいんだ。蓮奈ちゃんはどう?」
梨々華初め、他の子と遊ぶ予定はなかった。
あまり気が進まないけど、仮にも相手はロザリオを渡した相手。
ここであっさり断るのは、あたし自身の決心を裏切ることになっちゃう。
「仕方ないですわね。いいですわよ」
「やった」
「だから、なにかにつけてキスしようとするのはお止しなさい」
キス魔と化した伊佐谷に何かと手を焼かされるあたしだった。




