第17話 無垢なる少女は十字を糾える
翌日。
朝のホームルームが始まる前に、大図書館へ行ったら普通に伊佐谷が受付用カウンターのところにいた。
タイミングよく他に利用者はいないみたい。
「やあ、心配して来てくれたの?」
お下げ髪に黒縁メガネの地味モードな伊佐谷が呑気に微笑みかけてくる。
「別に心配などしていませんわ。ピンピンしているあなたの姿を目にしているのですもの」
「だったらどうして?」
「渡さないといけないものがありますの」
「へえ、なんだろう。愛かな?」
「……やっぱりやめますわ」
「冗談だよー。ほら、こういうこと言えるくらい元気なんだから、もう心配する必要もないでしょ?」
「だから心配なんて……もういいですわ」
あたしは、後ろ手にして隠していた手を伊佐谷に向ける。
「これ、あなたに差し上げます」
「ロザリオ? え、これって君のだよね? あれだけ嫌がってたのに?」
「この前のことは、私にも責任がありますから」
「ぼくと『姉妹』になってくれるってことでいいんだよね?」
「あなたのこと、完全に認めたわけではありませんわ」
あたしは、未だに伊佐谷のことなんてほとんど知らない。
「でも、少なくともあなたは私に害をなす人じゃなさそうですから、私が理想的なお嬢様でいるためのカムフラージュ用『姉妹』として――」
「ありがとう。嬉しいよ」
リップ音は額から響いた。
立ち上がった伊佐谷が、またしてもあたしに口づけしたってわけ。
もうこれで何回目だよ……。
「やっぱり返していただこうかしら」
「なんで!?」
「無断でキスされて喜ぶ人がどこにいますの?」
「だって、『姉妹』だからいいのかと思ってー」
「合意がどれだけ大事か理解していらっしゃらないみたいですわね」
冷静に言い返そうとするんだけど……え、待って、『姉妹』って挨拶代わりにキスするのが普通なの? 伊佐谷の言い分を聞いてると、なんかそんな感じがするんだけど。
「わかった。今はぼくと『姉妹』になってくれただけで嬉しいから。でも、抱きしめるくらいならいいよね?」
ダメです、と言いたかったけれど、曲がりなりにもあたしは伊佐谷と『姉妹』になると決めたのだ。
多少の妥協は必要なのかもしれない。
「……誰も見ていないところでなら構いませんが」
「じゃ、今だね」
伊佐谷はカウンター越しに腕を伸ばしてきて、あたしを腕の中にすっぽり覆った。
地味モードのメガネ伊佐谷はもっさい格好をしているくせに、匂いはやたらと甘い。あたしの知らない謎のフレグランスの香りがする。
いや、伊佐谷の匂いのことなんてどうだっていいんだけど。
「蓮奈ちゃんのロザリオ、君だと思って大事にするね」
「名前呼びですの……?」
「他にどう呼べばいいの?」
「……もういいですわ。好きにお呼びなさい」
伊佐谷とは、これからもたくさんすり合わせないといけないことがありそうだ。
こうしてあたしは、曲がりなりにも伊佐谷と『姉妹』になってしまった。
前途多難だけどさ。
とりあえずは責任を取ったよ。




